酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「東京都同情塔」をアナログ風に読み解く

2024-08-22 23:09:24 | 読書
 アラン・ドロンさんが召された。「太陽がいっぱい」、「若者のすべて」、「山猫」、「冒険者たち」といった洋画史に輝く傑作を見たのは大学入学後で、中高生の頃の俺にとってドロンさんは、二番館で上映される「サムライ」、「ボルサリーノ」といったフレンチ・ノワールのクールなヒーローだった。広島の原爆資料館を訪れて戦争の悲劇を訴え、モロッコの政治犯に救いの手を差し伸べるなど知られざる顔も持つ。〝世紀の二枚目〟の死を悼みたい。

 1980年代半ばまでは日本の戦後文学を読み漁ったが、以降は海外、とりわけ南米文学に関心が移った。里帰りするきっかけになったのは仕事先の夕刊紙で開催されるバザーである。2009年4月、平野啓一郎の「決壊」を購入し、内容に感嘆したことで、1990年以降にデビューした作家たちの小説を追いかけるようになったが、最近はアンテナが錆びてきて、発見した日本人作家は滝口悠生だけである。

 先日YouTubeをチェックしていたら、<芥川賞作家と語るブランキー・ジェット・シティ(BJC)>と題された動画がアップされていた。芥川賞作家とは2023年下半期に「東京都同情塔」で受賞した九段理江である。33歳の彼女は2000年に解散したBJCの現役時は知らないが、浅井健一(ベンジー)がリーダーのシャーベッツやAJICOの作品を含めて聴いているとざっくばらんに話していた。紀伊國屋で早速、「東京都同情塔」を手に取った。

 〝最近の芥川賞受賞作では希有な作品〟との選考委員の評価だけでなく、ネット上では絶賛の言葉で溢れている。注目を浴びたのは九段が「生成AIを駆使した」と受賞会見で語ったからである。作品中で<AI-built>の名で現れる生成AIが、建築家の牧名沙羅と対話する場面が頻繁に出てくる。九段は執筆中、ChatGPTにあれこれ尋ね、創作に生かした。

 とはいえ、「あなたは文盲」と生成AIに問いかけるなど、肯定的に捉えているわけではない。<習能力は高いけど、己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れ切り、無知を恥じもしない。人々の平均的な望みに沿った模範的回答をするだけ>(要旨)と作品中にも綴っている。

 多くのインタビューがネットにアップされているが、そのうちのひとつで九段は、AIが生成する言葉と人間が紡ぐ言葉との違いについて<相手との関係性>と語っていた。<学習データに基づくAIに対し、人間は「誰と話しているか」によって話し方や選択する言葉も変わり、その場限りの唯一無二の言葉が生まれる>と続けている。長くなるが、冒頭に問題意識が集約されているので記したい。

 <バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。(中略)大独り言時代の到来>……。

 〝AIを用いて書いた〟が惹句になっているが、本作中では沙羅がカタカナ言葉への嫌悪を明かしている。自分の考えを深く考えず発信する時代に九段は警鐘を鳴らしている。東京都同情塔は、そもそも沙羅が価値を置いていなかった<寛容や多様性>を象徴する刑務所になった。斬新さが評価される本作を全身アナログの俺なりに読み解いてみた。

 本作はSF的要素もある。2020年に東京五輪が、ザハ・ハディド設計の国立競技場で開会したことが前提になっている。素晴らしいデザインに感銘を覚えた沙羅が、東京を根底から変える〝双子〟的存在になり得る塔を目指してコンペティションに応募したのが、30年竣工予定の刑務所だった。シンパシータワートーキョーと名付けられたが、沙羅は東京都同情塔に固執する。〝東京〟と〝同情塔〟の間に〝都〟を入れたのは15歳下で、沙羅が〝完璧な建築物〟と感じる拓人だった。

 沙羅と拓人は欲望を超越した〝仮想の母子〟だ。沙羅がナンパした拓人はブランドショップの店員で、15歳で彼を産んだ実の母は、社会にインパクトを与えたマサキ・セト著<ホモ・ミゼラビリス 同情されるべき人々>に紹介されている。本作は拓人と2人の母を巡る物語と受け取ることも出来る。話は逸れるが九段は上記の動画で、母との思い出を語っていた。高校生の頃、BJCの曲をチョイスしたテープを母に貸したところ、入院していた九段に代わってシャーベッツのライブのチケットを取ってくれたという。母娘の絆は本作にも生きているような気がする。

 沙羅と拓人を俯瞰で語る役割を担うのが、自称〝レイシストのジャーナリスト〟マックスだ。完成後、拓人は同情塔でスタッフとして働き、沙羅は建築の世界から去った。出入り自由の塔から出るホモ・ミゼラビリスは皆無で、拓人の母も恐らく塔のどこかで暮らしている。塔の内と外は逆転し、今や外が牢獄になった。

 <考え続けなくてはいけないのだ。(中略)すべての言葉を詰め込んだ頭を地面に打ちつけ、天と地が逆さになるのを見るまでだ>との沙羅のモノローグで本作は終わる。老い先短い俺だが、それでも考え続けなくてはいけない。いつか再読して未消化の部分を反芻したいと思う。
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