竜王挑戦者決定三番勝負、王位戦七番勝負……。豊島将之名人と木村一基九段が相まみえた3カ月にわたる「真夏の十番勝負」は26日、木村の王位獲得で大団円を迎えた。銀河戦決勝(24日オンエア)で渡辺明3冠を下すなど、鋭さを増した豊島の優位は動かないと予測していたが、〝千駄ケ谷の受け師〟が初タイトルを戴冠に輝いた。
午後4時前後、AI、棋士ともに木村有利の見立てだったが、辛酸を舐めてきた木村ゆえ、一抹の不安を覚えた。後ろ髪を引かれる思いで、マニック・ストリート・プリーチャーズのライブ(Zeppダイバーシティ)に向かう。マニックスもまた、木村と同じく〝泣きが入った〟男たちだ。
公演の感想は以下に記すが、帰宅して結果を確認し、木村のインタビューに心が潤んだ。46歳は将棋界では〝老いの入り口〟だ。羽生善治九段でさえタイトル通算100期目前で喘いでいる。今回の木村戴冠には、〝中高年の星〟を応援するファンの願いが後押しした。勝負の世界では空気が結果を左右することがしばしばある。敗れた豊島には来月、広瀬章人竜王との頂上決戦が控えている。
マニックスは俺にとって人生と重なるバンドだ。今回のライブは5th「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」(98年)20周年を記念したツアーの一貫で、サポートアクトはアジアン・カンフー・ジェネレーションが務めた。初めて聴くバンドだったが、開放感あるギターサウンドに和みを覚える。
アジカンは25分ほどでステージを去ったが、自身が主催したフェスに出演してくれたマニックスへの敬意を語っていた。興味深かったのは「洋楽のライブに人が集まらなくなっている」とMCしていたこと。<内向きの日本>と<国際標準>の乖離を前々稿、前稿で記してきたが、ロック界でも同様のことが起きている。
「ディス・イズ゙――」はヴァーヴ「アーバン・ヒムズ」(97年)、マンサン「SIX」(98年)、トラヴィス「ザ・マン・フー」(99年)とともに、オアシスとレディオヘッドが失速した後、UKロックを牽引した一枚だ。前半はほぼ「ディス・イズ゙――」の曲順通り、後半は代表曲が次々に演奏される。
ラグビーW杯開催中でもあり、来日中のウェーズ人が多く詰め掛けていた。小規模のハコでマニックスを聴けたことは僥倖だったはずだ。客席とのやりとりでホーム感を覚えたのか、2時間弱の気合の入ったショーになった。齢を重ねてソリッドかつシャープになっており、ジェームスの声にも艶があった。13th「レジスタンス・イズ・フュータイル」(18年)は「ディス・イズ――」に迫る傑作だったが、収録作「インターナショナル・ブルー」を後半に演奏した。
「ディス・イズ――」セットのラストは、スペイン市民戦争時の詩に着想を得た「輝ける世代のために」だ。<これを黙認すれば、おまえの子供たちは苦しみに耐え続けなければならない>というフレーズが3・11直後、若年層の体内被曝を憂えた俺の脳裏に鳴り響く。再び政治に関わるきっかけになった曲だった。
妹が翌年召された時、「エヴリシング・マスト・ゴー」を毎日のように口ずさんでいた。リッチー・エドワーズの失踪(08年に死亡宣告)を経て作られた同曲の歌詞は、<全ては過ぎ去っていく>という諦念、無常観に近い。妹の死が、リッチー不在に打ちひしがれたバンドと重なり、喪失の哀しみを共有したことでマニックスとの縁はさらに深まった。
ラストの「享楽都市の孤独」のPVは日本で制作された。イントロが流れた時、あやうく涙腺が決壊しそうになり、沈黙のまま唱和する。
♪文化は言語を破壊する 君の嫌悪を具象化し 頬に微笑を誘う 民族戦争を企て 他人種に致命傷を与え ゲットーを支配する 毎日が偽善の中で過ぎ去り 人命は安売りされていく 永遠に……
四半世紀前、マニックスは反資本主義を歌詞に織り込んでいた。ジェームス、ニッキー、それにリッチーの3人の詩人が、マニックスの知性と世界観を支えている。アンテナが錆び付いて新規開拓は難しいが、馴染みのバンドやアーティスト――マニックス、そして前稿で紹介した頭脳警察etc――とともに老いていきたい。
午後4時前後、AI、棋士ともに木村有利の見立てだったが、辛酸を舐めてきた木村ゆえ、一抹の不安を覚えた。後ろ髪を引かれる思いで、マニック・ストリート・プリーチャーズのライブ(Zeppダイバーシティ)に向かう。マニックスもまた、木村と同じく〝泣きが入った〟男たちだ。
公演の感想は以下に記すが、帰宅して結果を確認し、木村のインタビューに心が潤んだ。46歳は将棋界では〝老いの入り口〟だ。羽生善治九段でさえタイトル通算100期目前で喘いでいる。今回の木村戴冠には、〝中高年の星〟を応援するファンの願いが後押しした。勝負の世界では空気が結果を左右することがしばしばある。敗れた豊島には来月、広瀬章人竜王との頂上決戦が控えている。
マニックスは俺にとって人生と重なるバンドだ。今回のライブは5th「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」(98年)20周年を記念したツアーの一貫で、サポートアクトはアジアン・カンフー・ジェネレーションが務めた。初めて聴くバンドだったが、開放感あるギターサウンドに和みを覚える。
アジカンは25分ほどでステージを去ったが、自身が主催したフェスに出演してくれたマニックスへの敬意を語っていた。興味深かったのは「洋楽のライブに人が集まらなくなっている」とMCしていたこと。<内向きの日本>と<国際標準>の乖離を前々稿、前稿で記してきたが、ロック界でも同様のことが起きている。
「ディス・イズ゙――」はヴァーヴ「アーバン・ヒムズ」(97年)、マンサン「SIX」(98年)、トラヴィス「ザ・マン・フー」(99年)とともに、オアシスとレディオヘッドが失速した後、UKロックを牽引した一枚だ。前半はほぼ「ディス・イズ゙――」の曲順通り、後半は代表曲が次々に演奏される。
ラグビーW杯開催中でもあり、来日中のウェーズ人が多く詰め掛けていた。小規模のハコでマニックスを聴けたことは僥倖だったはずだ。客席とのやりとりでホーム感を覚えたのか、2時間弱の気合の入ったショーになった。齢を重ねてソリッドかつシャープになっており、ジェームスの声にも艶があった。13th「レジスタンス・イズ・フュータイル」(18年)は「ディス・イズ――」に迫る傑作だったが、収録作「インターナショナル・ブルー」を後半に演奏した。
「ディス・イズ――」セットのラストは、スペイン市民戦争時の詩に着想を得た「輝ける世代のために」だ。<これを黙認すれば、おまえの子供たちは苦しみに耐え続けなければならない>というフレーズが3・11直後、若年層の体内被曝を憂えた俺の脳裏に鳴り響く。再び政治に関わるきっかけになった曲だった。
妹が翌年召された時、「エヴリシング・マスト・ゴー」を毎日のように口ずさんでいた。リッチー・エドワーズの失踪(08年に死亡宣告)を経て作られた同曲の歌詞は、<全ては過ぎ去っていく>という諦念、無常観に近い。妹の死が、リッチー不在に打ちひしがれたバンドと重なり、喪失の哀しみを共有したことでマニックスとの縁はさらに深まった。
ラストの「享楽都市の孤独」のPVは日本で制作された。イントロが流れた時、あやうく涙腺が決壊しそうになり、沈黙のまま唱和する。
♪文化は言語を破壊する 君の嫌悪を具象化し 頬に微笑を誘う 民族戦争を企て 他人種に致命傷を与え ゲットーを支配する 毎日が偽善の中で過ぎ去り 人命は安売りされていく 永遠に……
四半世紀前、マニックスは反資本主義を歌詞に織り込んでいた。ジェームス、ニッキー、それにリッチーの3人の詩人が、マニックスの知性と世界観を支えている。アンテナが錆び付いて新規開拓は難しいが、馴染みのバンドやアーティスト――マニックス、そして前稿で紹介した頭脳警察etc――とともに老いていきたい。