<3445> 作歌ノート 曲折の道程 (十)
雁の絵の雁の羽ばたき 雨の日の 風の日の 淋しかる日の君の
言葉たらんとしてある言葉を信ずるなかれ
思ひたらんとしてある言葉のみを信ずべし
私には理解者がいないとあなたは嘆くか。孤独はかくして生まれるが、厳しく淋しい中で孤独は誇らしいものである。信念を持って歩きたまえ。あなたの道は険しいが、そうすれば、きっと開かれたものになろう。
見え隠れする理解者の言動などが何になろう。あなたが期待する理解者はどれほどあなたに応え得るか。期待する理解者ほど当てにならないものはない。身勝手にして、平気であなたを裏切る。孤独自身があなたの一番の理解者である。もちろん、この孤独を曲解してもらっては困る。ここで述べたい孤独というのは、内に籠るという意味の孤独ではない。
友よ、誇らしい孤独者であれ。思想、そう、巨視的眼差しをもってあること。人格、そう、孤独を分かつものたるところ。そして、すべてを包み込む、そう、愛する許容の器たらんこと。それでよい。これだけ揃えば、友よ、言うことはない。さあ、行くがよい。
あなたは感じるはずである。雨の日も、風の日も、雪の降る日も、淋しさがつのる日も、雁の絵の雁の羽ばたきが天を指しただ一羽。そう、昇り行く姿に孤高の精神を見、画家がこの雁に憧れをもってあったことを。友よ。孤独を抱いて行くべくあれ、そして、誇る孤独者であれ。それが、あなたの自然体としてあれば、言うことはない。友よ、孤独は悪くない。そのことを雁の絵は語っている。
なめらかに添ひ来るものを恐れゐよ心の襞を過る言葉も
弾む声その足る声のさ中にてニーチェの声す友よ孤独を
友よ。私たちの周りには、心を惑わせるものが多い。言葉もその一つである。言葉たらんと欲する言葉、例えば、滑らかに添い来る言葉、その言葉に気をつけよ。そして、思いとしてある言葉。例えば、心から弾んで出る声としてある言葉、この言葉に偽りはない。友よ、そこを見極めよ。私は『旧約聖書』「詩篇」の第一篇冒頭の言葉を思い起こす。
悪しきものの謀略に歩まず
罪人の道に立たず
あざけるものと座を同じくせぬ
その人に幸あれ (関根正雄訳)
そして、友よ、雁の絵の羽ばたく雁とともに行くべくあれ。如何なる孤独も信念を曲げずあるものは美しい。友よ、美しく羽ばたくべくあれ。 写真は『旧約聖書』の「詩篇」。