大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2021年06月01日 | 写詩・写歌・写俳

<3423>  野鳥百態 (21)  ツバメの子育て

               

    生きるに

        食が足りて

        何ごとも

        可能になる

 五月から六月のこの時期、馴染みのある身近な野鳥の一つツバメにおける子育てが見られる。人家の軒先などに泥土を積み上げて巣を作り、人をあまり怖がらないところがあるので、間近で観察出来る。ここではその私なりの観察結果による話である。

 普段見かける鳥の中で、ツバメほどよく飛ぶ鳥はいない。四六時中飛んでいる。それも猛スピードで自在に。宮本武蔵と果たし合いをした佐々木小次郎のツバメ返しの太刀捌きは名高いが、これはツバメの敏捷な飛翔に擬えたもの。その敏捷さは一つには空中でエサの虫などを捕食するためである。

   素早く飛ぶだけでなく、空中の小さな虫を猛スピードで飛びながら瞬時に見つけ捕まえる。その動体視力にも他の鳥たちの追随を許さない能力がある。水を補給するときも池などの水面を勢いよく飛びながら、瞬時に嘴を水に差し入れて飲む。飛びながら瞬時に飲むというのが実に曲芸的で見ていて飽きない。ほかの鳥が真似の出来ないところである。

 ツバメはこうした能力によって生活を成り立たせているからであろうか、子育てのやり方がほかの鳥と少し違うところがある。それは巣立ってからの違いである。卵が孵って巣立つまでは他の鳥と同じく、親鳥がせっせと巣にエサを運ぶ。それを雛たちが口を大きく開けて待ち受ける。まことに愛らしい光景である。そして、雛たちは徐々に大きく成長し、巣立ちの時を迎える。

   巣立ちのはじめは巣の近くの梁などに並んでエサを運んでくれる親鳥を待つが、自分でも飛べるようになると、近くの電線などに移り、まだ自分ではエサが捕れないのでひたすら親鳥を待つ。ここまではほかの野鳥と変わりない。そして、次の段階に進む。ここからがツバメの異なるところである。それは十分に飛べるようになった幼鳥が親鳥を追い空中で飛びながらエサを口移しにもらうというもの。それは一瞬で、飛びながら捕食するツバメの習性における訓練と見て取れるところがある。

   野鳥たちを見ていると、いつも動き回ってエサをあさっている感を受けるが、動くイコールエネルギーの消費という点を考えると、あのような行動になるのだろう。ツバメはそれに輪をかけたように四六時中エサを求めて飛び回っている。逆に言えば、飛び回っていないと食とエネルギーのバランスが取れず、生きて行けない。つまり、動き回れば十分なエサが空中で得られることなのだろう。

   ツバメについてよく聞く話に、ツバメが低く飛ぶときは雨になるというのがある。これは空中の湿度によると言われ、雨になるときは湿度が高く、その関係でエサの虫が低いところに集まるからという。とにかく、ツバメはよく空中で食物を補給する。この習性のため子育てのときの訓練としてともに飛びながら空中で瞬時にエサを与えるのではないかと思える。

   田起こしをすると、土の中の虫が田の面に現れる。これに飛びつくのがムクドリであるが、ツバメはあまり関心を示さず、飛び回っている。ということは、空中に結構エサになる虫が多いということなのだろう。とにかく、食が足りて次があるということである。

 写真はツバメの子育て。左から巣における光景、電線にとまった子にエサを運ぶ親鳥、木の枝先で待つ子に横からほかの子が飛びかかりエサにありつく光景。その後は空中でエサをもらう行動に移る。