<3433> 作歌ノート 曲折の道程(九)
斯くはあり生きゐることが真実のほかならぬこの身のほどの夕
王死す。私の心の中に君臨していた矜恃の王が滅んだ。そのときからダンデイ ズムを失った私の心は何に向かってか身繕わねばならなくなった。弔いの半旗は晴れ渡る空の中にあって、極めてはっきりと堰き止める心を意識させた。
辛さをともなった怒りと悲しみ。そして、淋しさ。もしかして、この青空の下の半旗は青春との訣別を意味するものではなかったか。それからの課題として、「人生軽からず」と、半旗は訴えていたかに思えた。
この一欠の仕儀によって、私の生計は構築し直すことを余儀なくされた。しかし、決然として思った。よしや凍らんとも、半旗を掲げて、なお歌わんことを。そして、歌を作ることは新たなる構築の支えになると。また、失って得るもののあることを。
『侏儒の言葉』にしても『もの思う葦』にしても、先人が感得し思いを込めて述べた箴言は私に及んだ。ときに胸襟の中の水位を思い、その水位を保つべく、鍛え養って行かねばならないと思った。私の旅は果して不条理の呪縛から解き放たれる旅になり得るか。さらば青春。さらば青春の友よ。という重き選択。果たして、人生は続く。時は許容するごとくあり、生きることが真実として。 写真はイメージで、波。
褶曲の山と谷とに断たれたる往還さぶき鷺の夕暮
「王死す」と告げねばならぬそのゆゑの心を言はば頭上の半旗
堰き止めし心ははたと身繕ふ晴れ渡る空の下なる半旗
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弱さにてありける心ひもじさも乏しさもみなこの居に尖る
思ふ身となりにけるかも斯くはあり心閉ざさず言葉に対す
祈願あり波上に顕ちしたまゆらを鳥影急使のごとく胸中
目つむれば問ふものあまた現るる思ふは瑠璃王朝なる矜持
裸身動くことなく去年の雪を積むよしや凍らば歌心なほ 去年(こぞ)
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許容されそして許容し来たる旅人生ここに齢を重ね
曲折の道程にある矛と盾または光と影のうちそと
尽日のその日の後も一塊の貧弱の身のほどを貴ぶ 貴(たっと)
知りしこと神の情けの一欠けらこの身に及ぶ 生とはまさに