大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月23日 | 写詩・写歌・写俳

<812> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (48)

            [碑文]         山常庭 村山有等 取与呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加万目立多都                                      怜( )  國曾 蜻嶋 八間跡能國者                                                            舒明天皇

 この長歌は『万葉集』の巻頭第二番目に登場する第三十四代舒明天皇の歌で、歌碑は「天皇登香具山望國之時御製歌」の題詞とともに冒頭の碑文に掲げたごとく原文表記によって刻まれ、橿原市の天香久山(天香具山・一五二メートル)の西麓に西面して建てられている。語訳によると、題詞は「天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌」となり、歌は「大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は」となる。なお、碑文の( )内には忄に可の文字が入る。

 この歌は天皇が大和平野を一望出来る香具山に登って国の様子を望んで詠んだもので、歌によると、人々が生活を営む平野では各所で煙が立ちのぼり、水辺では水鳥が盛んに飛び交っているというもので、この歌からは平和で穏やかな国見の風景が伝わって来る。これは取りも直さず治世がよくいっていることを示すもので、天皇にはこの上ない眺望であったことが、この歌からはうかがえる。

                                                 

 煙については、民のかまどの煙であろう。電化が行き届いた昨今では見られない風景であるが、かまどを用いて煮焚きをして生活していた当時はこの煙が庶民の生活の様子を示すバロメーターのようなものだったことが推察出来る。この天皇の国見に登場する煙の話は仁徳天皇に遡り、『古事記』や『日本書紀』にその記載が見られ、時代を下った中世の『新古今和歌集』には仁徳天皇御製の「たかき屋にのぼりてみれば煙立つたみのかまどはにぎはひにけり」(707)という歌が賀歌冒頭に見える。

 この新古今の歌は記紀の記事に従うもので、『古事記』の仁徳天皇の条には、「国の中に煙発たず。国皆貧窮し。故、今より三年に至るまで、悉に人民の課(みつぎ)、役(えだち)を除(ゆる)せ」とのりたまひき。ここをもちて大殿破れ壊れて、悉に雨漏れども、都(かつ)て脩め理(つく)ることなく、うつはものをもちてその漏る雨を受けて、漏らざるところに遷り避けましき。後に国の中を見たまえば、国に烟(けぶり)満てり。故、人民富めりと為(おも)ほして、今はと課(みつぎ)、役(えき)を科せたまひき。ここをもちて百姓(おほみたから)栄えて、役使に苦しまざりき。故、その御世を称えて、聖帝(ひじりのみかど)の世と謂ふなり」とある。

                    

 つまり、仁徳天皇の歌も舒明天皇の歌も、この国見の歌は民を思いやる皇統が有する精神性に基づくもので、現今にも見受けられることが思われる。東日本大震災の後、天皇皇后は何度か被災地に赴き、被災の惨状を目の当たりにされて来た。また、福島第一原発の事故の終息がつかず、国の借金も増えてゆくばかりの状況下を察せられたのであろう、天皇にはご自分及び皇后の陵墓について、規模をコンパクトにする旨の御意志を述べられたのであった。

 この天皇の御意志は仁徳天皇の国見の歌の精神に通じるもので、徳をもってある皇統の精神性が思われ、『古事記』が伝える仁徳天皇の「聖帝の世」と重なるところがうかがえる。舒明天皇の国見の歌碑を見ていると、民はその天皇の眼差しの下で幸せに暮らしたに違いないと思えて来る。

 だが、ここで一言加えたいのは、こうした天皇の腐心の足許で、自分の懐を肥やす政権亡者がいるという嘆かわしい現状も見られることである。このほども発覚した。選挙応援者から受け取った五千万円をちゃっかり自分の懐に入れ、選挙応援者が刑事事件で立件され始めると、具合が悪いとみたのだろう、この件に頬かむりをするような手立てを取るということがった。これは天皇の心内など嘲笑うがごとき所業であるが、こういう御仁が首都の政治をやっているということに私などはうすら寒さを感じる。この舒明天皇の歌碑を見ながら一方ではこのようなことも思われた。

  上段の写真左は香具山の麓に建つ舒明天皇の国見の歌碑。右は穫り入れの後、田んぼで簸屑を焚く光景(イメージ)。下段の写真は明日香村の甘樫の丘から北方を望んだ大和平野。右後方のなだらかな山が香具山。中央遠くに見える円錐形の山は耳成山。右手前の辺りに舒明天皇の飛鳥岡本宮があった。  新嘗祭 この一年の よき日かな