大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月01日 | 写詩・写歌・写俳

<790> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (44)

          [碑文]      いかるがのさとのをとめはよもすがらきぬはたおれりあきちかみかも                           会津八一

 この歌は、会津八一が大学を卒業し、新潟の郷里で英語教師に就いた翌年の明治四十一年(一九〇八年)八月にはじめて大和を訪れたときに詠んだ二十首中の一首で、『南京新唱』に「法隆寺村にやどりて」と題して見える二十七歳のときの歌である。自註などを参考に漢字を交えてみると、「斑鳩の里の少女は夜もすがら衣機(きぬはた)織れり秋近みかも」ということになる。

 『自註鹿鳴集』はこの歌について、「ここに詠める機(ハタ)の音は、作者が明治四十一年(一九〇八)の八月、夢殿に近き「かせや」といへる宿屋にやどり、夜中村内を散歩して聞きしものなり。高浜虚子君が『斑鳩物語』(イカルガモノガタリ)の中に同じ機の音を点出されしは、この前年なりしが如し。しかるに、この後久しからずして、この機の筬(ヲサ)の音は再びこの里には聞えずなりしといふ」と言っている。

                                                                         

 虚子は明治三十八年四月に京都、奈良に遊び、斑鳩にも足をのばした。『斑鳩物語』は、このときに想を得たのではないかと言われる。虚子は俳人で知られるが、俳句を中心にした文芸誌「ホトトギス」を引き継ぎ、これによって文筆活動に熱を入れ、連載した夏目漱石の『吾輩は猫である』などに刺激を受け、小説家を志したときもあった。『斑鳩物語』はこうした虚子の文筆活動の中で生まれた作品の一つにあげられる。

  で、『斑鳩物語』は、明治四十一年一月に出された短編で、虚子が宿泊した旅館「大黒屋」の手伝人で近くに住むお道という娘と了然という若い僧の淡い恋を、余(自分)の目撃譚という形で描き、菜の花や梨の花が咲く春の斑鳩の里を点描しながら物語を展開させて行く。このお道は働きもので、旅館の手伝いをしながら夜は機織りをした。

  八一が『自註鹿鳴集』で言っているのは、このお道が織る機の音で、斑鳩の里では当時どこの家からもこの機の筬の音が聞かれ、虚子も八一もこの筬の音に心を惹かれたのである。八一が言うように、この機織りは絹織物ではなく、大和高田が主産地であった綿を素材とする大和絣を織るもので、これはもっぱら各家の婦女子が担当し、この筬の音は夜遅くまで聞かれたようである。

                              

  虚子の『斑鳩物語』によって夢殿の南門前の旅館「大黒屋」はよく知られるところとなり、法隆寺に近い関係もあって、ほかの二軒の旅館ともども、志賀直哉、里見弴、堀辰雄など文人諸氏もよく利用し、繁盛した。まだ、鉄道の便などが十分でなく、交通の不便を託っていた時代であったことにもより、法隆寺の門前町の佇まいの中にこうした旅館業も十分に営んで行けた。

 だが、時代の趨勢は容赦なく、八一の『自註鹿鳴集』の証言によれば、機織りの筬の音は、久しからずして斑鳩の里から消えて行くことになり、旅館業もモ―タリゼ―ションなど、近代化の波に飲み込まれ、宿泊者が徐々に減少し、衰退の道を辿った。

 堀辰雄の『大和路』における斑鳩の里の項は昭和十六年(一九四一年)秋のことで、間もなく太平洋戦争に突入するという緊迫した世上にあったことにもよるだろうが、次のような記述がある。「いまはもうこの里も、この宿屋も、こんなにすっかり荒れてしまっている。夜になったって、筬を打つ音で旅人の心を慰めてくれるような若い娘などひとりもいまい」と。その後も、斑鳩の里を訪れる人は増えたけれど、法隆寺に立ち寄って直ぐさま別の場所に向う旅行者がほとんどで、旅館業はいよいよ難しく、残った「大黒屋」も旅館を縮小し、今は跡地を駐車場に当てているのが現状である。

 この状況は一「大黒屋」のみのことではなく、規模の大きい奈良市内などでも言える大和路が抱える地域的課題として見受けられる。この碑文の歌碑はこの「大黒屋」から二キロほど離れた聖徳太子が晩年を過したと言われる飽波葦垣宮の伝承地とされる斑鳩町法隆寺南の上宮遺跡公園内に建てられている。公園には他にも石碑が多く見られるが、行政の思案によるところではないかと思われる。写真の上段は八一の歌碑と歌碑のアップ。下段は左から夢殿。夢殿の南門(現在は閉じられている)。夢殿南門前の旅館「大黒屋」の立て看板。  夢殿へ 夢見にゆかむ 秋日和