大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月02日 | 写詩・写歌・写俳

<791> 大和寸景 「 干 瓢 」

       収穫を終へし安堵の見ゆる里 百舌の声する一景の秋

 干瓢(乾瓢・かんぴょう)はウリ科の蔓性一年草で、実は瓢(ふくべ)と称せられ、果肉を帯状に剥き、天日干して食材にすることからこう呼ばれるようになった。正式な和名はユウガオ(夕顔)で、これは、夏に白い漏斗状の花をつけるが、この花が夕方に開くので、朝咲くアサガオ(朝顔)に対し、この名がつけられた。

  ところが、食材にされる干瓢の方が一般によく知られる名となり、この植物全体も干瓢と認識され、干瓢の名が通るようになった。このような事情により、ユウガオと干瓢が同じものであるということが認識出来ない人も少なからずいるところとなっている。

  ユウガオは『源氏物語』に夕がほの卷があるが、これは、はかなくあわれな薄幸の女性に当てた名で、花が夕方に咲き、朝方には萎むことに関わって付けられたものと思われる。実の方の実績も古く、『延喜式』(九二七年)に大和国の産物として登場している。なお、紛らわしい話であるが、ユウガオについては、今一つヨルガオの別称があるヒルガオ科ユウガオ属のユウガオがあるので注意を要する。

 前置きが長くなったが、今日はユウガオの実である瓢、つまり、干瓢(乾瓢)の方の話である。干瓢と言えば、栃木県が有名であるが、これは食用にする干瓢である。大和では斑鳩町の白石畑(しらいしばた)や宇陀市の赤埴(あかばね)など何箇所かで干瓢の作付けが行なわれているが、大和のものはスイカの台木用の種を採るためで、販路も用途も異なる。

                              

 大和は江戸時代のころからスイカの産地として知られ、大正時代に県の農業試験場によってスイカの品種改良が行なわれ、「大和スイカ」の誕生を見た。その後、このスイカはブランド化されて行った。大和では、イチゴのハウス栽培が盛んになり、スイカの生産地は減少して行ったが、大和の種苗会社は「大和スイカ」の種を売り出し、現在では全国シエアー八十パーセントに及ぶというほどで、大和でのスイカ生産量は少なくなっているけれども、全国に及ぶ種の出荷によって「大和スイカ」のブランドは堅持されているという。

 スイカは夏の人気を誇る果物の一つで、リレー栽培が行なわれ、全国各地で作られている。種苗会社は「大和スイカ」の種とともにスイカの台木用の干瓢の種をセットにして全国に出荷しているわけである。台木用の干瓢は食材用の干瓢と品種が異なり、果肉に苦味があるので食用には向かないという。だが、その苗は丈夫に育ち、スイカを接ぎ木するのに適しているという。

  収穫した楕円形の大きな実はへた側の一部を切り取って穴を開け、中に空気を入れて果肉を腐らせ、種だけを収穫する。種は扁平な矢羽のような形で、長さは二センチほど。天日に干して選別した後、出荷するという。連作を嫌うので、隔年に畑を使うということである。写真は左が干瓢(ユウガオ)の花。雌雄同株で、これは雄花(宇陀市榛原の赤埴で)。中央は先端を切って穴を開け、並べられた干瓢の実。右は天日干しをする干瓢の実。この実はスイカに変身する(いずれも斑鳩町白石畑で)。