大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月10日 | 写詩・写歌・写俳

<799> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (45)

          [碑文]      ほすゝきに夕ぐもひくき明日香のやわがふるさとは灯をともしけり          折口信夫(釈迢空)

 折口信夫(釈迢空)の大和における歌碑は何点か見受けられるが、それらの歌碑には三つの視点が与かっているように思われる。彼は国学者であり、民俗学者であり、歌人であり、国文学を民俗学の分野から迫ったことでも知られる。また、小説、詩、戯曲も手がけた。中でも二上山の麓の當麻を舞台にした悲劇の人、大津皇子の蘇生を描いた古代の幻想小説である『死者の書』は名高く、評価が高い。加えるに、短歌における論評も盛んに行って来たので、ときには評論家としての一面もあった。

                 

 で、第一には国学者の立場から神社に歌碑が集中的に建てられていることがあげられる。第二にはこの『死者の書』に関係して建てられたと思われる歌碑が當麻の里に見られること。第三には、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の境内に建てられている冒頭の碑文の歌碑がある。この歌碑には氏の生い立ちが関わっていることで、他の神社に建てられている歌碑とは少しニュアンスを異にするところがある。で、大和における折口信夫(釈迢空)の歌碑は概ねこの三点の特徴をもってあるのがわかる。

 折口信夫が本名で、釈迢空は歌人としての名で、ここは歌碑の話であるから、以後は迢空の表記で話を進めていきたいと思う。迢空は明治二十年(一八八七年)に大阪府西城郡木津村(現大阪市浪速区)に生まれたが、生家は代々生薬屋で、祖父母は両養子であった。祖父酒造ノ介は明日香村岡寺出身で、飛鳥坐神社の第八十一代宮司飛鳥助信の養子となり、その後、折口家に入った。祖父は女子を儲け、彼女が迢空の母で、父を養子にもらって迢空はこの世に生を得た。言わば、迢空にとって飛鳥坐神社は生い立ちに関わる縁の神社で、明日香は心の故郷であった。

 それを決定づけたのは、明治三十七年(一九〇四年)、十七歳のときに、當麻、奈良、飛鳥を旅したことによるという。祖父の故郷の家である飛鳥家との旧交を復し、父祖の地明日香を通して古代への憧憬と関心を抱き、国学の道を志して、翌年、国学院大学に進んだ。碑文の歌は明日香の里の秋の夕暮の光景を詠んだものであるが、歌の中で「ふるさと」と言ったのはこの事情による。

 歌碑に添えられた説明によると、「若き日の旅の道すがら秋深い当地(明日香)の風趣に思い沁みて詠まれたもので、昭和三十二年(1957)に建立された」とあるが、この明日香に寄せた迢空の思いは生涯変わることはなかった。所謂、飛鳥坐神社は迢空の膨大な生涯の事業の原点とも言ってよい縁の神社であって、他の神社の歌碑とはこの点において少し趣を異にする。なお、他の神社の歌碑は次の通りである。

                           

   [橿原神宮]           畝傍山 かしの尾のへに 居る鳥の 鳴きすむ聞けば 遠代なるらし

   [大神神社]           やすらなる いきをつきたり おほ倭 山青がきに 風わたる見ゆ

   [春日大社]           この冬も 老いかがまりて 奈良の京 たきぎ能を 思ひつつ居む

   [談山神社]           神寶 とぼしくいます ことのたふとさ。 古き社の しづまれる山

                  人過ぎて、 おもふすべなし。 傳へ来し 常世の木の實 古木となれり

                  きその宵 多武の峰より おり来つる 道をおもへり。 心しづけさ

                  いこひつゝ 朝日のぼれり。 幾ところ 山のつゝじの 白きさびしさ

                                  わが居る 天の香具山。 おともなし。 春の霞は、 谷をこめつゝ

 これら歌碑にある歌を見てみると、古い歴史の上にある大和の風土に愛着をもって接していた迢空の一貫した思いというものが感じられ、折口信夫(釈迢空)を語るに、大和という地は決して外せないことが言えるように思われる。なお、當麻の里のお寺の境内にある歌碑は次の通りである。

     [石光寺]         牡丹のつぼみ いろたち来たる 染井寺 にはもそともも たゞみどりなる

   [当麻寺中之坊]      ねりくやう すぎてしづまる 寺のには はたとせまへを かくしつゝゐし

 写真上段は、左が石舞台古墳の飛鳥歴史公園の風景、中央が甘樫丘から見た飛鳥坐神社の森(手前は飛鳥の集落)、右が飛鳥坐神社の歌碑。写真下段は、迢空の歌碑群。左から橿原神宮、大神神社、春日大社萬葉植物園、談山神社の歌碑(第二歌集『春のことぶれ』に所収された「多武峯」と題された五首が見られる)。  旗すすき 昔を今に 語るごと