大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月22日 | 万葉の花

<811> 万葉の花(114) ほほがしは (保寶我之婆、保寶我之波) = ホオノキ (朴の木)

           朴の花 天に向ひて みな咲けり

   わが背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)                                            巻十九 (4204) 恵  行 

   皇神祖(すめろき)の遠御代御代はい布(し)き折り酒(き)飲みきといふ此のほほがしは                         巻十九 (4205) 大伴家持

 冒頭にあげた二首は巻十九に「攀ぢ折れる保寶葉(ほほがしは)を見る歌二首」の詞書をもって見える歌で、4204番の歌には「講師僧恵行のなり」、4205番の歌には「守大伴家持のなり」という左注が見える。講師は諸国の国分寺に置かれた僧官で、国師とも言われ、国ごとに一人置かれた。守は国守のことで、地方の国を任された長官である。

 言わば、僧恵行の4204番の歌は、「わが君(家持)が捧げ持つほほがしははあたかも天子に差しかける青い蓋(かさ)に似ているなあ」という意で、位の高い家持を持ち上げて詠んだ歌とわかる。これに対し、家持の4025番の歌は、「天皇の遠い御代御代には広げて折って酒を飲んだというこのほほがしはであるよ」と、僧恵行の歌を引き取って、まんざらでもない気分で詠んでいるのがうかがえる。

 ほほがしはの見える歌は集中にこの二首のみであるが、何故にほほがしはは折り取られ捧げ持たれていたのだろうか、この二首のみではわからない。宴の儀礼にでも用いたのか。「捧げ持てる」という言い方が礼を意識しているかに思われる。ヤドリギのほよを插頭にして正月の宴に臨んだ歌が家持にある。何はともあれ、この二首には、何かその場の雰囲気というものが感じ取れるようなところがある。

                                            

  ここでほほがしは(保寶我之婆、保寶我之波)なるものが何であるかが問われるところで、『新撰字鏡』によると、「厚朴 九十月採皮陰干 保々加志波」とあり、『倭名類聚鈔』には「本草云厚朴一名厚皮楊子漢語抄云厚木保々加之波乃木」とあるところから今のホオノキであると言われる。

  ホオノキ(朴の木)はモクレン科の落葉高木で、全国的に分布し、丘陵地や山地に見られる。大きいものでは高さが二十五メートル以上になる。樹皮は灰白色を帯び、平滑で、皮目が目立つ。葉は倒卵状長楕円型で互生し、枝の先に集まって車輪状につく。鋸歯はなく、裏面は白色を帯び軟毛が散生する。

  花は直径十五センチほど、黄白色で、芳香があり、五、六月ごろ枝先の葉のつけ根のところに上向きに開く。果実は袋果が集まった集合果で、長さが十五センチほど。秋に熟し、赤褐色になる。材は軟らかいが、狂いが少なく、下駄や版木、刀の鞘、家具などに利用されて来た。

  葉は味噌を載せて焼いて食べる朴葉味噌や鯖寿司を包んで作る朴葉寿司がある。昔はこの葉に食物を載せて食べた。樹皮は陰干にし、煎じて健胃、便秘薬などに用いられて来たが、これについては、『新撰字鏡』に「厚朴 九十月採皮陰干 保々加志波」とあるから、当時既に樹皮が役立てられていたことがうかがえる。 写真はホオノキの花。