大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月04日 | 写詩・写歌・写俳

<793> 個と全の問題

         個と全はいつの時代もせめぎ合ひ軋み合ひつつあるべくぞある

 生というのは止まるところを知らず、いつも動きの中にあり、決して同じであるということはない。そして、それは試行錯誤の連続であると言える。昨日が今日に続き、今日が明日に続く。この繰り返しの中で、試行錯誤は連綿となされている。個々人はもとより、個々人から構成される社会においてもこのことが言える。この営みの連綿と続く中で、時代というものも認識される。

 私たちは、今日の考え、行いがベスト(少なくともベター)であると思いながら日々を過ごしている。だが、昨日のことを今日になって思い巡らせてみると、昨日ベストだと思っていたことがそうではなかったというふうに思えることが多々ある。これは、誰もが経験しているはずで、私たちが構成している社会を考えても言えることで、昨日、今日だけでなく、去年と今年、もっと時間軸を隔てて見れば、昭和と平成というふうな見方も出来るであろう。これらにも当てはめて言える。

 例えば、行き詰まっている我が国の教育。この教育の現状を見てもこのことが言える。戦後の民主主義による教育は自由平等を基本理念として個人を尊重するという思想的立場に立って行われて来た。つまり、この自由平等が私たちの暮らしにはベストで、これに基づく教育が進められて来たのが戦後である。

  ところが、個人を中心に置く精神を柱に掲げる中で、自由は競争の激化を促し、他人を思いやるというような気持ちが個々人の中に薄れ、この状況が社会現象としても顕著に現れるようになった。こういうことになると、個人の自由と言っても、好き放題、勝手気ままはよくないというような考えが生まれて来ることになる。このような考えの風向きを得た全体主義的な論調が昨今高まりを見せるようになって来た。東日本大震災の後は「絆」というような言葉も意識され、学校現場におけるいじめの表面化などにもよって、教育の改革が言われるようになった。

                    

  ここで、所謂、「道徳」というような言葉も出て来ることになるが、道徳というのは「全」に思いを致し、それに対する「個」の奉仕を意味するもので、自分対他人、他人は多に及ぶので、これを公とする。道徳にはこの公に対して行わなければならない義務に似たところがあると言え、自由という権利とは一種互いに相入れないところがあると言ってよい。

  言わば、個人の権利を押し進めて行けば、義務は疎かになり、義務を押し付けて行けば、権利の側に不平が出るという具合になる。これはまさしく自明と言ってよく、社会はその権利と義務のバランスの上に成り立っていかなければならないと思うが、そのバランスは往々にして崩れ、私たちはその崩れの中に巻き込まれる。これに私たちが何らかの違和を感じるとき、それは社会問題としてクローズアップされて来ることになる。

     あのころはよかったなといふ述懐の言葉を過去に聞きしを思ふ

 いつの時代にもこの「個」と「全」のせめぎ合いはあり、社会に軋みを生じることがある。私たちの社会は常にこの「個」と「全」のせめぎ合う軋みの命題に直面しつつ、その営みの中で、試行錯誤を続けている。そして、この問題はこれまで「個」も「全」も、それぞれ時代に迎合しつつ調整されて来た。それで、ときには、この歌のように「あのころはよかったな」というような述懐の言葉も聞かれることになるわけである。「自由ばかりでは」と、義務の意識を推し進め、義務の側が突出して来ると、今度は自由への叫びが出て来ると言った具合である。

  復古を願う最近の右傾化の兆しを見ると、時代の行き詰まりが感じられるわけであるが、時が過ぎて、今の時代を振り返ると、また、「あのころはよかったな」という述懐の言葉が聞かれるようになるのではないかということが思われる次第である。そして、また、ここで「個」と「全」に対する意識が問題にされて来るわけである。

  「個」と「全」の変化は、言わば、限りなく繰り返されるものであることは前述の通りである。良い悪いは人々の判断であり、時代の成り行きによるところであろうが、変化の振幅は社会の動揺に繋がり、振れ幅が大きければ大きいほどその影響は大きく、それは言うまでもなく、社会の動揺を大きくすることに繋がることになる。

  昨今は、行き詰って停滞する戦後体制における社会情勢の中で、政治的変革が策謀され、右傾化の動向が政治情勢の上に勢いを増していると言ってよい。これは、所謂、「個」よりも「全」を重んじる方への回帰的現象と見てよかろうかと思うが、このようなときにこそ私たちの想像力と英知は発揮されなくてはならないと言え、今の時代はそれが試されているとも言ってよい時代であるように思われる。では、今一首。写真はイメージ。

   多は個々によりてなるなり個は感に如かずあるなり日月の下