大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月07日 | 写詩・写歌・写俳

<796> 雁が音幻想 (1)

        暁の九輪の塔の空にして雁が音またも渡り来る夢

 昨日、明日香村からの帰り、橿原市の藤原宮跡の醍醐池の傍を通りかかったとき、池に鴨の飛来しているのを見かけた。この秋はじめて見る光景だった。で、雁が音のことが思われ、少し触れてみたい気になった。雁(かり、がん)と鴨(かも)は同じガンカモ科に属する水鳥でよく似るが、雁の方が鴨より一回り大きい。鴨は大和でよく見かけるが、雁は見かけない。少なくとも、私は見ていない。

  昔は山を背にしてよく棹になって飛んでいたが、雁ではなかったように思われる。とすれば、私は雁という水鳥の実物にまだお目にかかっていないことになる。けれども、図鑑などで見ているので想像はつく。そして、雁と鴨のイメージが重なって私には見えるところがある。言わば、私にとって雁は幻想の水鳥と言ってもよかろうかと思う。  

                     

  雁は冬の渡り鳥で、春になると、北に帰り、秋になると北からやって来て、越冬する。この習性を捉えて和歌や俳句には秋の初雁が見られ、春の帰雁が言われる。和歌の捉え方からすれば、雁は北国の他所の鳥で、帰り行く雁の認識はあっても、帰り来る雁という認識によっては詠まれていないのがわかる。しかし、雁は冬の鳥であるからであろう、詠み人は、親しみを覚えつつも、この季節感の中で、来る雁に帰る雁とは違った哀れさを感じ取って詠んでいるのがわかる。

 では、雁の春秋における姿を捉えて詠んだ歌を二首ずつあげてみる。まずは、春の帰り行く雁。即ち、帰雁。次に、秋のやって来た雁を詠んだ歌。春には春の、秋には秋の趣のあることが思われる。  

  (春) 帰る雁いまはの心有明に月と花との名こそ惜しけれ                                  『新古今和歌集』巻一春歌上(62) 藤原良経

  (春) 霜まよふ空にしほれし雁がねの帰るつばさに春雨ぞ降る                             『 同 』 巻一春歌上  ( 63 ) 藤 原 定 家

  (秋) 春霞かすみて往(い)にしかりがねは今ぞ鳴くなる秋霧のうへに                     『古今和歌集』 巻四秋歌上 ( 210 ) 紀友則

  (秋) よこ雲の風にわかるる東雲(しののめ)に山とびこゆる初雁のこゑ                 『新古今和歌集』 巻五秋歌下 (501) 西 行

 『古今和歌集』から『新古今和歌集』へ。貴族の歌は移り行く。哀れな心持ちなど抱きつつ時代は進んでいった。雁の声なども人生の一端に聞き、聞く者の心において受け止められた。中世には中世の気分があっただろう。時は流れ、滞ることなく今にある。「人も雁も」という思いにあって読む雁の歌ではある。