大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月11日 | 写詩・写歌・写俳

<800> 島倉千代子の訃報に接して

       歌姫の訃報に接しゐる日なり 「人生いろいろ」 こころに点し

 十一月八日、昭和の歌姫と呼ばれ、みんなに愛されて来た島倉千代子が亡くなった。七十五歳という少し早い逝去である。昭和三十年(一九五五年)、「この世の花」でデビューし、レコードの売り上げ枚数が二百万枚に達するという驚異的なヒットとなり、世に出た。十六歳のときであり、少し年少の私には思春期に重なる歌手の一人であった。この同じ年に「りんどう峠」、続いて「逢いたいなアあの人に」を出した。

 そして、三十二年には「東京だヨおっ母さん」を出し、これが大ヒットしてNHKの紅白歌合戦に初出場を果たし、スターの座を不動のものにした。紅白歌合戦には通算三十五回出場している。以後、三十三年の「からたち日記」、四十一年の「ほんきかしら」、四十三年の「愛のさざなみ」とヒット曲を世に出し、暫くおいて、六十二年(一九八七年)、「人生いろいろ」によってカムバックし、これが大ヒットして再び脚光を浴びた。最近では平成二十四年(二〇一二年)に「愛するあなたへの手紙」を出し、生涯に千五百曲を越える歌を歌って来たと言われる。

 おおよそ以上のごとくであるが、これは既に語られていることで、なお詳しくも触れられているので、ここは少し視点を変えて彼女の歌を振り返ってみたいと思う。デビュー曲である「この世の花」にも歌の中に花が登場するが、彼女の歌には花の出て来るものが多く、この花に関して彼女の歌について見てみたいと思う。

 「この世の花」に登場する赤い花、青い花は何の花か特定出来ないが、初期の歌をあげてみると、「りんどう峠」のリンドウ、「東京だヨおっ母さん」のサクラ、「からたち日記」のカラタチ、「東京の人よさようなら」のツバキ。ほかにも、レンゲ、ワスレナグサ、スズラン、リンゴ、ホウセンカ等々。そして、「人生いろいろ」に至ってバラとコスモスの登場を見る。

                          

 彼女の歌に登場するこれらの花は、ほとんどが明るく華やかに咲く花ではなく、か弱い乙女心に添う花であったり、慎ましくもけなげに咲く花のイメージがうかがえる。これは女性らしいやさしさを秘めた彼女の美しい声の特質を作詞作曲家が認識におき、その声並びに彼女のイメージを歌に生かすことを考慮して作品に仕上げていることによると思われるが、彼女はそれによく応え、その美声に乗せて歌ったのである。

 花というのは、咲き誇る旺盛な花ばかりが花ではなく、蕾で散る花もあれば、誰の目にも触れることなくひっそりと咲く花もある。これは人生に重ねて思われる質のもので、これらの花は私たちの傷心を慰めてくれる花でもある。そのような花の方が、恋もあれば、失恋もある人生の中では、私たちの心に添い来るところがある。

 そのような心持ちの乙女心を担って彼女は歌ったわけであるが、彼女の声の特質はこれらの歌にぴったりだったのである。言わば、彼女の愛しくなるようなやさしい美声に歌は適合し、歌の中の花はその気分を高め、聞く者の心に沁み入って来たのである。

 彼女がデビューした当時は演歌(歌謡曲)の全盛時代と言ってよく、女性歌手ではその最右翼に美空ひばりが存在していたわけであるが、彼女の女性的なやさしく美しい歌声はひばりの魅力とは一味違うところで存在していたと言ってよく、ひばりと同時代を担って来た昭和の女性歌手だったと言ってよいように思われる。

 一方、私生活における彼女の人生は波乱に満ちたもので、多くの苦難を越えて来たことは、これも既に多く語られているので、ここで敢えて触れる必要はないが、ただ、その苦難にも負けず頑張って歌の道を貫いたということについては一言触れておきたいと思う。彼女が歌の道を全うし得たのは、彼女自身のやさしさの中に強さが秘められていたからであるが、彼女の歌に魅せられた多くのフアンや仲間たちの支えが大きかったということが思われる。

 後年に大ヒットした「人生いろいろ」はそうした彼女の歌手としての人生そのものを歌っているように思われるエポック的な歌で、この歌にもバラとコスモスの花が歌い込まれているが、この歌に見られるバラもコスモスも人生の苦境に接してあったときの花で、決して明るい花ではなく、同じ浜口庫之助作曲の「バラが咲いた」に登場する幸せのバラとは内容を異にし、思いを深くさせられるところがあると言えるバラである。

 この歌がヒットしたのは、波乱万丈の人生を乗り越えて歌の道を貫くべく歌に専念する彼女自身に重なるところがあり、聞く者は励まされるところがあった。この歌は、一種人生を達観した歌であり、歌う彼女自身をも慰め励ます歌で、真摯に歌う彼女の歌を聞く多くの聴衆は感動を受け、励まされて来たのである。

 歌謡曲の重要な特質の一つは、人生の応援歌という意味を持っていることであるが、殊にこの「人生いろいろ」にはそれが言えるように思われる。そこには苦境に立つ人たちに共感をもって迎えられるバラやコスモスといった花が歌の中に配置され表現されており、点景ながら聞く者を慰める要素になっているのがわかる。

 この点において「人生いろいろ」は彼女にとって重要な意味を持つ歌であったと言ってよく、波乱万丈の人生が如何に批評されようとも、彼女が一生を歌に捧げ、多くの人に愛されて来たか、その証としてあることが言える。彼女の多くの歌の中に散りばめられた花とともに本人自体はいろいろとあったけれども、その歌は私たちの心に至り、慰め励ます存在としてあったことが言えると思う。写真はイメージ。左からリンドウ、サクラ、カラタチ、ツバキ、バラ、コスモスの花。