<805> 半 月
半月は半月にして冴ゆるなり 如何に語れど人は語れぬ
満月が月のすべてではない。半月もまた半月にして冴えるところ。半月が満月の気分に遠いと言うなら、満月も半月の気分に遠いと言える。互いに持ち味というものがある。もとは同じ月である。このことを忘れてはなるまい。
血縁といふその言葉 人はみな同じ流れる血をもって立つ
同じ空 同じ大地に瞠ける ましてや同じ眼なりけり
月の満ち欠けを言えば、人にも言える。満ち欠けは世の常である。人もさまざま。それぞれに持ち味というものがある。そして、同じ流れる血をもち、同じ眼をもってある。
問ふもよし語らふもよし告げゆくも されど見上げる月影の色
問はば問へ 語らば語れ しかるのち やさしさまさる心に至れ
問うこともよかろう。語ることもよかろう。だが、常に満ち足りているということなど決してあり得ない。満ちているのがよく、欠けているのが悪いという道理はない。ましてや、満ち欠けなどわかるものではない人の心情を思えば、いかに巧みに言葉を連ねても、人は決して語れるものではない。
汝の目と我が目と二つあるところ 我が目選ばれてあるにはあらず
何処より来たりしものか 我もまた旅人 ここにまみゆるところ
満ちていようが、欠けていようが、みな同じ月であり、同じ人である。月を見れば、月に情けもうかがえる。その目に差異はあっても、選ばれてあるものではない。月は満ち欠けしつつ時を巡る。私たち生きとし生ける人たる身はみな何処よりか来たって何処へか移り行く。満ち欠けはあっても、つまりはみな何処へかの旅人である。見栄も張りたかろう。他者とも比べて見たかろう。されども、みな元をただせば、同じ月であり、同じ人である。
満ちゆける月と欠けゆく月とあり ここに立つ我が思ひの中に
冴ゆる月おぼろなる月やみの月 こころに添へるなさけなる月