大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年11月05日 | 万葉の花

<430> 万葉の花 (51) うけら (宇家良)=オケラ (朮)

        おけら咲く 言葉を添へて みたくなる

     恋しけは袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出(づ)なゆめ                  巻十四 (3376) 詠人未詳

    いかにして恋ひばか妹に武蔵野のうけらが花の色に出(で)ずあらむ                    3376番の歌 の 左 注 の 歌

    わが背子を何(あ)どかも言はむ武蔵野のうけらが花の時無きものを                  巻十四 (3379) 詠人未詳

    安齊可潟(あぜかがた)潮干のゆたに思へらばうけらが花の色に出めやも                巻十四 (3503) 詠人未詳

 『万葉集』にうけらの登場する歌は四首(左注に見える或る本の歌一首を含む)。四首とも巻十四の東歌の項に見える相聞の恋歌である。その中の3503番の歌を除く三首は武蔵国相聞往来の歌九首の中に見える歌である。言うならば、『万葉集』に出て来るうけらは武蔵国をはじめとする関東地方のうけらということになる。

 うけらは現在のオケラ(朮)のことで、オケラはうけらの転訛したものと言われる。オケラはキク科の多年草で、草丈は一メートルほど、葉は長い柄を有し、三から五裂して、縁に刺状の鋸歯がある。雌雄別株で、茎の先端に魚の骨のような総苞片に守られた白い筒状花を集めた頭状花を晩夏のころから秋にかけて咲かせる。花はアザミに似て、ときに紅色を帯びるものも見られる。四首の万葉歌はみなこの花に寄せて詠んでいる。

 昔は「山でうまいはおけらにととき、嫁に食わすも惜しゆうござる」と俚謡にもあるごとく、若芽を食用にし、根茎は乾燥したものを煎じて健胃、整腸の薬として用い、白朮(はくじゅつ)という生薬名で、漢方、民間薬としても知られている。また、梅雨どきに湿気やかびを防ぐために燻べて役立てるなど、庶民の生活の中で大いに利用されて来た。

 京都の八坂神社では、元旦に朮祭り(おけら参り)が行なわれ、初詣の人たちはオケラの根茎を燃やした厄避けの火を火縄に移しもらってこれを消さないように回しながら持ち帰り、その火によって雑煮をこしらえ、家内の無病息災を願うということが行われている。これもオケラの効能に結びつくもので、昔からオケラが暮らしの身近にあって、親しまれていたことを示すものと言える。

 で、うけらの四首は相聞の恋歌であるが、歌の内容から見るに、みな庶民の歌で、当時、オケラの存在がいかなるものであったかが想像される。オケラは本州以西に分布し、乾燥した山地や草原に生えるが、現在の大和の地では生育場所が極めて狭い範囲に限られ、絶滅寸前種にまで減少している。万葉歌に示されている関東方面でも減少は避けられない状況にあると思われるが、当時は田畑の傍などでごく普通に見られていたのではないかと、これら万葉歌の内容から想像出来る。

 植物に詳しい人は別にして、自然の草木と乖離した場所で暮らしを成り立たせている現代人にはオケラがどのような植物か知り得る人は稀なのではないかと思われる。だが、万葉人には歌に表現するくらいであるからみなよく知っていたことが言える。これは現代人に比べ、万葉人がより自然に接し、自然の中の植物に親しみ、関心を持っていたからということの現れと取れる。

                           

 では、冒頭にあげた四首を見てみたいと思う。まず、3376番の歌とこの歌の左注に見える歌は、「恋しかったらこちらから袖でも振りますものを、目立たない武蔵野のうけらの花のように、顔色にはお出しになさらないでください」と女性が訴えるのに対し、「どのようにすればうけらの花のように顔色に出さずにいられるだろうか」と男性の方が応えている問答歌の形になっているのがわかる。なお、袖を振る方、即ち、歌いかけている方を男性と見る見解もあるが、私は女性と見る。どうなのであろうか。

 3379番の歌は、「我が恋しい人をどう言ったらいいでしょうか。武蔵野のうけらの花のようにいつという時なく恋している」というもので、いつも恋して已まないという内容の歌であることが言える。また、3503番の歌は「安齊可潟(常陸国風土記に見える)の潮の満ち干がゆっくりなのと同じように、ゆったりとした気持ちでいられたら、目立たないうけらの花のように顔色には出ないものを」というほどの意に取れる。

 つまり、万葉歌のうけらはみな花が目立たないという視点で詠まれているのがわかる。では、なぜ、万葉人はうけらの花を目立たない花と見たのであろうか。その答えを推測すれば、これはうけらがごく身近に接触出来、実生活においてよく利用される植物でありながら、花が総苞片に被われて半分隠れた状態で咲くために目立たない花と見たのではなかろうか。写真は左が白い花のオケラ。右は淡紅色の花(奈良県の山中で)。