<455> 万葉の花 (58) かへるで (加敝流弖、蝦手)=カエデ (楓)
紅葉照る 幸福論を 聞きにけり
吾が屋戸にもみつかへるで見るごとに妹を懸けつつ戀ひぬ日はなし 巻 八 (1623) 田村 大嬢
児持山若かへるでのもみつまで寝もと吾は思(も)ふ汝は何(あど)か思ふ 巻十四 (3494) 詠人未詳
かへるではカエデの古名で、カエデ類の葉の形がカエルの広げた手に似るからで、『万葉集』にはこの1623番と3494番の二首に登場する。概ね温帯地域に属する我が国は春夏秋冬が際立つ四季の国で、この地域の特徴として落葉樹が多く見られることである。この落葉樹は四季によってその姿を異にする特色があり、春には芽を出し、夏には枝葉を茂らせ、秋には紅葉(黄葉)して、冬には葉を落として裸木の姿になる。
落葉樹はこの四季の巡りの過程において、ほぼすべてが葉を落とす前に色づきを見せ、紅葉(黄葉)状態に至り、秋から冬の初めにそれが集中する。この紅葉(黄葉)を万葉時代には「もみち」とか「もみつ」と呼んで、その美しさを称揚し、多くの歌にも残しているが、この紅葉(黄葉)する落葉樹の中でも、とびきりの美しさを発揮し、目を引くのがカエデの類で、このかへるでの登場する二首はそれを物語るものと言ってよい。
かへるでが登場する二首について見れば、紅葉(黄葉)する景色の中で、一際鮮やかな色彩のかへるで、即ち、カエデに注目しているのがわかる。1623番の大孃の歌には「吾が屋戸に」とあるので、自分の家の庭か傍に位置して存在するかへるでであり、植えらたものである可能性が強く、その美しさによって庭にも植えられたことが言えるように思われる。
一方、3494番の歌は「児持山」とあり、この歌が東歌であることから、群馬県の子持山(利根川を挟んで赤城山と対峙する山)とする説が強く、この山の若いかへるでの勢いのある鮮やかさが想像されるところで、やはり、紅葉(黄葉)の中で、かへるでが注目され、それに目をやって恋歌を仕上げているのがわかる。言わば、カエデのかへるでは、昔から紅葉(黄葉)中の代表的な樹種として認識されていたことが言える。
カエデはカエデ科カエデ属の総称で、一般にはカエデと言ったり、モミジと言ったりするが、植物学上の区別はなく、全てカエデに属する。ただ、葉の切れ込みによって園芸の世界では区別がなされ、葉の切れ込みが深いイロハモミジ(タカオモミジ・イロハカエデ)、ヤマモミジ、オオモミジ(ヒロハモミジ)などをモミジの呼称で呼び、葉の切れ込みが浅いハウチワカエデ、ウリカエデ、ウリハダカエデなどをカエデと呼んでいるようである。
カエデは一般に楓の字が用いられるが、これはマンサク科のフウのことで、中国に自生し、日本には自生しない。カエデの漢名は槭(しゅく・せき)が正しいと言われる。カエデの類は北半球の温帯から暖帯に約二百種が分布し、その中の二十種ほどが我が国に自生している。大和にカエデの類は多く、判別は葉の形や花、樹皮などの違いによる。もちろん、園芸種を含めればもっと多くなることはほかの園芸植物と同様である。
大和には近場でイロハモミジ、オオモミジ、ウリカエデ、ウリハダカエデ、イタヤカエデ、エンコウカエデなど、標高一〇〇〇メートル以上の山岳にはハウチワカエデ、コハウチワカエデ、オオイタヤメイゲツ、コミネカエデ、ナンゴクミネカエデ、チドリノキ、アサノハカエデなどが見られる。
果たして、『万葉集』に詠まれたかへるでのカエデはどのようなカエデだったのか。山岳に分布するものを除けば、イロハモミジかオオモミジかヤマモミジか、それともウリカエデの類かと想像される。因みに、カエデ類の花は地味で、目立たないものが多く、当然のごとく、歌にも登場していない。 写真は上段左からイロハモミジ、オオモミジの紅葉、ウリカエデの黄葉。花は下段左が雌雄同株のイロハモミジ。右が雌雄別株のウリカエデの雄花。いずれも低山や里の近く、公園などで見かけられる。花はともに春。