大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年11月20日 | 万葉の花

<445> 万葉の花 (56)  しひ (四比、椎)=シイ (椎)

     太古より  咲く花 椎の 春日山

     家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る                                巻 二 (142) 有間 皇子

       片岡の此の向(むか)つ峯(を)に椎蒔かば今年の夏の陰に比(そ)へむか                 巻 七 (1099) 詠人未詳

   遅速(おそはや)も汝(な)をこそ待ため向つ峯の椎の小枝(こやで)の逢ひは違はじ      巻十四(3493) 詠人未詳

 しひはシイ(椎)のことで、集中の三首に見える。注の「ある本の歌」を加えると四首になる。花を詠んだ歌はなく、葉と木自体を詠んでいる。142番の有間皇子の歌は、「有間皇子自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首」の詞書をもって詠まれた「磐代の濱松が枝を引き結び眞幸(まさき)くあらばまた還り見む」という141番の歌の次に見える歌で、悲痛この上もない状況下における歌であるのがうかがえる。

 有間皇子は孝徳天皇の皇子で、この二首は当時の政変に関わるもので、謀叛の嫌疑により南紀の死地に送られるとき、その旅の途中、磐代(現在の海南市付近)で詠んだとされる悲歌である。この事件は中大兄皇子や曽我赤兄らによる謀略によってなされたとされる見方が強いと言われるが、ここではシイに関する記事なので事件の内容については省く。

 歌意は「家にいれば、器に盛る飯を、思いにまかせない旅にあるので椎の葉に盛る」というものである。「椎の葉」に盛られた飯は本人が口にしたものか、道租神に捧げたものか、説のわかれるところであるが、この時の旅がいかようであったかが察せられる。なお、141番の歌は、叶うことの不可能な存命を松の枝を結んで一縷の望みとし、処刑される死地に向かったことを詠んでいる。まさに、悲痛極まりない歌である。

 1099番の歌は、雑歌の項に「岳(をか)を詠む」の詞書によって登場する歌で、歌意は「片岡の向こうの山に椎を植えれば今年の夏の陰になるだろう」というものである。だが、植えられた椎が一年も経たず陰をつくるほど大きく育つことなど考えられないことから、これは不自然であるとされ、歌垣などに見られる戯歌の類、または譬喩の歌ではないかなどの見解がなされている。

 3493番の歌は、相聞の項に連なる恋歌の一首で、「来るのが遅くても速くても私は待ちます。向こうの嶺の椎の小枝のように行き違いにならないように」というもので、思う丈を述べているのがわかる。歌には「小枝の」までが「逢ひは違はじ」にかかる序としての工夫が見える。

 シイ(椎)と名のつく樹木は、ブナ科シイ属のスダジイ(ナガジイ、イタジイ)とツブラジイ(コジイ)があり、ブナ科マテバシイ属のマテバシイ(サツマジイ、マタジイ)がある。これらは照葉樹の代表的樹木で、ブナ科の中では常緑の樹木で、シイ属がアジア東部の熱帯から温帯、マテバシイ属がアジアの熱帯から温帯にかけて広く分布し、日本を含み、一つの文化圏を形成しているという。

 狩猟生活をしていた縄文時代、西日本の縄文人はシイの実を主食にし、東日本の縄文人はブナやミズナラの実を主食にしていたと言われるから、シイは太古から人との関わりが深かったと言え、日本においても文化形成に大きく関わったということが出来る。

 シイは森林形成において極相に現われ、深い森を形成する樹種で、大和で言えば、奈良市の春日山原始林のコジイ群落が有名で、ツブラジイ(コジイ)を優占種とする都市に近接する太古の姿を残す暖帯林として国の特別天然記念物に指定されている。  写真左はツブラジイが咲く春日山原始林。中央はツブラジイの花。右は果実(左がツブラジイ、右はスダジイ)。

                    

 このほかにも、大和では深い森を形成している山でシイ類が見られ、五月初旬の花の時期には淡黄色の花が樹冠いっぱいに盛り上がるように咲くので極めてよく目につくが、内陸性のツブラジイ(コジイ)がほとんどのようである。ここで思われるのが、三首に見られるシイであるが、142番の有間皇子の悲歌に登場するしひ(椎)は場所が海の近くであり、笥の代わりにしたということであるから葉広であることが考えられ、沿海を生育地にする葉の大きいマテバシイではなかったかと推測される。

 他の二首については「向つ峯」ということで、大和の地での歌と考えられ、シイ類の中でもよく見られるツブラジイ(コジイ)を詠んだものではないかと思われる。なお、ツブラジイの名は堅果が円らであることによるもので、皮を剥いて食べてみたが、渋皮をきれいに取り除けば、淡白ながら食べられなくはなかった。その実を見ていると、人間も元は獣に等しい食生活を送っていたことが思われるとともに、人類の進展というか、変貌というものが極めて著しいことがいろいろと思われて来た。