<442> 大台ヶ原 雑感
目にする風景は 如何なる風景も 時を伴っている
描かれた風景は 描かれたときの 時を伴っている
最近、大台ヶ原に出向き、日出ヶ岳(一六九五メートル)から正木峠に向い、正木ヶ原を経て大蛇ぐらのコースを歩いた。正木峠から正木ヶ原は木製の遊歩道が設置され、歩きやすくなって久しいが、樹木相を見ると、ところどころにシロヤシオのゴヨウツツジやカエデの仲間のオオイタヤメイゲツなどが見られる程度で、トウヒなどの立ち枯れがほとんど失われ、ミヤコザサだけが目につく状態になっている。これはどういうことなのであろうか。少し考えさせられた。
正木ヶ原の立ち枯れは昭和三十四年(一九五九年)の伊勢湾台風(台風十五号)による暴風雨の被害が元であると聞く。この台風は九月二十六日に和歌山県の潮岬西に上陸し、大台ヶ原付近を通って紀伊半島を縦断し、名古屋方面から富山県に抜け、日本列島に沿って日本海を秋田県まで北上し、そこから岩手県を経て太平洋側に抜けた。
瞬間最大風速は愛知県の伊良湖岬で秒速四十五メートルを記録し、風と雨に加え、伊勢湾岸に高潮をもたらし、死者4697人、行方不明者401人、負傷者38921人を出し、家屋の全壊40838棟、半壊113052棟、床上浸水157858棟、床下浸水205752棟にのぼる史上最悪の台風になった。殊に伊勢湾岸地域の高潮の被害が甚大で、伊勢湾台風と名づけられた。
被害は九州を除く全国に及び、あまりにも被害が大きかったため、大台ヶ原の樹木に及んだ被害はさほど話題にならなかった。しかし、この台風により正木ヶ原のトウヒ林は壊滅的被害を受けたのであった。それ以前にもヒノキの古木などが需要の要請にともなって伐採され、大台ヶ原の自然林は大きな痛手を受けていた。
その後、大台ヶ原のトウヒ林は増えすぎたニホンジカの食害によって幹の皮が剥がされる被害が続出し、管理に当たっている環境省は地元の協力を得てシカの食害防護のネットを樹木ごとに取りつける作業を進め、これとともに、西大台区域では平成十九年(二〇〇七年)九月より入山規制を行ない、貴重な草木の保護に当たっている。
ところで、伊勢湾台風から今年で五十三年、約半世紀になるが、傷んだ植生の状況はあまり変わらず、二次林の構成が認められないササ原の状態が続いている。平成十一年(一九九九年)、つまり、十三年前に撮影したのとほぼ同じ場所から同じ方向に向けて撮影した現在の写真を比較してみると、トウヒの立ち枯れが少なくなり、幼木の育つ気配も見られず、ササ原のみが広がっているのがわかる。
自然には治癒力があるけれども、この正木ヶ原の状況を見ると、一旦破壊された森林というものが如何に復元出来ないかが見て取れる。昨年起きた紀伊山地の深層崩壊はもっと厳しいが、正木ヶ原のような準平原においても破壊された植物相(フローラ)を復元するのは並大抵のことでないのがわかる。 写真は正木ヶ原から正木峠の方角に向って撮ったもの。左は平成十一年(一九九九年)八月二十九日、右は平成二十四年(二〇一二年)十月二十九日の状況である。