<429> 文化の日に思う
文化の日 思へばこの身も 文化人
文化の日の三日に続いて今日四日も好天に恵まれた。以前から文化の日は晴天の確立が高いと言われて来たが、これは日本列島上空の気圧配置によるもので、この時期は移動性の高気圧が列島の上空を広く被い、安定した晴天の条件が整うためである。この時期は実りをもたらす収穫の時期にも重なる。
収穫は、もちろんのこと作物について言うもので、そこには収穫祭である祝いの祭りがつきものであるけれども、これに限らず、芸術作品などにも当てはめて言えることで、この時期には作品の集大成である美術展なんかも開かれ、まさしく文化が意識される季節になっている。ということで、文化の日も設けられているわけで、この日には文化的功績並びに発展に寄与した人に贈られる我が国では最も栄誉のある賞とされる文化勲章の授与式も行なわれるという次第である。
ところで、十一月三日の文化の日に対しては、ちょうど反対の季節の五月三日に憲法記念日があり、この日との対比が思われる。ともに晴天の素晴らしさが言える季節で、憲法記念日が新緑の時期に当たるのに対し、文化の日は紅葉真っ盛りの時期である。花で言えば、大和では憲法記念日がツツジ科の花、例えば、シャクナゲであり、文化の日にはキク科の花で、菊花展の大輪の花が象徴的にである。ともに気品と馥郁たる花の姿がその季節とともに記念日や祝日にふさわしく、その日を諾う如くに咲き誇る。
このように憲法記念日と文化の日が決められているのは単なる偶然ではなく、ほかの記念日や祝日にも言えることであるが、両日ともにその内容に沿って決められているのがわかる。文化の日は前述の通りであり、憲法記念日は新憲法発布に当たって清新な気分でこの憲法に臨むところの気概と意義にふさわしい四季における一日としての五月三日が選定されていて、納得される。
ここで思われるのが、『日本国憲法』の第二十五条の国民の生存権と国の社会的使命について述べている中で文化について触れていることである。その条文には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」とあり、ここにおいて憲法は文化というものを意識に置き、文化というものを高らかに掲げているわけで、所謂、憲法記念日と文化の日は関わりを持つものであって、私たちにその認識を示していることが言えるのである。
私たちの日々の生活において、憲法というのは忘れられているような存在であるけれども、国民一人一人の生活にその意義はしっかりと掲げられ、影響している。最近、改憲の動きが高まりつつあるのがうかがえ、考えさせられるが、憲法は国家並びに国民の生活の基をなすもので、これを基盤にして国は運営され、私たちの生活の営みは成り立っている。そして、その国家の運営並びに国民の生活のバロメーターになるのが文化というものであって、憲法記念日も文化の日も設定されていると言えるわけである。
つまり、憲法記念日と文化の日は密接に関係しているわけで、憲法も文化もどちらが欠けても国の運営はうまく行かない。両日ともに晴天の素晴らしい季節に設定されているのは、憲法にも文化にも晴れを希求する思いがあるからと言ってよい。 写真はキクが橿原神宮、シャクナゲが明日香村の岡寺での撮影。 青空に 憲法記念日 翼広げ