Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

目ざめ

2016年12月22日 | Weblog
ふと目が覚めると、
いつもの会社と風景が違った。

一瞬、頭が混乱した。

ここはどこだろう?と思った。

福山のホテルに
泊まっていたのを思い出した。

目が覚めたときに、
自宅ではなく、
会社の風景でないと思った自分が可笑しかった。

私の行脚は、
私の祈りは、
まだまだ続きます。

日本の教育が
より良いものになりますように。
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実践の尊さ

2016年12月21日 | Weblog
実際にプロ野球選手として活躍する人と、
ファンとしてスタンドから野次を飛ばす人とでは、
言葉の重みは全く異なる。

政治を背負っている与党と、
批判ばかりしている野党やマスコミとでは、
言葉の重みは全く異なる。

責任を持って、
実践を経ているかいないかは、
それほどに大きな差異を生み出す。

しかし、
実践したことのない人たちは、
やったこともないのに、
借り物の知識だけで、

実践を積み重ねてきた人たちと、
同等だと思って対等に評論しようとする。

それどころか、
上からの目線で論評しようとする。

何でそんなに自分を偉いと思えるのだろうか。

私の心の中には、存在しない感性であり、
実に品位のない不遜な振る舞いだと思う。

教育とて、何が教育で、
何が教育でないかもわからぬのに、
平気で評論する不遜さには辟易とする。

あらゆる分野で、
実践を積み重ねている人に、
私は深甚なる敬意を表していきたい。




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品格

2016年12月20日 | Weblog
憲政記念館で、
歴代総理の書を拝見した。

「書は人なり」という言葉が想起された。

その人の信念、
背負ってきた責任、
逆境、苦労、使命感、志、

様々なものが、
その人の文字や表情や行動等に
重みとなってにじみ出てくるものなのだと思った。

そうした所から
本当の品格というものが生まれるのだと思う。

私心でグループを作ったところで、
作った意味が大義と違うところにあれば、
組織にとっては何のプラスにもなりはしない。

身を修め、
利他の心が行動の根底になければ、
それは品格の無い行為として見えるだけだ。

私は孤独であっても、
品格高くありたいと思う。

まだまだ、
身を修め、
心を修めなければ、
そうした品格には到底たどり着けない。

道のりは遠い。







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失えば得られる

2016年12月19日 | Weblog
思えば私の人生は、
大きなものを失っては、
大きなものを得る人生でした。

失ったものは、
一部上場企業社員の暮らしであったり、
教育公務員の暮らしであったりと、
様々でした。

その都度、
自ら辞める決断をし、
次のステージに立ち向かっていきました。

そう考えれば、
今やっていることの、
一つや二つを失ったところで、
たいしたことはありません。

なぜかというと、
今やっていることは、
私の心からの教育であり、

それは、
私が私であり続ける限り、
失われることはないからです。

肩書きや保証された生活とは、
無縁のところで生きていればこそ、
手にすることの出来た、
私のたった一つの財産かもしれません。


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教育的信念を貫く

2016年12月16日 | Weblog
教育的信念を貫くために、
また、ゼロから、
私が私の世界を作っていく時が
来るのかもしれません。

お金や地位や名誉は、
私には無縁のものですから、

教育的信念が貫けなくなる環境だと判断すれば、
遠からず、また、一から作っていくという
決断をする必要に迫られます。

実に、困った性分です(笑)。

会社の売り上げが下がれば、
会社のみんなにも迷惑をかけると思いますが、
信念を曲げてまで、
会社を続ける必要は無いのです。

社是を貫くためには、
別の道を選んでも良いのだと思っています。



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モデル授業

2016年12月16日 | Weblog
GCBⅡ(グローバルシティズンベーシックⅡ)
という講座のモデル授業をさせていただいていますが、
今日、最終講座(8講座目)が終わりました。
学生の皆さんの素晴らしい成長を
大変嬉しく思いました。

私もこれまで一人の教育者として、
自分の言葉と行動を磨こうと頑張ってきました。

そこから生み出された教育実践の成否は、
他人様に評価していただく以外に
ないものではありますが、
私としても大きな手応えを感じることができました。

それぞれの学校で、
学生の皆さんの状況も、気質も、
専門性も違っていましたが、
それぞれに素晴らしい皆さんで、
大きな手応えというか、
皆さんの成長を感じることができました。
とても嬉しかったです。

私の思いのままに、
教育をさせていただける環境に感謝しています。
足して二で割るような教育は
力を持たないからです。

一人の教育者が、
存分に教育実践をさせていただくことは、
実は簡単そうでとても難しいことなのです。
愚かな口出しは止まるところを
知らないものだからです。

教育者の言葉は、
その歩んできた道のりによって、
それぞれに異なるものとなります。

だから、
同じテキストを使っても、
同じには決してならないのです。

人間の発する言葉は、
その人の人生というフィルターを背景に
紡ぎ出されるものだから、
それぞれに違う輝きを放つしか無いものなのです。

そこで、二つの見方が生まれることとなります。

テキストに教育的価値を見いだすか、
教えている人間に教育的価値を見いだすかです。

どちらが大切か難しいところではありますが、
大量生産の教育をしたいのなら、
大切なのは前者・テキストです。

しかし、
本当に良きものを作りたいのなら、
後者・教育者、にならざるを得ない。

そして、それは、
その人にしかできないもの
ということになります。

良い悪いではありません。
そうしたものだと言うことだけです。
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どうも頭が

2016年12月16日 | Weblog
どうも、
頭の回転が鈍くなっているのか、
反対に早くなっているのか、
よくわからない状況が続きます。

沢山のことを考えなくてはなりません。

いや、以前も考えていたのだと思います。
でも、凄く考えることが増えているような、
何かが違う気がするのです。

重量感の違いのような気もします。

時の流れがものすごく速くて、

でも、
それが本当かどうか怪しく思うほど、
集中して仕事をしている気にはなっているのですが…。

でも、たいした成果はないような、あるような。

混沌の中を突き進んでいる感じです。

きっと視界が開けてくる日が来るのでしょう。


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コピー上等

2016年12月14日 | Weblog
水戸岡鋭次氏は、
質の良い下敷きを見つけて、
それを少しでも進化させて
次の世代に送っていけば良いと仰います。

その意味で、
「コピー上等」であり、
「著作権とか特許というのはおかしい」と言われます。

例えば、

マイナスの溝がねじにあって、
それに溝を加えてプラスにして
大もうけした人がいたが、
それはどこかおかしいのではないかと。

私も同感です。
きっと私の中にも、
職人の血が流れているのかもしれません。

特に教育の世界において、
どこからどこまでが誰のもので、
使って良いとか悪いとかいうことになっているのは、
あまり美しいことではないと思うのです。

勿論、研究に研究を重ね、
非常なる投資と労力を注ぎ込んで、
新たに創り上げたものには敬意を表したいと思います。。

しかし、教育を商売として考えるのではなく、
次代を担う子供たちに
本当に良いものを与えたいと真剣に願うのなら、
それはおかしいと思います。

私の作った講義資料なども、
どんどん使って、
更に良いものに変えていってくれたら
これほど嬉しいことはありません。

私は私で勉強して、
次のステージに行きますから、
大した問題ではないと思います。

自分の知識を切り売りするつもりは毛頭ありません。

そもそも完全オリジナルなど
教育界において、
そうそうあるとは思えません。

大体のことは、過去の先人たちが、
様々な表現で言い尽くしていると思います。

でも、不勉強だから、
さも自分が発見したような気になってしまうだけです。

教材などの権利を主張するというのは、
砂上の楼閣の権利を要求しているように
思えて成りません。

あるいは、
教育を商売としか見ていないように思えて、
とても残念な気持ちになります。

たしかに、
それはビジネスとしては正しいのでしょう。
その理解は愚鈍な私にもできます。

しかし、一方で、
新渡戸稲造の言葉が、私の心の中でこだまします。

「たいしたこともない知識を勿体付けて売ったり、
免許状をお金で売ったりしてする人たちを教育屋と言う。
皆さんは、教育屋ではなく、教育家であって欲しい」と。

私の思いもそこにあります。

教育家たらんとの烈々たる思いを貫いていこうと思います。

その思いがなければ、
同じテキストを使ったところで、
得られる教育成果などたかがしれているのです。

そんなことも見えないほど、
私たちは、「あらゆることを権利やお金に換算する精神」に
染まってしまっているのだと思います。

だから、私はいつも、
頭が変な人に見られるだろうと思っています(笑)。

でも、それで良いのです。
覚悟の上です。







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変革期

2016年12月13日 | Weblog
慌ただしい日々が続いています。

良い結果になることもあれば、
残念な結果になることもあります。

しかし、
物事というものは、
成ることは成るし、
成らぬ事は、成らないようにも思います。

一つ一つのことには、
天命が宿っていて、

成らぬ事はどれだけ頑張っても成らぬものだし、
成ることは不思議と出来ていくようにも思います。

しかし、

それも自分の心の中に、
本質を見る力と、
真剣に努力を重ねる姿勢があってのことだと思います。

一見、成らぬと思えることに、
どれだけの真剣さで成そうと立ち向かっていったのか。
自分の思いが問われているともいえます。

年末を迎え、
これからの10年をどのように走るか考えています。

何かを変える時期だと感じています。




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しかし、

2016年12月12日 | Weblog
やはり、
思うことは、

私には、
能力が足りないのと、
努力も足りないのだということです。

結果が出ないということは、
そういうことでしかない。

ただ、それだけです。

力が無いなりに、
行けるところまで、
行ってみようと思います。








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