Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

人間の器

2022年07月02日 | Weblog

最近、人間の器ということを考えさせられます。

器の大きさを感じる人、器の小ささを感じる人。

これは何によるのだろうかと思います。

やはり、それは、私利私欲を越えて、本気で国家の未来と向き合う気持ちがあるか否かによるのだろうと思います。

それは、お金や地位や肩書きとは、全く関係のない世界のものです。

人間存在について深く洞察し、より良き人間たらんとする、意志の力によるものでもあると思います。

哀しいことに、私もまだまだ駄目です。

自分を高めます。

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これから

2022年06月30日 | Weblog

すっかりこちらのブログがお留守になってしまい申し訳ありません。来月から、V&Eとしてのメルマガに加え、バッカーズ寺子屋&バッカーズ九州寺子屋のメルマガも配信していきます。お留守にならないよう、気をつけます。

小郡寺子屋「志学舎」も順調にスタートしています。また、コロナでできなくなっていた様々な研修も、少しずつ戻ってきている感じです。新たな展開も様々に生まれてきています。その一つとして、山形でのPTA全国大会での講演もさせていただくことになりました。

全国各地に、このバッカーズ寺子屋の教育を広げていけたら本望です。「志の教育」の大切さ、「学び方の変革」の大切さを全身全霊をかけて伝え続けます。

まずは、ご縁のあるところから、私を必要として下さるところから、本気でやり始めていきます。

 

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学びの道

2022年06月17日 | Weblog

「学びの道」には終わりがないと思います。

学んでも、学んでも、学びきれません。

自分を磨こうと日々努力を重ねても、十分には磨ききれぬままに、人生の時間は終わりの時を迎えます。近江聖人と言われた中江藤樹でさえ、「私は立派な人間にはなれなかった・・・。」と言って、息を引き取ります。(映画『中江藤樹』の話です。笑)

だからこそ、日々を真剣に生き抜かなければならないのだと思います。

学んだことを本当に身につけるということは、学んだことが、自分の考え方と行動の一部になるということです。

そうなっていなければ、つまり、身についていなければ、やはり、学んだとは言えないのです。学んだような気になって、何の変化もないのであれば、それはただの自己満足でしかありません。

この厳しい道を、笑顔で歩んでいこうと思います。

能力の無さが悔やまれますが、それもまた善しと思って進んでいきます。

 

 

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バッカーズ九州寺子屋・卒塾式

2022年06月13日 | Weblog

バッカーズ九州寺子屋の卒塾式が終わりました。

13期生の卒塾式で、7月からは14期生を迎えます。

コロナで一年間休止していましたから、バッカーズ九州寺子屋としては15周年の年になります。

しみじみと、子どもたちの成長を感じ、また、その成長に目を見張りました。素晴らしかったです。

経営者の皆様の講話、企業訪問、合宿、様々な経験が、子どもたちを成長させていきます。

私も子どもたちの姿から学ばせていただくことばかりです。

私は子どもたちの成長をニコニコ見ているだけで、大したことはしていない塾長ですから、せめてこの学びの仕組みだけは世の中に遺して死んでいこうと思います。

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限界にチャレンジし続ける

2022年06月10日 | Weblog

ご存じと思いますが、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩があります。(岡田義夫さん訳詩)

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この詩と共に思い起こされるのは、「若者たち」という歌です。

「若者たち」

藤田敏雄作詞・佐藤勝作曲

 

君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで

君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか
あてもないのに

君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた
歩きはじめる
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた
歩きはじめる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした若々しい精神を忘れないようにして、死ぬまで限界を求めて攻め続けようと思います。

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美しいこと

2022年06月09日 | Weblog

私が美しさを感じるのは、

虚飾のなさ。誠実さ。十分な配慮。無駄の無さ。

隙のない行き届いた配慮のもとに心が込められている対応。

私利私欲の無さ。理想の高さ。未来を見据える目。

言行一致。不言実行。

独善的でないこと。思いやり深さ。慈悲の心。慈愛。

一心不乱に打ち込んでいる努力の姿。

打算のない心。利他の心。

約束を守ること。

ベストを尽くし最高のパフォーマンスを発揮し続けること。

深く学び続け、人間としての在り方を磨き続ける姿勢。etc.

これまでの経験から、美しいと感じるものはうまくいくし、美しくないと感じるものは、いずれ上手くいかなくなると感じます。

料理にしても、職人さんの動きにしても、スポーツ選手にしても、一流の人たちの動きは実に美しいと思います。

しかし、美しさが感じ取れない人も、それもまたよしと思います。美意識の違いをどうこう言っても仕方がないからです。

それぞれに、美しいものは美しいと思うし、美味しいものは美味しいと思うというだけです。

それを価値観の違いという言葉で片付けることも可能ですが、長い年月、高い評価を得てきた美には、やはり深い意味があると私は思います。

価値観を相対化する議論に乗るつもりはありません。

私は断じて美しさを追い求めるという、ただそれだけのことです。

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卒塾の時

2022年06月06日 | Weblog

昨日、バッカーズ寺子屋16期生の卒塾式が終わりました。みんなが大きく成長したことを卒塾式のスピーチから、また、立ち姿やお辞儀からも、感じることが出来ました。とても嬉しく思います。

やはり、バッカーズ寺子屋は、素晴らしい学び舎だと思います。バッカーズファンデーションの皆様は、よくこのような場を作って下さったものだと思います。

これからこの教育をいかに次世代に遺していくことができるかに真剣に向き合うべき時が来ました。ただ、私にやれることはいつも小さな事でしかなくもどかしさを感じます。

しかし、私にはその積み重ねしかないのだと思います。亀には亀としての生き方しか出来ないので、ゆっくり一歩一歩。しかし、倦まず弛まずやり続けていく。そうすれば、少しは、立派な亀になれるのかもしれません。

もっと力をつけたいものです。

今週末はバッカーズ九州寺子屋の卒塾式です。

 

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何をするか

2022年06月02日 | Weblog

ふと思ったのですが、色々と他人様に話をして、「そんなことぐらい知ってる!」とムキになる負けず嫌いや批判的な人はいても、「そんなことぐらいもうやってる!」と言う人はほとんどいないということです。

このことは、知識があるかどうかで評価される教育を受け続けていれば、やっているかどうかで評価する思考が育っていかないということを物語っています。

実社会に出れば、大切なことは、「何をしたか」であって、「何を言ったか」ではありません。

 

 

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天を相手とす

2022年05月30日 | Weblog

「人を相手とせず、天を相手とせよ。天を相手として己を尽くし、人をとがめず、わが誠の足らざることをたずぬべし」

西郷隆盛の言葉です。

天こそが、わが命を授け、その使命を与えて下さっています。だから、一度の人生、天命を悟り、天命に向かって一心に命を燃やすことが大切だと思います。

そう思うことができれば、人の世の煩わしさは、たとえ一瞬であれ、ちっぽけなものとして捉えられるようになります。

眼前の悩みは、自分の大きな使命にとって、いったい如何程の意味があるのか。本当に大切なことは何か。

常に自らに問いかけながら、大きな視野を持ち、日本の教育改革に邁進していきたいと思います。

そこには一人でもやり抜く覚悟と意志の力が必要だと思います。

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志の教育

2022年05月30日 | Weblog

私の言っている「志の教育」は、残念ながらHow toで広げていけるようなものではありません。とにかく、自分自身が志を立て、社会の中で、一定の役割を果たしていけるように、脇目も振らず、一心に仕事をし続けていくことで精一杯ですし、そのための学びで精一杯なのです。当面、死に物狂いで生きることしか私に出来ることはないのです。

「教育はできない」というのが私の基本的なスタンスであり、申し訳ないけれども、今の私では、他に誇れるようなものは何もありません。必然的に「志の教育」などというのも私にはできないのです。

ただ、自分自身が、自らの志を求め、苦闘し続けてきた痕跡を多少なりともお示しすることはできるのかもしれません。それだけのことです。だから、他に自慢できるようなことは何一つないのです。

私は教育に全力は尽くしますが、何を手に入れるかは、その人の勝手であり、私の知ったことではありません。勿論、私の手柄でもありません。

「このような指導をすれば、このような志が立てられる」などと思えるとしたら、それは「志」というものに対してあまりにも無知であるか、よほど物事を安易に考えられるお目出度い人かのどちらかだと思います。

 

 

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