バッカーズ寺子屋の合宿では、
バーベキューの食材を予算を決めて班ごとに買ってもらいます。
また、自分で作り、後片付けまでも、子どもたちにしてもらいます。
そこに色々な教育の問題が垣間見えてきますし、
それが実り多き学びの時間になっていることを感じます。
「料理」という言葉の漢字の意味をそれぞれ見ていくと、
「料」は、見当をつけてはかること。
「理」は、物事に備わった筋道のこと。
と辞書に書かれています。
料理の全体像やそれぞれの材料や調味料などの分量を、
見当をつけてはかる力が必要ですし、
全ての食材や調味料を、
正しく筋道を立てて活かし切ることも大切です。
手順という筋道を間違えば、
素材を活かし切ることはできないと思います。
大した料理も出来ない私ですが、
少なくとも料理の教育的意義の大きさはわかります。
ものすごく頭と心を使う、極めて人間的な営みであるとも思います。
そして、両親や祖父母が、食に手間暇をかけることを蔑ろにし、
社会的自己実現のために失われた時間の代替措置として、
食の便利さのみを追求してきたことが、
どれほど子どもたちの人間形成に、
恐ろしい結果をもたらしているかも感じています。