Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育のレベル

2023年08月30日 | Weblog

教育とは、教育する側の「言葉と行動」が全てです。

教育のレベルが下がったということは、

あるいは、

子どもたちの質が下がったということは、

大人の質が下がったという事以外に原因はないのです。

教育問題とは子どもの問題ではなく、

大人自身の問題でしかない。

そのことに気づかない限り、

教育を良くする術はないのだろうと思います。

自分を子どもより一段高いところにおいて、

教育が悪い、子どもが悪いと憂うが如きは、

何の意味も無いどころか、

百害あって一利無しとしか思えません。

「子どもたちに問題があるから、

私自身がどのように何をすべきか。」

大人がそう考えて行動していく以外に、

教育を変えていく道筋はないのだと思います。

誰1人、教育から逃れられる人間はいません。

人は互いに影響し合って存在しているからです。

私もまた、今の自分の至らなさを日々猛省して、

新しい自分を育て上げていかなければなりません。

 

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始末に困る人

2023年08月24日 | Weblog

命もいらず、
名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、
始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、
艱難を共にして
国家の大業は成し得られぬなり。

          西郷隆盛

大西郷のこの言葉を胸に、

私は日本の教育をより良いものにできるよう、

全力を尽くします。

二度と無い人生を与えていただき、

教育というテーマに志を得ただけで

私は幸せでした。

「始末に困る人でなくては

大業は成し得られない。」

先人たちの言葉はいつも私に勇気を与えてくれます。

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合宿終了!

2023年08月21日 | Weblog

今年の夏の合宿三本が全て終了しました。

バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋、

小郡寺子屋志学舎の合宿です。

この4日間の萩での合宿は、

「一から作る」ということを基本にしていますので、

持っていく荷物の準備から、

合宿期間中のスタッフの臨機応変の対応力まで、

ものすごい労力が要求されます。

釣りにしても、バーベキューにしても、

買い物にしても、萩焼作りにしても、

できあいのもの、決められたものは、ひとつもありません。

だから楽しいし、学ぶことも多いのです。

そして、だからこそハードなのです。

活動のメニューを限定し、

できあいのサービスを利用すれば、

スタッフも私も楽なのでしょうが、

子どもたちの学びの価値の大きさは

確実に失われていきます。

私は沢山の失敗を

子どもたちから奪わない合宿を作りたいと思っています。

わずか4日間の合宿ですが、

子どもたちは大切なことを感じ取り、

表情が変化していきます。

全てを自分たちで失敗しながらやっていくからこそ、

自分が、いかに日頃、親や周囲の人に

「していただいているのか」が見えてきます。

こうした合宿をどのように次世代に

引き継いでいけば良いのかを考えなければいけません。

 

 

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高貴なる精神を

2023年08月09日 | Weblog

残りの人生は、

高貴なる精神を持った人と共に生きたいと思います。

苦しいときに逃げない人。

人の嫌がることを進んでやる人。

楽をしてサボろうとしない人。

汗をかくこと、汚れることを厭わない人。

不平不満を言わない人。

私利私欲に凝り固まっていない人。

利他の心を持つ人。

自ら重い荷物を背負える人。

日本と世界の未来のために貢献できる人。

損得を度外視して、人として正しい行いをする人。

もう、ほとんど絶滅危惧種のようなものですが、

私は気高い心を大切にしたいと思います。

美しい心に惹かれる自分であり続けたいと思います。

子どもでも大人でも、

気高さのない、醜い人が増えている中で、

教育はどうあるべきかを考えていきます。

おそらくあと10年ほどの時間しかありませんが、

少しでも何かを遺せたら良いなと思います。

 

 

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子どもの教育、親の教育

2023年08月06日 | Weblog

「子供は大人のまねをする。このことを大人が忘れさえしなければ、子供の教育はさほど困難なことではない。しかるに、世の大人たちは、ご苦労にも、子供たちに自分のまねをさせまいとして、いつも苦労し、それを教育だと思いちがいしているかのようである。」(『心窓去来 補遺』)

子どもの思考や行動には当然親の在り方が反映されているものです。子どもの問題は子どもだけの問題ではあり得ないということです。

しかし、大人はそうとは思っていませんし、そのことに気づいてもいません。

その解決方法は1つだけですあり、下村湖人はそれを次の言葉で的確に表現しています。

「自分をほんとうに知りうるものは、自分だけである。そのくせ、 自分を最も知らないものも自分である。そしてこの矛盾を解決する道は、ただ一つしかない。しかも 極めて困難である。それは謙虚になることである。」

 

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食の大切さ②

2023年08月01日 | Weblog

長年子どもたちと関わっていて思うのは、

味覚と精神年齢とは比例するのではないかということです。

「お子ちゃま味覚」と私が言っている、

お菓子やファーストフードといったわかりやすい味に

どっぷり浸かっていると思われる子どもは、

南蛮漬けやお浸しや煮物といった複雑な味と香りを嫌います。

そうした子どもよりも、

それらの味に抵抗がなく、美味しさがわかる子どもの方が、

精神年齢の高さを感じます。

味覚の範囲の広さは、経験値の広さで有り、思考の広さであり、

人間としての幅の広さに繋がっているようにも思います。

要は、食べ物の好き嫌いをして得られた、

嫌いな物には近寄らなくて良いという感覚が、

そのまま人間関係においても発揮されていることを

感じるのです。

嫌いな奴は、別に嫌いで良いと。

しかし、それでは、

人としての幅広さは身につかないと思いますし、

人間としての錬られた精神も身につかないと思います。

 

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