Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

寂しさの果てなむ国

2012年01月23日 | Weblog
非行に走れば、それは確かに悪いことですが、
人が人としての道を踏み外していく一つの大きな要因に、
「寂しさ」があるように思えてなりません。

それは「甘え」に過ぎないのかもしれませんが、
甘えるべき時に、
もっともっとたくさん甘えたかったのだろうと思います。

哀しい事件を無くしていくためには、
私たちは「寂しさ」を
なくしていかなれければならないのかもしれません。


しかし、寂しさはなくなりません・・・。


若山牧水は、

「幾山川越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」

と詠みました。


孤独を文学に昇華させることは、
多くの人たちには難しい。


尾崎放哉も、

「咳をしてもひとり」

と自由な形式で詠みましたが、
その孤独は哀しく深い。


私が思うのは、

今の世を生きる孤独な人たちに、

響き合うであろう孤独な魂が確かに存在していたということ、

しかし、その悲しみの世界を言葉で切り取って
昇華させていくという凄みのある生き方が確かにあった…。
そのことを知っていて欲しいということです。

なぜなら少なくともそのことで、
人は幼稚な孤独からは抜け出すことが出来ると思うからです。


とにかく、
私たちは人として、
自分を高めていけるよう、
孤独に飲み込まれてしまわぬよう、
学び続ける努力をしなければならないのだと思います。




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今日も1日が・・・

2012年01月22日 | Weblog
今日も1日が無事終わりました。

色々なことがありました。
決して無事ではなかったのかもしれません。

しかし、全てはたいしたことではありません。

いや、本当はたいしたことばかりだったのですが、
あえてそう言おうと思います。

今日という1日はかけがえのない大切な1日。
しかし、その一日も過ぎ去ってしまえば、
如何ともしがたい過去という存在になっています。

私たちは人間として成長するために
学び続けなければならないと思います。

そして、私自身が誰よりもそうでありたいと思っています。

親子の問題も、人付き合いの問題も、仕事の問題も、
全ての原因は己の未熟さにある。

だからこそ学び続けなくてはならない。

そう思えたときに、
初めて解決の糸口が見つかるのだと思います。





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言葉の身体性

2012年01月18日 | Weblog
芥川賞の選考委員を石原慎太郎氏が降りるということが産経新聞で報じられていましたが、私はそのコメントに深く考えさせられました。

「(作品に)心と身体、心身性といったものが感じられない」

「見事な『つくりごと』でも結構ですが、本物の、英語で言うならジェニュイン(正真正銘)なものがない」

「みんなマーケティングで、同じ小説家がくるくる違うことを書く。観念というか、自分の感性でとらえた主題を一生追いかけていくのが芸術家だと思う」


私がこれらのコメントに感応したのは、
私自身、こうしたことを教育現場の中で、
ひしひしと実感しているからです。

「自分の言葉で語る」ということが非常に弱くなっています。
切ればその人の血が流れ出すような言葉が失われているのです。

それは、
答えの出ないものに対する思考を避けて、
答えのあるものの理解と暗記で、
青春時代を過ごしてしまったからかもしれません。

あるいは、
他人のプログラムしたルールでのゲームばかりをやって、
自由な思考を絡め取られているからかもしれません。

メディアの言葉にしても、
「・・・という不安が広がっています。」
「・・・となるという予測がなされています。」
などという言い回しばかりがニュースでは繰り返されていますが、

では、
「誰がそう言っているの?」
「それで、あなたはどうするの?」
という思考回路はすっぽり抜け落ちていて、
もはやそれが当たり前になっています。

そう、自分の考えなど持ってはいけないのです。


そうした考えぬ意識の習慣は、
明らかに私たちの意識に浸透し、

考えぬ人々と、
情報を集めて加工することを考えることと誤解した
多くの人々を生み出しているのではないでしょうか。

それが時代の趨勢というのなら、
私たちは、その流れと戦わなければならないのだと思います。



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教育の成果

2012年01月08日 | Weblog
教育の成果とは、

共に学んで下さる人たちが、
人間としてしっかりしてくれたかどうかが全てだと思います。

そう、それが全てなのです。

他には何もありません。

それが自分がふれあったささやかな時間の中で
育まれたことなのかどうかをたしかめる術もありません。

自分は何の役にも立たなかったのかもしれません。

しかし、それも、それでよいのだと思います。

ただ、自分の心と真摯に向き合い、
学んで下さる人と共に時を重ねていくだけ…。

できることはそれしかないのです。

その道を歩き続けてなお、
何も持たずに嬉々としていられるかどうか、

そのことだけが、

自分が歩いてきた道の確かさを
かすかに感じさせてくれるものなのかもしれません。
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古典に学ぶ

2012年01月07日 | Weblog
やはり日本の古典には、
いや、古今東西の古典には、
人間の叡智が詰まっていると思います。

それをもっともっと学びたい。

学ぶべきことは山のようにある。

そう思います。
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精神の緊張

2012年01月06日 | Weblog
何だかんだいって、
正月は精神の緊張が緩む時期である。

いくら自分一人で頑張ろうと思ったところで、
世の中が動いていなければ、
知らず緊張感は損なわれている。

今日、
私のささやかな会社が稼働し始め、
私自身も原稿を色々と書き、
精神の緊張を強いられるようになった。

これは喜ぶべき事である。

精神が弛緩した状態での人間の成長はあり得ない。

のんびりすることも確かに大切だが、
苦しさの中に身を置くことを厭わない精神も
また大切なのだと思った。

若い頃には、
とてもこんなことは思えなかった。

今は、眠気さえ無いのであれば、
いつまでも学び続け、働き続けていたい気分である。


しかし、睡魔にはすぐ負ける。(笑)

生来、惰眠を貪るのが好きなタイプだからである。

また、20年来の無呼吸症のため昼間も眠いことがある。
ちょっと油断するとすぐに意識が飛ぶ日もある。

相当面白い講演や話でないと、
センサーが働き、すぐに睡魔に襲われていたので、
昔は良く弛んでると思われてたっけ…。(笑)

教員時代など、
放課後の進路指導室のソファで
大先輩の教務主任と二人差し向かいで話をしていて、
ふと気がつくと眠り込んでいて、
意識が戻ったら(目が覚めたら)、
外は真っ暗ということもあった。

当然、教務主任の姿は目の前から消えていた。(笑)

「あ~あ、やっちゃった。」と猛省。(涙)

…しかも三度も。(笑)


でも、若い頃に散々惰眠を貪った罰が当たっているのか、
人生の終盤に差し掛かったらすっかり慌ただしくなってしまった。

「ご用心、ご用心。」

髑髏を竹の先に括り付けて、
「ご用心、ご用心。」と言いながら
正月に町を歩いたという
一休禅師のことをふと思い出した。

「ご用心。ご用心。」

「ご用心。ご用心。」


「正月は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くも無し」

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何をしたのかではなく、何のためにしたか

2012年01月02日 | Weblog
偶然「雨あがる」という映画を見ました。

黒澤明の助監督を長く務めた小泉尭史監督の作品で、
黒澤明のテイストが滲みでていてとても面白く見てしまいました。

剣の達人である夫が仕官寸前までこぎ着けながら、
町の道場主と賭試合をしたことが問題になって、
とうとう藩の重臣から仕官を断られるシーンで、

今まで夫の賭け試合を諫めてきた妻が、
はっと気づいて語るシーンです。

確かに夫は賭試合という武士としてよろしくないことをした。
しかし、賭で得た金銭は全て、
貧しく恵まれない者たちのために使っていた。
それは人々の大きな喜びとなり、
恩恵にあずかった一人の年老いた男などは、
「人生っていいもんだったんだと、この年になって初めて知った。」
と語っていた。

妻は、そこで大切なことにはっと気づき、
夫に賭け試合をこれからもしていいと言う。

妻の「何をしたかではなく、何のためにしたかが大切なのです。」
という台詞がぐっと心に響きます。

今日、細かいことで足を引っ張られるから、
保身のために汲々とする生き方があらゆる所で蔓延しています。

しかし、時代を変えるためには、
こうした心の持ち方が大切なのだと思いました。

苦難は笑って受けていこうと改めて思わせてくれた映画でした。




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串団子

2012年01月01日 | Weblog
団子と言えば、
串団子の姿が当たり前となった観があります。

串に刺された団子は、三個とか五個ですが、
やはり、串が刺さっていてはじめて、
「団子」となったと言えるのだと思います。

バラバラのお団子では、
手に持てないし、一体感がないし、
何だか食べていても楽しくはないと思います。

たしかに、「串」は食べられないし、
団子にとってどうでもいい存在と思うかもしれません。

しかし、「団子」を「団子」たらしめているのは、
実は「串」なのだと思います。

組織の理念とは、
この団子の串のようなものだと私は思います。

そして、この食えもしない串に私はなろうと思います。

食べ終わった後に残るのは、
団子の美味しさだけで、
串は捨てられ一顧だにされないでしょうが、

それでも私は、串の役割に尊さを感じます。
「団子」を「団子」たらしめていた精神に私は美学を感じます。

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新しい年の始まりに

2012年01月01日 | Weblog
新しい年を迎え、

また、新たな気持ちで
「志の教育」に邁進していこうと思います。

今年で私も五十歳になります。

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を得て、滅せぬもののあるべきか・・・。」

この「幸若舞~敦盛~」の正しい意味・解釈は、
横に置いておきますが、

私は、子どもの頃に織田信長の物語を読んでいて、
信長の愛したこの「敦盛」の一節が強烈に心に響きました。

「人間の命は儚く、そして、限りがあるのだ」という宿命を
実にリアルに、子どもの私に直視させてくれたのです。

以来、ずっと「敦盛」の一節は、
私の心の中に住み着いています。

そして、五十年が過ぎました。

今年からの一年一年は、
より一層、丁寧に生きていこうと思います。

次の世代のために、日本の未来のために・・・。

Vision&Education,Ltd.という
私たちが生み出した会社においても

更に「経営理念」という組織の「魂」を磨き抜き、

教育という事業を通じて、
多くの方々の喜びと幸せを、
一つでも多く生み出していけるよう頑張っていきます。

今年もよろしくお願い申し上げます。




仕事始めのオフィスにて。

                   木村貴志







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本年もよろしくお願い致します

2012年01月01日 | Weblog
新しい年が始まりました。

今年もチャレンジし続ける一年になります。

皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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