Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

スピーチコンテスト

2022年03月31日 | Weblog

バッカーズ寺子屋のスピーチコンテスト第2回目のテーマは「日本の未来」です。

スピーチトレーニングの最初の段階で、塾生たちが陥るのは、「日本の未来は、少子高齢化で、グローバル化が進み、IT化が進み、SDGsが、…」等々、学校で習った知識を話そうとすることです。

勿論、それを前提として語ってもかまいませんが、大切なことは、「自分がそこにどう関わっていくか。」「具体的にどうしたいのか」「今、何をするのか。」を語ることです。あくまでも自分を語ることが求められます。

子どもたちは、最初は、そうした日本の未来に関することを色々と調べて、その知識を話そうとします。

しかし、「評論家みたいに話すことに意味は無い。」「拙くとも良いから、自分がどうしたいのかを語る。」ということを繰り返し言い続けながら指導を重ねます。

最初は、学校では褒められるはずのことが全く評価されないことに戸惑いますが、次第に私の意図を理解します。つまり、あくまでも自分事として語ること。自分の志が問われていること。思いや信念がなければ空疎なスピーチにしかならないこと。等々です。

スピーチの内容に関しては、私は一切修正はしません。どんな思想であろうと、考えであろうと、それは本人のものですから関知しません。

ただし、誰かの考えの受け売りだったり、自分でも考えがまとまっていないことが見て取れたり、借り物の言葉で話していることが感じられたら、「なぜ、そう思うの?」「根拠は何?」と問い続けていきます。

それでも本番でうまくいかない塾生もいます。でも、私は上手くいかなくて良いと思っています。大人が喜びそうなこと、上辺だけのことを、滔々と語ることにさほど意味はないと思っているからです。

「価値のない上辺だけの成功より、価値ある失敗をした方が良い」といつも伝えています。

失敗しても、他の塾生の、言葉は拙くとも本当の思いのあるスピーチに触れ、自分の至らなさを痛感すれば、それで良いと私は思っています。

目的は上手くしゃべることではありません。思いを伝えることです。だから、そもそも思いがあるか否かが問われるのです。ささやかでも良いから、自分の意志がそこにあることが求められているのです。

そうした指導をするためには、私自身に確固たる意志と、未来への思いがなければ指導ができないことは言うまでもありません。

いつも塾生と同じ土俵に乗って真剣勝負しなければ、互いが成長することなどあろうはずがありません。また、「日本の未来」を考えることに関して、学習指導要領も教科書もありませんから、一人の人間として、日本の未来にどう向き合うかが問われているのです。

こうした子どもたちとの向き合い方を変えていくことこそが、教育改革の本質だと私は思っています。

 

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メルマガ

2022年03月29日 | Weblog

今日、メルマガ51号(2022年3月号)を配信しました。(今、日付が変わったので昨日ですね。)

おかげさまで、定期刊行できるようになって5年目に入りました。

冒頭のご挨拶を転載します。

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桜の花咲く頃となりましたが、皆様におかれましては、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。また平素より格別のご高配にあずかり、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。間もなく新年度が始まります。新しい年度はコロナに悩まされない一年間になることを心から願っています。

バッカーズ寺子屋(東京)、バッカーズ九州寺子屋(福岡)の塾生募集が始まっています。コロナ禍で、一昨年度は活動を休止し、昨年度は募集定員を少なくしての活動となりました。そろそろエンジン再点火!というか、対面講座や合宿を行う体制に戻りたいと思っています。自信を持ってお勧めできる学び舎ですので、是非、多くの方に広めていただけたら幸いに存じます。

新年度より、福岡県小郡市に「小郡寺子屋・志学舎」が誕生します。地元の経済諸団体有志が主催し、小郡市・小郡市教育委員会の共催という形で実行委員会が作られ、バッカーズ寺子屋の地域版とも言うべき学び舎を作ります。こちらの全体講師を私が仰せつかることになりました。私が10歳から15歳の子どもたちと共に学ばせていただく三つ目の寺子屋として全力を尽くします。

バッカーズ寺子屋設立当初からのバッカーズ・ファンデーション経営者の思いは、「これを多くの人たちが真似をして、と言ってはおこがましいが、同じような学び舎が全国に広がったら良いと思う……。」というものでした。社会貢献事業としてのバッカーズ寺子屋は、17年の時を経ていよいよ次の新しい形が生まれることとなりました。

私はこれまでに蓄積してきたノウハウを活かし、この寺子屋の教育に全力を尽くします。もちろんバッカーズ寺子屋(東京)も、バッカーズ九州寺子屋(福岡)も全力で、今まで以上に良いものを創り上げていきます。また、企業研修も、これまで以上に様々なところで実践させていただければと考えています。人生100年時代の「キャリア・オーナーシップ」教育(「志の教育」)、「学び方の変革」を形にしていきます。

今後の10年で、何としてもこれらの教育実践活動を次の世代に手渡していく仕組みを作っていきたいと考えています。多くの方々のご支援があって生み出すことのできた教育です。社会からこの教育の火種が消えぬようにすることが、私が為すべきせめてものご恩返しだと考えています。

エクスプレッションアカデミー福岡・熊本のチラシも完成いたしました。Zoomセミナーについてもホームページにて募集を開始いたします。共に学んで下さる方の期待を裏切らぬよう、日々、精進して参りますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。(志)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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無料です。

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毎朝の誦句

2022年03月26日 | Weblog

「今日も良い一日!」

「今日も元気いっぱい!」

言葉は心。

一日のスタートに良い言葉を。

 

私にはこれくらいの言葉がちょうど良い感じです。

中村天風先生の「力の誦句」とまではいかないところが、

たいしたことない私らしい感じです。

以下に「力の誦句」を記載しておきます。

「私は、力だ。

力の結晶だ。

何ものにも打ち克つ力の結晶だ。

だから何ものにも負けないのだ。

病にも、運命にも、

否 あらゆるすべてのものに

打ち克つ力だ。

そうだ!!

強い力の結晶だ。」

力が湧いてくる素晴らしい言葉です!

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わからないことだらけだから学ぶ。

2022年03月24日 | Weblog

色々な歴史観や教育思想を学んできました。

対立の構造の中にいれば、正しいと感じた言論も、

違う視点から見れば、そうでもないことも学びました。

なぜ、それぞれの立場の言論が、違ったものになるのかも沢山考えてみました。

信念を持つことはとても大切です。

しかし、何が正しいかを見極めた上で信念を持つことが大切です。

けれども、何が正しいかを見極めることは、そうそう簡単なことではありません。

深く学び続けなければわからないことだらけです。

また、その考えが、

せいぜい自分の周りのことを考えて言っているものに過ぎないのか、

多くの人たちの幸福や、

国家社会の在り方と未来のことを考えて言っているのか、

その立ち位置や、背負っている責任によっても、

全く違ったものになると思います。

戦争にしても、自分が平和を願っていれば、

相手が攻めて来ないという保証などどこにもありません。

かくして、様々なことを学びつつ、

人間として丁寧に暖かく生きることが、

教育者としては大切なのかもしれません。

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らつつしむ」

この考えと共に、生き抜こうと思います。

良寛さんのような生き方も、良いのかもしれません。

ただ、その生き方にしても、これから学ばなければと思っています。

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一日の終わりに

2022年03月22日 | Weblog

バッカーズ九州寺子屋・第2回目のスピーチコンテストが終了しました。

塾生たちはよく頑張りました。

支援者の皆様、保護者の皆様からは、有り難いお言葉を沢山いただきました。

この場が成立していることに心から感謝申し上げます。

そして、私はこれ以上の指導はできなかったのか、一人反省しています。

祭りの後の寂しさを噛みしめながら。

子どもたちの成長を心から喜びながら。

と言いつつ、それは一瞬で、もう次に向かっています。

感傷に浸る余裕はありません。

次の指導者を見つけることも、今の私の大きなテーマです。

 

スピーチコンテストの後に開催した入塾説明会も、

皆様からの期待の大きさを感じましたし、責任を感じました。

それにお応えできるだけのものを創り上げていこうと改めて決意しました。

まだまだ100%子どもたちを伸ばせてはいないのです。

力不足というか、足らざる点を思い、申し訳なく思います。

 

何のことはない、不覚にも会社の椅子で爆睡していて、今、目覚めた私の戯言です。

もう、2:30過ぎか。おやすみなさい。

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学ぶべきこと

2022年03月17日 | Weblog

ウクライナの現状から学ぶべきこと。

・他国は侵略されている国を直接的には守ってはくれないということ。

・自国を守るのは自国の武力であり、家族や国を愛する心であり、誇りであるということ。

・法律や約束事や人道などは、戦争になれば簡単に踏みにじられるということ。

・混沌とした中での情報の真偽はわからないので、情報発信力の強い方が正義となり得るということ。

・ITの力が現実の戦争においても大きいこと。

・人間は想像しうる非道なことは遂行できるということ。

・背景には、必ず何か問題があるということ。(エネルギー、食糧)

・地理と歴史を学ぶことが大切だということ。

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ふと思ったこと~学びについて~

2022年03月16日 | Weblog

医者になるには、医学書を読まなければなりません。

エンジニアになるためには、技術に関する本を読まなければなりません。

パイロットになるためには航空技術に関する本を読まなければなりません。

先生になるには、教育に関する本を読まなければなりません。

 

では、立派な人間になるためには?

 

立派な人間になるためには、

四書五経をはじめ聖賢の道を学ぶ本を読まなければなりません。

でも、立派な人間になりたいと考える人がどれだけいるのでしょうか?

今の自分は未熟だから、もっと人間として向上したいと願う人がどれだけいるのでしょうか?

そして、そのための読書をする人がどれだけいるのでしょうか?

それでも、人間が仕事をする以上、人間が磨かれる必要があるのです。

 

そうなりたいと思わなければ、その方面の本など読む気は起きない。

この単純な事実に改めてハッとさせられました。

 

 

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テレビコメンテーターに思う

2022年03月15日 | Weblog

ロシアとウクライナの戦争に関する、日本のテレビコメンテーターのコメントを読んでいると、2つに分かれていることを感じます。

1.ウクライナの徹底抗戦を支持する人たち。

2.ウクライナに抗戦をやめて平和の道を探るべきだという人たち。

両者の違いは、民族としての自立が保てなければ誇り高き死を選ぶ人たちと、命あっての物種と侵略者に蹂躙された国家で奴隷としての平和な人生を甘んじて受け入れたい人たちとの違いだと感じます。

違う見方をすれば、かつての特攻隊や、世界各地で玉砕した日本人の戦い方が、決して無駄死にではなかったととらえる人たちと、無駄死にだったととらえる人たちの違いだと思います。

私は父祖たちの戦いが激烈であったことが、後の日本を守って下さったと感じています。何者にも踏みにじることのできない誇り高き生き方が、世界が日本を侮ることから守ってくれたのです。

日本人が侮られないように父祖たちが戦ってくれたことの意義は、計り知れない大きさを持つと思います。しかし、その価値は、自己の損得や、自分の身の安全しか考えない視点からでは理解できないだろうとも思います。

そして、それがわからなければ、父祖の代が遺して下さったものの大きさにも気づけないのだろうと思います。

私は、先人たちの遺して下さった、無形の財産の上に、私たちの平和と豊かな暮らしが成り立っているのだと思っています。

だから、今のウクライナの人たちの抵抗の姿に、応援したい気持ちが生まれているのだと思います。

それは、決して無責任な物言いではなく、日本でも同じことが起きれば、私もそうするという意味です。

 

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嬉しい朝

2022年03月11日 | Weblog

今朝、私のオフィスのあるマンションで、女の子とすれ違おうとした時、

「先生!」と呼び止められました。

「先生の「志の教育」をうけたおかげで、自分の将来を考え始めて、今回、目指す大学に合格しました。」と話してくれました。

学校で大人数を相手に講座を実施していると、手応えがわからずに苦戦した感じでしたが、そうして心に残っている生徒さんも少しはいて下さったのだと嬉しく思いました。

ただし、おかげなどということは何も無くて、100%本人の努力の賜であると思っています。また、あるとすれば、ご家族やお友だちの支えであり、学校や塾の先生方のご尽力でしかないと思っています。

でも、そう言ってくださる暖かいお人柄に、心からの敬意を払い、また、感謝をしつつ、私は傍で喜んでいたいと思います。

そして、また、共に学ぶことの出来る人との出会いを求めて、新たなチャレンジをしていきます。

意識に残らない教育、何十年先かにしか成果のわからない教育を、私はコツコツと全身全霊でやり続けます。

これまでの経験から、短期的視野に立ったHow toの教育は、一時的に見栄えが良く、成果が出ているように見えても、結局、あまり深くは残らないと思います。なぜなら、人間というものは、そんな単純な存在ではないからです。

「頑張ろうっ!」と思わせていただけた嬉しい朝でした。

 

 

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力無き理想論

2022年03月10日 | Weblog

「私の夢は無価値であり、私の計画はゴミに等しく、私の目標達成は不可能である。
もし、行動が伴わなければ…。

私は、今、ただちに行動する。

地図は、いかに精密であろうとも、地図自身が、その持ち主を一インチたりとも運ぶことはできない。

法律書が、いかに公正に書かれてあったとしても、法律書自身が、一件たりとも犯罪を防いだことはない。

私の持っている巻物でさえ、そのままでは一ペニーも稼ぎはしないし、喝采の言葉ひとつを生みだすわけでもない。

行動、これのみが可能への点火剤へ火をつける。

地図も法律書も、この巻物も、私の夢も、計画も、目標も、これあってはじめて、命を吹きこまれ、動きだす。行動こそ、成功への栄養剤となる食べ物であり、飲み物である。」

これはオグ・マンディーの『地上最強の商人』の一節です。今、ロシアのやっていることを見ていて、ふとこの言葉が思い浮かびました。いざとなれば、法律や条約などは、平気で踏みにじられ、何の役にも立たないのです。

今回のロシアの動きを見ていると、チェルノブイリの原子力発電所を押さえたり、民間施設を爆破したり、日本の北方領土を特区にしたり、非道な手を平気で次々にうっていきます。

出来る限り、相手が嫌がることをするのが、敵に対しては有効な措置だと信じて疑わないからできることです。これは子供の喧嘩でも基本的な構造は同じです。相手の弱みを出来るだけ突いて、敵を苦しめていくのが戦いです。

しかし、何でもありという残忍な戦い方は、外道の戦い方でしかありません。

今回の戦争は、人間は想像し得る非人道的なこと、おぞましいこと、ルール違反などを、いくらでも実行することができるということを教えてくれています。やろうと思わなければ、その行動はできないからです。

その反対に、人間は、理想を掲げ、命を投げ出し、同胞のために戦うこともできます。それもまた、人間が想像しうることは行動できるということの証明です。

ということは、教育によって、平和や愛情や思いやりといった、大切な価値を教えることが何より大切だということです。

孔子は、市場で義足が最も売れていたような戦乱の世に、人としての在り方~仁~の思想を説きました。武力でも、法律でもなく、人の心の持ち方で、平和な世を実現しようとした、孔子の考え方を学ぶことが、やはり大切なのではないかと思います。

同時に、力無き理想論は、単なる戯言でしかないことも思い知るべきなのかもしれません。

人の世は実に難しいものです。だからこそ、自分ならどうするのかを常に考えておかなければならないのだと思います。

 

 

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