バッカーズ寺子屋のスピーチコンテスト第2回目のテーマは「日本の未来」です。
スピーチトレーニングの最初の段階で、塾生たちが陥るのは、「日本の未来は、少子高齢化で、グローバル化が進み、IT化が進み、SDGsが、…」等々、学校で習った知識を話そうとすることです。
勿論、それを前提として語ってもかまいませんが、大切なことは、「自分がそこにどう関わっていくか。」「具体的にどうしたいのか」「今、何をするのか。」を語ることです。あくまでも自分を語ることが求められます。
子どもたちは、最初は、そうした日本の未来に関することを色々と調べて、その知識を話そうとします。
しかし、「評論家みたいに話すことに意味は無い。」「拙くとも良いから、自分がどうしたいのかを語る。」ということを繰り返し言い続けながら指導を重ねます。
最初は、学校では褒められるはずのことが全く評価されないことに戸惑いますが、次第に私の意図を理解します。つまり、あくまでも自分事として語ること。自分の志が問われていること。思いや信念がなければ空疎なスピーチにしかならないこと。等々です。
スピーチの内容に関しては、私は一切修正はしません。どんな思想であろうと、考えであろうと、それは本人のものですから関知しません。
ただし、誰かの考えの受け売りだったり、自分でも考えがまとまっていないことが見て取れたり、借り物の言葉で話していることが感じられたら、「なぜ、そう思うの?」「根拠は何?」と問い続けていきます。
それでも本番でうまくいかない塾生もいます。でも、私は上手くいかなくて良いと思っています。大人が喜びそうなこと、上辺だけのことを、滔々と語ることにさほど意味はないと思っているからです。
「価値のない上辺だけの成功より、価値ある失敗をした方が良い」といつも伝えています。
失敗しても、他の塾生の、言葉は拙くとも本当の思いのあるスピーチに触れ、自分の至らなさを痛感すれば、それで良いと私は思っています。
目的は上手くしゃべることではありません。思いを伝えることです。だから、そもそも思いがあるか否かが問われるのです。ささやかでも良いから、自分の意志がそこにあることが求められているのです。
そうした指導をするためには、私自身に確固たる意志と、未来への思いがなければ指導ができないことは言うまでもありません。
いつも塾生と同じ土俵に乗って真剣勝負しなければ、互いが成長することなどあろうはずがありません。また、「日本の未来」を考えることに関して、学習指導要領も教科書もありませんから、一人の人間として、日本の未来にどう向き合うかが問われているのです。
こうした子どもたちとの向き合い方を変えていくことこそが、教育改革の本質だと私は思っています。