Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

心の問題

2009年11月29日 | Weblog
教育が人を育てていく営みである以上、
必然的に教育の問題の多くは、
人間の心の持ち方の問題となります。

人間の心の習慣や
人間の生活習慣は、
時間の経過と共に、
周囲の人々の影響によって、
複雑に組み合わされ、
知らぬ間にその人のものとなっていきます。

だから教育に関わる人間の視点は、
広く深いものであることが求められますし、
習慣を上書きしてもらうためには、
ボールの投げ方を幾通りも学ばなくてはなりません。

数々の人生の失敗も無駄ではありません。
人間関係上の悩みも大切な宝です。

要は自らそれを乗り越え、
その経験を人のために役立てていこうと思う
心があるか否かだと思います。

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HTB

2009年11月28日 | Weblog
ハウステンボスの再建へ向けて新会社を設立しようと
九州財界の皆様が動き始める方向だという記事が、
今朝の西日本新聞朝刊に掲載されていました。
まだ、予断を許さぬ状況だとは思いますが、
それにしても非常に嬉しい記事でした。

ハウステンボスには私は深い思い入れがあります。
それは、その設計思想、街作りの考え方が素晴らしいからです。
私は年間に何度も人を連れてその「思い」を学びに行きます。
そう、自然と文化、人類の来し方行く末に思いをはせつつ、
ゆったりと時の流れを楽しむのが、
私の好きなハウステンボスでの過ごし方なのです。

今回の事業仕分けでも文化的な予算が多く削られたと聞きます。
文化は近視眼的な視野と経済効率優先の発想では、
保つことのできないものだと思います。

わかる人にはわかるが、
わからぬ人にはわからぬということが、
いくらでもあり得る世界です。
しかし、それが新たな技術革新や、
更なる文化の発展に寄与していく。

それはあたかも人目に触れることのない、
地下水脈のようなものだと思います。

そうと知らず、地下水脈を絶てば、
早晩、地上の水は枯れるしかない。

戦後の教育の大きな欠点は、
①「志」を育まぬまま、知識だけを与え続けていること。
②暗記中心で思考力・表現力を鍛えることを怠っていること。
③文学など人間性を磨く学問や芸術を軽視していること。
だと思います。

その結果、大局観を持った人財、
深い人間観を持った人財がすっかりいなくなってしまいました。

そうした人々が行う政は、
当然、大局観と人間観を欠くものとなっていきます。

私は今の政治家だけを責めているのではありません。
その人を支えている人も、その人を教育した人にも、
等しく責任はあるのです。勿論、私自身にも。

残るのは、ささやかであっても、
一人ひとりが何をするかということだけだと思います。

地下水脈を枯らさぬように、
微力ではありますが、私も力を尽くし続けます。


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砂漠に水をまき続ける

2009年11月27日 | Weblog
教育をしていて、
思いが100%伝わるなどと言うことはまずない。
理解されぬ事の方が、圧倒的に多いだろう。

しかし、だからこそ、
日々新たな気持ちで、
立ち向かい続けなければならないと思う。

教育の場で、理解されない時が続けば、
砂漠に水をまいているような虚しい気分になることもある。

確かにどれだけ水をまこうが、
砂漠が緑の大地に変わる可能性はほぼゼロである。

しかし、ほんのコンマ何パーセントかの可能性を信じて、
投げ出さずに水をまき続けられる人であるかどうかが、
教育に携わる人間にとっては大切なのだと思う。

決してあきらめぬこと。
相手を信じ抜くこと。

そのことの大切さを、
今また、改めて感じている。


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新しいプログラムを始めます

2009年11月27日 | Weblog
新年から新しいプログラムを開始します。
と言っても、新しく別のことを始めるのではありません・・・。
今までやってきたことを誰かに手渡していきたい。
そんな思いです。

対象は、学校の先生、若手経営者、大学生…。
それから、バッカーズ寺子屋の指導などを将来託せそうな方。

肩書きや立場は関係ありません。
教育への思いに共鳴して下さる方であれば、どなたでも…。

案内には、次のようなメッセージを書かせていただきました。


 日本のあらゆる教育のシーンに欠けているものは「志の教育」だと思います。
「志」とは、ぼんやりと眠っていた人間が、急に目を見ひらいて
自己の道をしっかりと歩き始めるためのエネルギー源とも言えます。
教育現場やビジネスの世界において、いかに知識や技術を伝えようとしても、
肝心の学ぶ側に「志」が立っていなければ、
自ら学び成長していこうという強いエネルギーは生まれてきません。
また、教える側の「志」が弱ければ、
それは、火のついていない松明のようなもので、
他の多くの松明に火をつけることなど到底できるものではありません。
今回、これまでに培ってきた「志の教育」を体系化し、プログラム化致しました。
本気で共に学ぼうとする「志」を持った、
多くの皆様方のご参加を心からお待ち致しております。

ご参加を心よりお待ち致しております。
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オフィス移転一周年

2009年11月27日 | Weblog
福岡市の浄水通へオフィスを移転して、
今日で一年が経ちます。

本当に慌ただしい一年でありましたが、
多くの皆様に支えていただき、
少しずつではありますが、
教育事業内容も充実して参りました。

これもひとえに皆様のおかげと
心より感謝申し上げます。

また、心を合わせて仕事を支えてくれるスタッフにも恵まれ、
これまた感謝に堪えません。


・・・で、今、お花をいただきました。

「オフィス移転一周年おめでとうございます。
いつもブログなどで先生の教育への思いを感じ感動しております。
陰ながら応援しています。
お体大切にお仕事楽しんで下さい。          ファンより」


とても素敵なお花をありがとうございます!!
とても嬉しいです!!

でも、誰からだろう???
う~ん???

う~ん。
地下鉄ってどこから入れたんだろう???
考えていると夜も眠れなくなっちゃう。


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人が作る空気

2009年11月26日 | Weblog
色々な会社や職場に行くと、
それぞれの「空気」があることを感じます。

業績の良い会社や学校に行けば、
心地よい緊張感や活気が漂っているのを感じますし、
静謐な空気に満ちあふれていることを感じる時もあります。

一方、業績の悪い会社や学校に行けば、
弛緩した空気や澱んだ空気を感じます。

この「空気」の正体が何かは分かりませんが、
やはり、そこで働いている人たち一人一人の意識が、
その空気に何らかの作用をしているとしか言いようのないものだと思います。

ということは、やはり私たち一人一人の心の持ち方が、
いかに重要な意味を持つかと言うことだと思います。

結局、心の中は見えないようでいて、
実は、外に伝播していくものだという事実に、
謙虚に、そして、真剣に向き合っていくことが、
とても大切なのだと思っています。


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皆様と共に

2009年11月25日 | Weblog
夏辺りから、異様な慌ただしさに追われて、
ブログの更新をすっかり怠っていましたので、
ここ数日、ブログを書こうと決意しています。

まだまだ、私たちを支えて下さっている皆様へのご報告や、
ご連絡等々が滞っている部分も多々あって、
ブログを書いている時間があったら、
他の仕事を!という思いもあるのですが、
やはり、発信はしていかなければと意を新たにしています。

スタッフも一名増員させていただき、
私を含めて四名の体制となりましたので、
一歩一歩仕事が整理されてきています。
ご迷惑をおかけ致しまして誠に申し訳ありませんでした。

今年もあと一ヶ月ほどになりましたが、
色々なところで、皆様とお会いできることを楽しみにしています。
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本気で伝えたいこと

2009年11月25日 | Weblog
来年から、私が47年間の人生の中で、
学ばせていただいた様々なことを、
体系化して伝えていく試みを行いたいと思っています。

勿論、大したことのない、
私という人間がやることですから、
申し訳ありませんが、大したものにはなりません。

しかし、47年間、遊び、学び、悩み、感動してきたこと、
塾生・生徒、保護者の方々、同僚、先輩・後輩と学び合ってきた沢山のことを、
何とか誰かに手渡すことができたらと思うのです。

特にバッカーズ寺子屋での教育の在り方など、
本気で学びたい人との出会いを心からお待ちしています。



  而して近時に至り師道益々廃す。
  余因って其の源を洞察し、亦一説を得たり。
  大抵師を取ること易く、
  師を撰ぶこと審かならず。
  故に師道軽し。

  故に師道を興さんとならば
  妄りに人の師となるべからず。
  又妄りに人を師とすべからず。
  必ず真に教ふべきことありて師となり、
  真に学ぶべきことありて師とすべし。

             吉田松陰「講孟箚記」
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魯山人の言葉② ~教育改革を考える~

2009年11月24日 | Weblog
北大路魯山人の言葉には、はっとさせられるものが多くあります。

教育ではなく、作陶や美について語っているのですが、
教育や仕事に当てはめてみても、実に深い、突き刺さるような言葉です。
教育に携わっていく上で、肝に銘じておきたいと思う姿勢であり心構えです。

こうした強烈な第一級の孤高とも言える生き方に触れると、
そもそも職業教師などと言う存在自体が、
インチキ臭いのではないかしらんと思えてきます。

魯山人のように何か価値あるものを残せるのだろうか?
魯山人のように朽ちることのない言葉を残せるのだろうか?
子どもに何かを伝えるといいながら、
その伝えている中身はそれほど価値のあるものなのか?
伝えている私の人格はどうなのか?

様々な自責の念が頭の中をぐるぐる回ります。

だからこそ、今、あらゆることを学び、
教育の革新のために全力を尽くしたいと思っています。
魯山人の言葉に、心奮い立たされ、密かに負けるものかと思っています。


「これからは革新時代でありましょう。
革新家がどんどん生まれなくては心細い限りです。
現状を打破する人間、飽くまで意志の強い人間、
探美生活に身を打ち込み、
美に関する限り恋愛して止むところを知らないという人間。

人間が創作する以上、人間が入用である。
人間なくしては出来ない相談である。
陶器を作る前に先ず人間を作ることである。

名品は名人から生まれる。
しかるべき人間を作らずに、
無暗に仕事にかかる如きは、
愚劣極まることだと知ってよい。

下らない人間は下らない仕事をする。
立派な人間は立派な仕事をする。
これは確定的である。

要は人間を作り上げ、次に仕事を要求することである。
人間を作ることは、言わば作品の成果を得る基礎工事だと知れ。」

(昭和29年4月 ニューヨーク州立アルフレッド工芸大学での講演より)


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バッカーズ九州寺子屋・経営者講話

2009年11月24日 | Weblog
-西日本新聞 2009/11/23 朝刊23面-  より

「九州の企業経営者が私費で運営し、将来のリーダー育成を目指す私塾「バッカーズ九州寺子屋」(木村貴志塾長)の経営者講話が22日、福岡市早良区であり、西日本シティ銀行の久保田勇夫頭取が、小学5年生から中学3年生の18人の塾生を前に話した。

久保田頭取は旧大蔵省に入り、国土事務次官や米投資会社の日本法人会長を務めた経歴を振り返り、「すべて自分で考え、自分の価値観で判断してきた」と述べた。

リーダーの資質については、「ゴール設定だけでなく、途中の道筋を描けなければならない。若い頃から人と議論し、自分を育てて」と強調した。

塾生の森泰雅君(11)は「意見が異なる人とも議論することが大切だとわかった」と話していた。同塾は一年間のコースで、講話や企業訪問などのプログラムが組まれている。」



私たちは、教育の未来の姿を模索し、それを形にしていきます。
本当に大切なことは何か?
何が子どもたちを伸ばしていくのか?

既成概念に縛られることは、もうとっくにやめています。
学校という枠にも、日本という枠にも、平成という時代の枠にもとらわれず、
教育改革の実現に向けて、果敢に攻めていきたいものです。               
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