Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

流浪の民

2008年05月31日 | Weblog
昨晩は、長崎にいました。
今朝は、佐賀で打ち合わせをしていました。
お昼は、福岡の事務所にいました。
そして、今晩は、東京にいます。

日本中、どこでも私の家。
世界中、どこでも私の家。

そう思えるようになって、随分楽になりました。

明日も、元気に頑張ります!!

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志の教育

2008年05月31日 | Weblog
私たちの会社のミッションは「志の教育の創造」。

どれだけの子どもたちと、
どれだけの親御さんと、
どれだけの先生方と、
どれだけの若者たちと、
どれだけの社会人と、

共に志を高め合うことができたかが、
私たちの会社が、真に社会的使命を果たしているかどうかの尺度。

先日の某私立高校での講演の後で、
バッカーズ九州寺子屋事務局にお電話をいただいたり、
ブログにコメントをいただいたり、
いくつもの反応をいただけたことは、
本当に私たちとしても嬉しいことでした。

私たちは、ささやかであっても、
私たちのミッションに基づいて、
衆におもねることなく、
楽しく、真剣に、
私たちの目指す教育をカタチにして参ります。

ご声援をよろしくお願いいたします。




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商店街

2008年05月28日 | Weblog
私の福岡のオフィスは香椎の商店街に近い。
この商店街がなかなか良いものである。
八百屋さん、お魚屋さん、お肉屋さん、お総菜屋さん、よりどりみどりである。
しかも、素晴らしく新鮮で、何と言っても、安い!

以前は外食をよくしていたのだが、
スタッフの一人が、「社長、健康のためにも炊飯器を買いましょう!」
と言うのでつい会社に炊飯器を買ってしまった。
以来、わが社にはヘルシーな食卓が誕生してしまったのである。

食材は近くで新鮮で安くて美味しいものが豊富にそろう。
ご飯を炊くから、事務所三人での昼食は超安上がり。

ただ、一つ、問題発生。
美味しすぎて、ついつい食べ過ぎてしまうのが、目下の大きな問題である。

今日もイカ刺しが美味かったし、黒豚コロッケも美味かった。
特筆すべきは、季節外れのサンマの蒲焼きが美味かったこと。

とにかく健康でハードスケジュールを乗り切ろう!
温かなスタッフたちに囲まれて、私は日々伸び伸びと仕事をさせていただける。
感謝!感謝!




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非日常が日常

2008年05月27日 | Weblog
今日は、現代文を担当している某高校で、
後援会総会の講演をさせていただきました。

久しぶりにちょっと緊張した講演でした。
なぜなら、講演というのは非日常のできごとで、
講師は外の世界からやってきてそれなりに話をしては、
ふたたび外の世界に帰って行くことのできる存在だからです。

しかし、授業をしている学校で講演するということは、
授業込みで、生徒&保護者の皆様から、
これからもずっと、まるごと評価の視線にさらされるということ。
つまり、逃げ場はどこにもないということです。
講演で語った言葉は、全て、そのまま、自分自身の言動の責任として返ってきます。

これはなかなかスリリングでエキサイティングなことです。
純粋な教員時代には経験することができなかったことです。

でも、楽しゅうございました。病みつきになりそうです。

今日の講演は、
私の日常は非日常でございますと断言するようなもんだったわけですが、
いや、たいそう刺激的でした。

聴いてくださった皆様、ありがとうございました。


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たくあん?タクアン?沢庵?

2008年05月26日 | Weblog
弁当を買って食べていたら、千切りのたくあんのようなものが入っていた。
口にして考え込んでしまった。

「う~ん、これはいったい何だろうか?」

黄色く着色された、砂糖と調味料の液体につけ込まれた大根は、化学的であれ確かに甘さと旨みはあるものの、とても「たくあん」と呼べるような代物ではなかった。大根の味も香りもそこには全くと言っていいほど存在してはいない。

本物の美味しい「たくあん」を作る手間暇を省くために、また、コストを下げるために、生産者は今までは製造技術の改革をしてきたのだと思う。

しかし、ここまで原型をとどめぬ食品とは何だろうか?本物のたくあんへの憧れももはや完全に失っているとしか思えない、この黄色い食品?物体?を作り続けている人の思いとは、いったい何であろうか?

いや、このたくあんだけではない。
当初の思いを忘れ去って、ルーティーンという理由だけでやり続けられている不可思議な仕事もきっと沢山あるのではないか?

なぜだか、とりとめもなく考えてみた。

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最終講座

2008年05月26日 | Weblog
今日はバッカーズ寺子屋第三期生の最終講座でした。
いよいよ来週は卒塾式です。

今日は、みんなの成長をしみじみと実感していました。
この時期に、この瞬間に、みんなと出会えたことに感謝です!

なぜ、こんなにみんなしっかりと成長していくのだろう?
本当にそう思いました。

文字や表現は拙くとも、
卒塾レポートにあふれ出しているまごころに、
涙がこぼれそうになりました。

ご家庭や学校や塾や習い事、
すべての時間がみんなの成長を促してくれます。

本当は、まごころを込めて、
みんなが子どもたちを育てたいと思っている。

ただ、慌ただしさに、じっと見つめることを忘れているだけ…。

私はその眼差しを忘れないでおこうと思います。
みなさんと共に在りたいと思います。


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教師という生き方

2008年05月18日 | Weblog
久しぶりに教え子たちに会いました。
大学生になって元気にやっていました。
たかだか週に二日の授業でしか会っていなかったのに、
よく時間を作ってくれました。感謝です。

私は二年前に再び教壇に立ってから、
「同じ人間として」というスタンスで、
すべての生徒たちに接していこうと思っています。

ある意味、それはお互いにとって、
厳しい向き合い方なのかもしれません。

子ども扱いしないということだし、
一人の社会人として、一人の人間として、
誠実に向き合っていこうということだからです。

でも、そうしていくことの大切さを確信しました。
今、教えている生徒たちにもそうした姿勢で伝えていこうと思います。

私たちが教師としてできることは、生き方を示していくことだけ。

若者たちはもう自分で考える力を持っています。
そして私が歩いてきた道などより、
はるかに素晴らしい道を歩くことができるのだと思います。

人生の中での出会いは限られています。
そして、
おじさんになった私の人生の時間も限られています。

ささやかであっても、
精一杯、何かを手渡して行けたらと思います。

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教育

2008年05月17日 | Weblog
すぐに良い子にする方法はない。
すぐに良い親になる方法もない。

すべては、一歩一歩。
毎日、学び続け、感じ続け、生きていくしかない。

効率重視の社会の中で、
教育もまた効果覿面の方法があるものだと、
だれもが青い鳥を探し続けている。

そして、箱物やイベントが無数に作られてきた。

私は手間暇こそが教育だと思う。
だから、愚直に手間暇をかけて、
ささやかでよいから、
一人一人の人間と向き合っていこうと思う。

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出会い

2008年05月11日 | Weblog
今日、一冊の本を買った。
稲盛和夫さんの『君の思いは必ず実現する』という本である。

稲盛さんの本はほとんど読んでいたので、
買わずにおこうかとも思ったが、
開いた瞬間に目に飛び込んできた箇所があって、
その一カ所だけに、どうしても心惹かれたので買ってしまった。

それは稲盛さんの会社がマスコミから散々叩かれるという事態が生じた時に、
臨済宗の偉いお坊さんに稲盛さんがいただいた言葉について書かれていた所である。

「災難に遭うのは過去につくった業(この世に生まれてくる前の世での悪い行いのむくい)が消える時です。業が消えるのですから喜ぶべきです。どんな業があったのかわかりませんが、その程度のことで業が消えるならお祝いせんといかんですな。」

この言葉に私は、ああそうなのかと深く感ずるところがあった。

「災難」を「神の恩寵的試練」として受け止めていくことの大切さは、
国民教育の父と言われる森信三先生をはじめ多くの人たちが語っているが、
それを違う切り口で表現されていたのが、ページを開いて目にしたその瞬間、
何故か新鮮に感じられたのである。

災難には、色々な種類のものがある。
事故に遭うこと、天災に会うこと、盗難に遭うこと、誹謗中傷されること。

何があっても笑顔で受け止められる自分でありたい。
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萩往還を歩いて

2008年05月08日 | Weblog
萩往還を無事歩き通すことができた。

十四回目の萩往還だが(たぶん)、
年齢と共に歩いた後のダメージが軽くなっているように思う。

きっとこれは老化のために痛みの感覚が鈍ってきたに違いない。

・・・いや、そうではなくて、

30㎞を歩くことが大きな目標であった自分が、
その次の目標を見つめ続けているためだと思う。

歩き通して疲れたからと言って休んでいる場合ではない。
明日を、明後日を、そして、さらに遠くを見つめ続けることができるようになったためだと思えている。

毎回歩いて思うことだが、
この道を歩いていると不思議と元気になる。

豊かなとても日本らしい自然に包まれて歩くから、
そして、維新の志士たちが歩いた道を歩くから、
そして、みんなと一緒に歩くから。

自然の一部に還ることで、
無心になって丸一日歩き続けることで、
体の細胞の一つ一つが、
新しく生まれ変わっていくような気がしてくる。

いつか、バッカーズの卒塾生たちと、
そして、保護者の皆様と、
ひょっとしたら塾生の子どもたちと、
この道をまた歩くことができたら、
きっとそれは素晴らしいことだろうと思う。
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