Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

バッカーズ寺子屋・卒塾生合宿

2011年08月27日 | Weblog
昨年から始まった、バッカーズ寺子屋卒塾生合宿。

今年は、伊豆下田で開催しました。

やはり、志をあたためあい、
切磋琢磨できる仲間がいることは素晴らしいと思います。

私はバッカーズ寺子屋が大好きです!

また、現役塾生の一年間で共通の体験をしてきたことが、
会話を弾ませ、塾生同士の心を通わせてくれます。

日本を変える人材が、
ここから必ず生まれてくると確信しています。

既に海外の学校に行っていたり、
学校行事等で参加できなかった卒塾生の皆さんも、
いつか必ず参加して下さいね。

心からお待ちしています。

また、下田について書きたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

命をいただく

2011年08月19日 | Weblog
バッカーズ寺子屋の合宿では、
「釣り」をやっています。

これがなんと、七年の間、
一度も中止になったことがありません。

すでに、東京七期、九州四期、その他諸々合わせて、
300人近い塾生と釣りをしてきましたが、
釣れなかったのは二人だけ。(無念)

サビキで小アジを釣るのですが、
時々、小鯛やベラやフグやタカバなどもかかります。

初めて釣り上げた命の躍動に、
生きた魚を触ったことのない子供たちは大いに戸惑います。

でも、次第に触ることができるようになり、
掴んでクーラーボックスに運べるようになり、
そして、夕方には、手さばきで、
はらわたを出すことができるようになり、
素揚げして天然塩を振った小アジの美味しさに歓声をあげています。

私が伝えたいのは、
私たちは「命」をいただいていると言うこと。
たくさんの「命」に支えられて、
自分の「命」が存在できていると言うこと。

「食」に関して鈍感になることは、
「生」に対して鈍感になることだと思います。

「無生物食」が氾濫している今日、
私たちの「食」をもう一度、見直したいものです。

釣りをした日に泊まる山間の川沿いのコテージでは、
みんな虫の多さに閉口しています。

特に22時頃に大量発生する蜉蝣の乱舞は、
もう見ているしかありません。
いたるところ蜉蝣だらけです。

しかし、その豊かさがあるからこそ、
川で沢山の魚たちがキラキラときらめいていられるのです。

建築家の池田武邦先生が、
ある時、こんな事をおっしゃいました。

「人間は、見ている景色の中に、
人間以外の「命」が沢山存在している時に、
その風景を美しいと感じるのです。」

花の命、木々の命、虫の命、魚の命、鳥の命、獣の命、
無数の命が、自然の中には息づいています。

その命にあふれる風景は、やはり美しい。

食の源も、私たちの命の源も、
ふるさとの豊かな自然にあることを
私たちは忘れてはならないと思います。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の農業の明日

2011年08月19日 | Weblog
先日、福岡県の飯塚で、
新規就農者の皆様方を対象に、
「農業ビジョンを語ろう」というテーマで
講演をさせていただきました。

農業については専門外ですが、
夢・ビジョン・志について話をさせていただきつつ、
皆様の心に眠っている「志」の種火が、
大きく燃えさかるようにと念じて話をさせていただきました。

講演の最後のところで、
新規就農者の皆様に、
今日の話の感想とご自身の農業ビジョンを
語っていただいたところ、
それは、それは、素晴らしいものでした!!

日本の農業は、
食糧自給率の低さや、
後継者不在の問題、
経営的視点の不在など、
様々な課題を抱えてきました。

しかし、新規就農者の皆様の、
力強いメッセージを聞かせていただき、
これから日本の農業の流れが、
確実に変わって行くであろう事を実感しました。

もちろん時間は必要だと思います。
しかし、胎動は確実に始まっていることが感じられました。

日本の農業の問題は、
私にとっても気になるテーマだったのですが、
今回、こうした接点をいただき、
生の声を聞かせていただけたことが、
私にとっても大きな学びでした。

これからも関心をもっていきたいと思います。

ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学びの姿

2011年08月16日 | Weblog
シュリハンドクの話を読み返すたびに、
私は涙がでそうになります。

物覚えが悪かったシュリハンドクは、
自分の名前すらよく覚えられませんでした。

お釈迦様の説法を聞いてもよくわかっているのか、
わかっていないかもよくわからない。

ただ、お釈迦様のお話を聞いていると
心が温かくなるような気がして、
ただ、ただ、お話をじっと聞いていました。

お釈迦様は、そんなシュリハンドクに、
みんなが集まるその場を掃き清めるようお話になりました。
そして、「垢を流し、塵を除く」という一言だけを
シュリハンドクに授けられました。

それからシュリハンドクは、
一日中、箒を持って、その場を掃き清めました。

最初は掃除の要領も悪かったのですが、
だんだんと上手になっていき、
みんなは清々しい場で、
お釈迦様の説法を聞くことができるようになりました。

何年も何年も箒一本を手に、
シュリハンドクは懸命に掃除を続けました。

そのうちに、シュリハンドクは、
「垢を流し、塵を除く」ということは、
「自分の心の垢を流し、自分の心の塵を除くこと」だと悟りました。

この世の中の悪しきこと、苦しきこと、醜きことは、
すべて人間の心が生み出していることがわかったのです。

教育の場面においては、
何度も何度も、
根気強く伝えることが大切な場面があります。

一見、それが役に立つのかどうか、
端から見てわからないこともあります。

しかし、私は、その人が、
心に響く何かを感じ取ることができているのであれば、
人は必ず成長していくと思います。

時間がかかることもあります。

だから、信じて待つこと。
信じて待つ苦しさに打ち勝つことが
教育に携わる者にとっては、
とても大切な事なのだと思います。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩人のことば

2011年08月14日 | Weblog
金子みすゞさんの記念館に行ってきました。

中原中也もそうですが、
優れた詩を残した詩人たちは早逝しています。

中原中也30歳。
金子みすゞ26歳。

普通の人には決して見えないものが、
優れた詩人の目には見えてしまっていて、
それを言葉にするから、
命が急速に磨り減っていくのかも知れません。

詩人の命が尽きた後、
詩の言葉に託された命は目覚め、
はかないガラス細工のように、
キラキラと輝きを放っている。

金子みすゞさんの詩は、
確かに優しいけれども
私には寂しすぎます。

やはり苦しみや悲しみの中から、
言葉が紡ぎ出されているようで…。

私は、詩人の人生を深く知ることが、
その詩を理解することにつながると思っています。

作品と作者とを切り離して理解しようとする向きもありますが、
やはり私は、言葉はその人の人生を反映するものだと思います。

私には詩人のような人生を生きることはできませんが、
その詩の世界を、詩人の人生と共に感じ取ってみたい、
そう思っています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育の明日

2011年08月14日 | Weblog
私たちの目指す教育は、
人間力を高め、
グローバル社会に通用する人材を育成することです。

それは、手間暇のかかる教育であり、
社会が探求する「効率」とは対極にあるものだと思います。

様々な体験をし、
様々な失敗をし、
自分で感じ、
自分で考え、
そこから学んでいくわけですから、
時間がかからないわけがありません。

そして、体験だけでは足りないのです。

その体験の意味や、
講話の背景を考える時間、
学年の違う仲間たちの様々な価値観に触れる時間、
そうしたことの全てが実は大切な学びなのです。

何かイベントがあるときだけ参加するというあり方は、
結局、その人に何も残しません。

私はみんなより優れているから、
他の子の意見なんかつまらないと思うのも大きな間違いです。

意見を束ねてこそのリーダーです。
人の痛みがわかってこそのリーダーです。
多様な人たちの中で、みんなに信頼されてこそのリーダーです。
多様な価値観の人たちに、
自分の思いや考えを伝えられてこそのリーダーです。

そのことは、
バッカーズ寺子屋での指導をずっとやってきた私が、
教育者としての確信を持って言えることです。

日本の社会は、
今、危機的な状況に向かっています。

産業の空洞化、少子高齢化、多額の借金、・・・。

そこで必要な教育とは何か?
私の中で答えは出ています。

だから実践し続けるのみです。
そのことを本当に理解して下さる方と共に・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆

2011年08月13日 | Weblog
お盆のお迎えに行ってきました。

亡くなった家族や祖先の霊が、
その期間だけ「お家に帰ってくることができる」
というのは、何とも日本的で、
あったかい風習だと思います。

迎え火をたいて、
道に迷わないように…。

そして、目に見えない亡き人に
「お帰りなさい」と言って、
お家に帰ってきてもらうのは、
いかにもあたたかい。

死んでしまったけれど、死んではいない。

私たちの、亡くなった家族を思う心が、
その人を心の中で生き続けさせることができる。

そして、それを共有することができるのです。

過去の人間の記憶というものは、
やはりパソコンのメモリーとは違うのだと思います。


お盆の期間が過ぎると、
送り火を焚いて、お墓へ送っていくのが、
また何とも日本的で微笑ましい。

だって、ずっと居座ってもらうのも、ねぇ(笑)。

それよりも、やはりご先祖様が気を利かして下さる
ということなのでしょうか。

年と共に、亡くなった人たちとの距離が
少しずつ近づいてくるような気がしてきます。

そして、若い頃には見えなかった命のつながりが、
私にも少しは見えるようになってきたようです。

私という命を生んで下さったことに心から感謝します。

受け取ったバトンを持って、
命のリレーの私の番を、
全力で駆け抜けたのなら、
次は私が休む番。

そのとき、私はどう迎えてもらえるのだろう?
ふっと、その場面が頭をよぎりました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エクスプレッションスクール雙葉・萩合宿・一日目

2011年08月08日 | Weblog
今日からエクスプレッションスクール雙葉の萩合宿に来ています。

活動報告を下記のブログに掲載していますので、

保護者の皆様は、こちら↓をご覧下さい。

http://blog.goo.ne.jp/expression_vision2011

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間を観る

2011年08月06日 | Weblog
教育で大切なことは、
一人一人の心の動きを
しっかりと見ていくことだと思います。

受験指導ばかりしている頃には、
こうしたことには思い至りませんでした。
いや、見ているつもりになっていました。

しかし、そんなものではないのです。

共に汗を流し、
共に語り合い、
自分自身も志を高く持ち、
日々を真剣に生きて行かなくては、
本当の人格の完成に資するような教育は
決してできるものではないと
今は確信しています。

教師自身が一人の人間であり、
一人の社会人であり、
大人としての行動を示していかなければ、
心からのメッセージなど伝わりはしないのです。

問題は深さなのだと思います。
生徒に求めるのではなく、
自分自身が深く生きること。
それしかない。

バッカーズ寺子屋の教育は実にわかりにくいものです。
しかし、
塾生の皆さんにも、
保護者の皆様にも、
一年間の学びを通して、
そこにある何かを
感じとってていただけているのではないかと思います。

私は一人でも多くの教育に関わる皆さんに、
このことを感じていただけたらと願っています。

しかし、決して、一部を見ていただいても、
全体として何が起こっているのかが見えないところが、
この教育の本質が伝わらない難しいところだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日から平常に。Vision&Education,Ltd.

2011年08月06日 | Weblog
さて、ここ数日は、
バッカーズ九州寺子屋のホームページに
塾長ブログを開設していなかったため、
V&Eのホームページにある、
私のブログにてやむを得ず、
合宿近況報告をさせていただきました。

今日から再び、平常に戻らせていただきます。
私の思いを、つれづれなるままに、
書かせていただこうと思っています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする