Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

下村胡人の言葉

2025年02月27日 | Weblog

子どもは父母の強い影響を受けて育ちます。だから、私のできることなど、たかが知れているとも思います。しかし、家庭で子どもを甘やかしているであろうことが透けて見えるような時があります。甘やかすだけでなく、放任していることが感じられることもあります。親が自分の自由を、子どもの成長よりも、大切にしたいからです。悲しい気持ちになります。

「甘い教育によって、いろいろの自由を与えられた子供たちは、将来最も不自由な人間に育つであろう。なぜなら、彼らは、自由の最大の基盤である反省力と意力とが奪われるであろうから。」

下村湖人のこうした言葉をお伝えしたいとも思いますが、おそらく、聞く耳はお持ちでないでしょうし、幼時に親としてするべきことをせぬままに過ごしてしまったのだから、時すでに遅しかもしれないと思います。後で、高い授業料を払って正気に戻るしか、道はないのだろうと思います。非難しているのではありません。悲しい気持ちになっているだけです。自分の無力と、社会全体の教育力の低下を嘆いているのです。

結局、親は先に死んでいくのが、基本的な生物の命の在り方ですから。親が死んだ後に、子どもが一人で生きていけるようにするのが教育の使命だと私は思います。

「生命の生長とは自律性の生長であり、自律性の成長とは良心の自由の生長である。そして良心の自由は、生命がそれぞれの個性と環境とに即して不断に自己を創造しつつ、しかもそれがそのまま全一なる世界への貢献を意味する時、最も理想的に生長しているといえるであろう。かくて、生命の生長とは、詮ずるところ、全体に即して独自に生きる力の生長であり、更にいいかえると、愛に背かざらんとする願力と実践力の生長なのである。」

下村胡人の言葉です。

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学び

2025年02月26日 | Weblog

魂を込めた学びの時間を作りたいと思います。子どもにも、大人にも。一人に対しても、千人に対しても。愚直に準備をし、思いを込めて伝え、共に楽しみたいと思います。その先に何があるのかは私の知るところではありません。ただの徒労であるかもしれません。しかし、それでも自分に妥協をし、自分を偽る人生よりは、はるかにマシだろうと思っています。

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バッカーズ寺子屋の教育

2025年02月19日 | Weblog

今日は、バッカーズ九州寺子屋の塾生のレポートにコメントを書いていました。地道な作業です。しかし、教育とはそのようなものだと思います。「教育とは流水に文字を書くような果ない業である」とはよく言ったものです。その通りだと思います。見返りを求めることなくやり続けていくことが大切なのです。そこにはお金も何も発生しません。あるのは祈りだけ。しかし、それが教育なのだと思います。

政治も行政も医療も何もかもがお金に置き換えられる世の中になりました。人間の命だってお金に換算されているように感じます。命は時間でありお金であるとも言えますが、あまりにも人情酷薄な社会が出来上がりつつあるような気がしています。

しかし、私は断じてそんな人間の社会にはしたくないと思います。私も、幾多の先人たちもそうであったように、両親に愛されるのが当たり前であってほしいと思います。そして、日本という国を作ってきた先人たちへの感謝、祖先への感謝を忘れない心を持った人達で作る人間社会であり続けて欲しいと思います。愛国心というと右呼ばわりされるような居心地の悪い社会ではなく、先人たちの物語を共有することのできる世の中であってほしいと思います。国を愛するということは、これまで生きてきて頑張って下さった祖先を愛することだと思いますし、具体的には、父、母、祖父、祖母、曾祖父、曾祖母を愛するということに他ならないからです。

もし、日本の教育がより良い方向に向かうとすれば、それが成し遂げられるとすれば、人間とは何か、人間の幸福とは何か、といったことも考えられる教育哲学を持った教育者が増えていくことを通じてしかないのではないかと思います。

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バッカーズ九州寺子屋【福岡】・第一回・入塾説明会

2025年02月18日 | Weblog

バッカーズ九州寺子屋の第一回・入塾説明会を開催いたします。2025年2月23日㈰の17:00~18:00(多少終了時間が下がることがございます。)福岡市中央区渡辺通りの電気ビル共創館で開催いたします。

17期生の募集となります。対象は原則として10歳から15歳の小中学生。受講期間は2025年7月から2026年7月まで。月二回程度、日曜日に開催。受講料は月額5.000円。詳しくは、バッカーズ九州寺子屋のホームページをご確認ください。

入塾を希望される方は、まずはお子様と一緒に入塾説明会へお運びください。パンフレットと入塾願書をお渡しいたします。何より、どのような活動なのかをご理解いただくことが大切だと考えています。

楽しい学び舎です。そして、生涯役に立つ学びができる場所です。ただし、定員は20名。まずは、入塾説明会にてお待ちしています。

 

 

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バッカーズ寺子屋 開塾20年

2025年02月18日 | Weblog

バッカーズ寺子屋は開塾20年を迎えます。

四月の第一日曜日に開催するホームカミングデイは、今年は「開塾20年記念」の冠をつけて盛大に開催します。卒塾生の皆様、卒塾生保護者の皆様におかれましても、ぜひ、この機会にご参加いただければと心から願っています。

この後の開塾30年記念まで、私が元気かどうか定かではありません。(今のところ、ぴんぴんしています。) しかし、私は今回を最後の周年行事のつもりで取り組みますので、一人でも多くの方にご参加いただけたらと思います。ご参加いただくことはもとより、『絆』への執筆による近況報告もよろしくお願いいたします。楽しみにお待ちしています。

20年が過ぎ、結婚して子どもが生まれ、父親・母親となった卒塾生たちもいます。やがて孫育ての時も来るでしょう。教育は生涯のテーマと言っても過言ではありません。だから私は一年間の学びであっても、皆さんとの絆をつなぎ続けていこうと思いました。そして、ホームカミングデイに配布する近況報告の冊子を「絆」と名付けました。

人によってはバッカーズ寺子屋に来たくなかった時期もあるでしょう。華々しく活躍する卒塾生たちに引け目を感じて来たくなかったこともあるでしょう。塾友との家庭環境の違いを感じて足が遠のいた人もいるでしょう。うがった見方をして、受け入れられなくなった時もあったかもしれません。

しかし、私は皆さんお一人お一人に心から来て欲しいと思っています。そんなことはどうでも良いことなのです。みんながそれぞれに成長していけばよいのです。いや、成長できずにもがいている時こそ、ホームカミングデイには来て欲しいと思います。必ず何かのヒントやきっかけがあると思います。

卒塾生保護者の皆様にもメッセージを投げ続けているのは、目的が「日本の教育をより良いものにする」ためであり、そして、サードプレイスのように心地良く、学び多き場所でありたいと願い続けているからです。前述のように、いずれは、子育てから、孫育てになる時が来ます。だから、教育について考える機会を手にし続けることは、余計なことかもしれませんが、大切なことだと思います。

それから、卒塾生全員にバースデーカードを送り続けている意味は、私の実践する教育や考え方は大したことがなくても、バッカーズ・ファンデーションの方が伝えたかった「バッカーズ少年教育10原則」はいつまでも心にとどめて欲しいと願っているからです。もう九州と合わせれば700人を超えるところまで来ました。1,000人までは頑張ってみようかと思います。プリンシプルを学ぶこと。それがバッカーズ寺子屋設立の趣旨だったからです。

まったく余計なおせっかいばかりでウザいと思われるかもてれませんが、教育とはそうしたものなのではないかと思います。少なくとも、人が人と関わり、人間的成長を後押しする教育というものは、そうしたものだろうと思います。ただ、そこに見返りは求めません。みんながそれぞれの場所で幸せに充実した人生を生きてくれていたら良いと思いますし、バッカーズ寺子屋の教育が、そこに少しでもお役に立てていたら嬉しく思います。その先に日本の未来があると思って走り続けてきました。これから誰かにバトンを渡すまで、さらにギアを上げて走り続けます。

ホームカミングデイでお目にかかれますことを楽しみにしています。                     木村貴志

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志の教育

2025年02月17日 | Weblog

私の目指す教育は、きわめてシンプルであり、過去の先人たちが語ったものであり、別に目新しいものではありません。しかし、そこに現代の教育が見失った、子供たちが大きく成長していくためのヒントがたくさんあるのだと思います。

目指す一つは、「志の教育」です。これも、「志」という言葉がわかりにくいうえに、雰囲気で何となく語られるから、却ってネガティブな感じを持つ人も多くなったのではないかと思います。

しかし、それでも私は志が大切だと思います。なぜなら、自分の一度の人生の中で、目指すものがあった方が自分も周りも楽しいし、志があれば放っておいても自ら学び始めていくことができるからです。やらされる勉強、やらされる仕事、やらされる人生ではなく、生き生きと生きて欲しいからです。

志を立てるための方法は全部で四つです。これは橋本左内が数え年15の時に書いた『啓発録』の中にある言葉です。

1.読書をして先人の生き方や考え方に学ぶこと、

2.師友に学ぶこと。つまり、あらゆる人との出会いの中で生き方や考え方を学ぶこと、

3.逆境の中での心の持ち方を磨いていくこと。逆境という神の恩寵に立ち向かう人生こそが、人格を磨き、不可能を可能にしていく道だと知ること、

4.感激すること。心が揺さぶられ突き動かされるような経験が、その人の志の種になるということ。

この四つのことは、読書一つとっても簡単なものではありません。時間が必要です。そして、人生の様々なステージにおいて、折に触れ考え、軌道修正し、少しずつ朧気だった輪郭が明確になっていくものです。

バッカーズ寺子屋のたった30日ほどの学びで、「志が立てられました。」と言うような易々たるものでは断じてありません。テストの答えを書くような生易しいことではないのです。記号で適当に答えて、たまたま正解だったというようなことは絶対にないものなのです。

しかし、それでも私は「志の教育」に向き合っていこうと思います。一人でも二人でも、自分の志を立てて、迫力ある人生を送っていく人が増えていくことが、未来の子供たちの幸せにつながると信じているからです。

 

 

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バッカーズ寺子屋・第1回入塾説明会を終えて。補記。

2025年02月16日 | Weblog

バッカーズ寺子屋 第一回目の入塾説明会が終了しました。来期のスケジュールも出ていますので、早く把握されて、入塾のお申し込みをしていただけたらと思います。ただし、学校の行事予定がわかるのは、どうしても4月以降になりますから、総合的に判断して願書を提出していただけたらと思います。

入塾説明会の1時間ではお伝えし切れないことがどうしても出てくると思います。そこで、昨日、お伝えしきれなかった点があるか振り返ってみました。

一つ目は、「スピーチが苦手、レポート書くのが苦手、というお子さんにこそ、入塾していただけたら良いな」ということです。全員が必ず成長しますし、失敗を楽しめる空気の中で、どんどんチャレンジして、成長していって欲しいと思っています。

ただ、何事も手を抜かずに真剣に取り組むことが、一年後の大きな成長に繋がっていると思います。レポートにせよ何にせよ、どこか手を抜いていると感じられる塾生は、どことなくその成長に物足りなさを感じることがあります。

やはり、子どもも大人も「素直さ」「懸命さ」が成長にとっては、大きな要因だと思います。そのことに気づいていただけるよう私たちも改めて全力を尽くしたいと思いました。

二つ目は、皆勤賞についてです。バッカーズ寺子屋では、遅刻、早退でも、講座への参加があれば「出席」という判断をします。遅刻・早退・欠席などは、毎回の貴重な体験を逃すので、もったいないと思います。だから、皆勤を目指して頑張っていただきたいと思います。ただし、学校行事と寺子屋の講座が重なった場合には、残念ですが欠席もやむを得ないとは思っています。皆勤を達成された塾生の皆さんには、表彰状ならびに記念品が授与されます。この記念品にだけ、バッカーズの名前が刻まれています。

在塾中は、点数を取る勉強ではない、様々なコンテストが行われます。釣りコンテスト、萩焼コンテスト、箸使いコンテスト、硬筆書写コンテスト、スピーチコンテスト、等々。その中で楽しく切磋琢磨し、成長してもらいたいと考えています。在塾中に何か一つでも賞を取ることが出来るよう、頑張っていただきたいと思います。

三つ目は、ここは楽しむ場所だということです。新たなことを学ぶこと、良き仲間たちとの出会い、様々な体験活動は、本来、楽しいことのはずです。そして、自分の成長も嬉しく楽しいことのはずです。「学ぶことは、本来、楽しいこと」そういう思いで、バッカーズ寺子屋の講座は作られています。

御入塾を心からお待ちしています。

 

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思うこと

2025年02月14日 | Weblog

バッカーズ寺子屋の教育を作ってきた前提として、強い危機感があります。活力無くスマホばかり見ている子どもたちの姿があり、言語力や思考力も低下している姿をよく目にします。一方には目的意識もなく漂うように生きる大人たちの姿があり、勉強も仕事も「やらされる」人々の姿があり、日本という国自体が地盤沈下し、海外での日本のプレゼンスは下がっていく一方なのに、相変わらずの教育や政治は、時代に適応し、ちゃんとやってますと言うばかり。

点数が取れて頭が良くとも、面倒くさいことを避け、改革を先送りし、自分の損得しか考えない人たちではどうにもならないのです。だから私は、多勢に無勢だと知りつつも、社会をより良いものにするための教育を実践し続けます。

ただ、渋沢栄一のように、義利合一、義利両全ということは思っています。私利は否定しませんが、やはり義という社会的正義を大切にしなければ、国は衰退して、人心は乱れていくばかりなのだろうと思います。

 

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バッカーズ寺子屋の教育 入塾説明会へ向けて

2025年02月12日 | Weblog

バッカーズ寺子屋の教育は、おそらく既成の概念にはないものだと感じています。しかし、古今東西の先人たちが大切にしていた教育の在り方であり、古くて新しい教育なだけだと思います。ただ、その良さはなかなかお伝えしにくいものです。だから、まずは入塾説明会にお越しいただきたいと思います。

入塾説明会に来てくれた子どもたちは、親御さんから聞いていたものと違うことをまず感じます。そして、楽しそうだから、入塾してみようかと思ってくださいます。

ただし、入塾してみても、最初は何を学んでいるかよく分からないままに時が過ぎることも多々あります。しかし、半年も経たないうちに、ここでの学びの楽しさと重要性に気がついてきます。多くの場合、文章力、スピーチ力が飛躍的に向上し、家での会話もものすごく増えていきます。

兄弟姉妹で入塾経験者がいらっしゃると、何をしていて、どれだけお子様が成長されるのかは、実体験としてお感じになっていますから、ある程度のご理解はしていただけているものと感じますし、経験していただかなければ分からないものだろうと思います。

卒塾時には、人として自分が大きく成長したことを実感します。しかし、ここからが本番です。10年後、20年後に、バッカーズ寺子屋で学んだことの意味が、ふとした時に思い出され、自分の土台になっていることを感じます。それが一番大切なことだと私は思っています。

受験勉強などは全く教えない学び舎ですが、勝手に成績が上がっていく場合も多いようです。子どもや親御さんから聞いた話で、確認はしていないから良くは分かりませんが、話の聴き方や、学びに対する姿勢が変わりますから、そうしたことも起きてくるのだろうなとは思っています。

とにかくまずは入塾説明会へお越し下さい。入ろうと思われるのも、やめておこうと思われるのも、どちらでも私は良いと思います。ただ、知っていただいても損はないかなと思います。

入塾したお子様たち全員が成長しますから、選考したくないと思うこともあります。しかし、定員は20名ですから、受けられる方に限りはあります。20名の理由は、例えば1人3分間のスピーチトレーニングをするのも、3分×20人で60分必要になるからで、9:30~16:30の限られた時間で、きちんとした指導を行いたいからです。

ただ、受験ではありませんから、10歳から15歳までの間なら、何度でもチャレンジしていただけます。まずは、入塾説明会の会場でお目にかかれますことを楽しみにしています。

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教育の成果

2025年02月12日 | Weblog

教育は成果が出る間までに時間のかかるものです。子どもも大人も直ぐに成長できるものではありません。自分自身のことを考えてみれば、そんなことは直ぐ分かるはずなのに、他人のことになるとたちまち目が曇ります。「直ぐに」変わることを期待してしまいます。

1人の人間の人格が形成されるまでには、長い時間と様々な人との出会い、そして、時の過ごし方があったのです。それが残念なことに、必ずしも良き人たちとの出会いばかりではなく、良き時の過ごし方ばかりではなかったから、今のところ、時に他人様から非難されるようなことになったのだとしても、それを変え得る可能性もあれば、成長の可能性もあるわけです。

だから、信じて待つことが大切なのです。そして、ただ待つだけではなく、良き影響を与え続けることが大切です。それ以外に、教育の道はありません。

他人の瑕疵を、鬼の首を取ったように悪し様に言う人は、そうした道理が全く分かっていないのだと思いますし、他人の欠点には目ざとくても、自分の瑕疵には気がつかない人たちなのだと感じます。

哀しむべきことではありますが、反面教師として有り難いものだと感謝しつつ、私は私の道を更に精進していきます。

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