子どもは父母の強い影響を受けて育ちます。だから、私のできることなど、たかが知れているとも思います。しかし、家庭で子どもを甘やかしているであろうことが透けて見えるような時があります。甘やかすだけでなく、放任していることが感じられることもあります。親が自分の自由を、子どもの成長よりも、大切にしたいからです。悲しい気持ちになります。
「甘い教育によって、いろいろの自由を与えられた子供たちは、将来最も不自由な人間に育つであろう。なぜなら、彼らは、自由の最大の基盤である反省力と意力とが奪われるであろうから。」
下村湖人のこうした言葉をお伝えしたいとも思いますが、おそらく、聞く耳はお持ちでないでしょうし、幼時に親としてするべきことをせぬままに過ごしてしまったのだから、時すでに遅しかもしれないと思います。後で、高い授業料を払って正気に戻るしか、道はないのだろうと思います。非難しているのではありません。悲しい気持ちになっているだけです。自分の無力と、社会全体の教育力の低下を嘆いているのです。
結局、親は先に死んでいくのが、基本的な生物の命の在り方ですから。親が死んだ後に、子どもが一人で生きていけるようにするのが教育の使命だと私は思います。
「生命の生長とは自律性の生長であり、自律性の成長とは良心の自由の生長である。そして良心の自由は、生命がそれぞれの個性と環境とに即して不断に自己を創造しつつ、しかもそれがそのまま全一なる世界への貢献を意味する時、最も理想的に生長しているといえるであろう。かくて、生命の生長とは、詮ずるところ、全体に即して独自に生きる力の生長であり、更にいいかえると、愛に背かざらんとする願力と実践力の生長なのである。」
下村胡人の言葉です。