Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

スピーチ

2012年02月27日 | Weblog
バッカーズ寺子屋を始め、
様々な学舎の中で、
私たちは「話す」ということを重視しています。

それは自分の「考え」というものは、
言語化することによってこそ明確になっていくと思うからです。

社会のリーダーたちは、
自分のメッセージを発信することで、
その組織をマネジメントしていきます。

「思い」「志」「理念」
あらゆるものは言語を介して伝えるしかないものです。

だから、言葉の力を磨かなければならない。

そこで、私がいつも頭を悩ませるのは、
学校で習ったしゃべりから如何に脱却させるかということです。

学校では、当たり障りのない、
耳障りのよい言葉を並べ立てて良しとする価値観が蔓延しています。

しかし、型どおりの魂のこもらない言葉では、
人を動かすことなどできるはずもありません。

また、対立を恐れず、異論を恐れず、
かつ真心を込めてメッセージを発信していく力など、
身につくはずもありません。

荒削りでもいいから、
自分の思いを失わない、
思いの伝わるメッセージを大切にして欲しいのです。

そのことがこれからの人材育成の
大きな要になると私は思っています。

そのためには、指導者の側にこそ、
異論を受け止め、ユーモアを解する
心の広さ自由さが求められるし、

指導者自身が、ロジカルかつ言葉の温度が意識できる
スピーチ力を身につけなければならないと思うのです。

まだまだ私も未熟ですが、
このことは極め続けていきたいと思っています。
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私たちは文明を得て、文化を失った。

2012年02月20日 | Weblog
「私たちは文明を得て、文化を失った。」
尊敬する、池田武邦先生の言葉です。

近代の科学技術がもたらした文明は、
私たちに便利さをもたらしてくれました。

パソコンも、ゲーム機も、
インスタント食品も、レトルト食品も、
みんな文明の産物です。

そして、それらの仕事に携わるためには、
「文明としての教育」を受けなければなりません。
つまり、科学技術を駆使するための、
知識を得なければならないのです。


しかし、
私たちはその恩恵を受けつつ、
いや、
多くの恩恵を受けたが故に、

心・精神の部分が、
大きく荒廃してしまったのかもしれません。

いびつな精神がもたらす、
哀しい事件や、異常な事件、残忍な事件が、
後を絶たないということが、
その証左だと思います。

心身を豊かに育んでくれるのは、
やはり「文化としての教育」なのだと思います。

風と戯れるたこ揚げや、
雑木林と戯れる基地作り。
手作りの味噌汁や、
米ぬかをも大切に使った糠漬けは、
私たちの伝承してきた文化の温もりを持っています。

どれだけ物が豊かになっても、
心の寂しさを埋めることはできません。

しかし、文化の温もりは、
人間の寂しさを救うことができると思います。

そして、豊かな心を育んでくれるのだと思います。

だから、私は「文明としての教育」ではなく、
「文化としての教育」を形にしていこうと思うのです。




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教育が良くなる日

2012年02月14日 | Weblog
教育が良くなる日が来るかどうか。

それは、ひとえに教える側の本気度による。

出来ない理由は色々とある。

しかし、本気で理想を目指すのかということにせよ、
その本気とはそもそも何かということにせよ、
その答えはいつも自分の心の中にあるものだ。

自分を鍛えるしかない。

困難に立ち向かい、
突破できる自分を、
自分で作りあげていくしかない。

子どもを非難することも、
親を非難することも、
社会を非難することも、
それぞれに出来ることではあるが、

自分に出来ることは、
その課題を解決するために、
日々、何をするかということだけであるという事実を、
如何に厳粛に深刻に受け止めるかということしかないのだと思う。

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1日の終わりに

2012年02月11日 | Weblog
感謝の心を抱くと言葉で言うのは簡単ですが、
なかなか難しいものがあります。

自問自答を繰り返しながら、
すべてのものに感謝するしかないのだと思います。

そして、感謝しているのかどうかと言うことは、

その人の立ち居振る舞いの一端や、
言葉の端々から伝わってくるものだと思います。

感謝していますと口では言いながら、
感謝の心が伝わってこないこともあれば、

感謝の言葉が出ていなくとも
深い感謝の思いがじんわりと伝わってくることもあります。

だから、まずは自分自身が、
深く内省できる人間でありたいと思います。
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未来は明るい

2012年02月09日 | Weblog
いつの時代も、世を憂う言辞にあふれている。

だが、一方で、未来を切り開く行動は確実に生まれている。

そうして歴史は繰り返されてきた。

農業革命期が起き、
産業革命が起き、
エネルギー革命が起きたが、
それぞれの時代を人々は乗り越えてきた。

幾多の戦争もあったが、
それさえも人々は乗り越えてきた。

だから、必ず今の苦しみも、
私たちは乗り越えていくことができるはずだ。

未来は明るいと信じること。

その信念が新たな時代を引き寄せる。

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最近の記事

2012年02月08日 | Weblog
産経新聞の「解答乱麻」というコーナーに
書かせていただいたコラム2本がWeb上にあります。

よろしければ、ご笑覧下さい。


http://sankei.jp.msn.com/life/news/120128/edc12012808020003-n1.htm
第二回「今も色あせぬ大学の至言」2012,1,28

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111231/edc11123115090001-n1.htm
第一回「志の教育を掲げて」2011,11,31

とにかく言論においては、
出来る限り、
自分がやってきたこと、
自分のやっていること、
自分が出来ること、
それらの経験を通じて自分が実感していること、
それだけを書いていきたいと思います。

嘆いても仕方ない、
憂いても仕方ない、
批判しても仕方がない。

ただ、ただ、自分で考え、行動し、
教育への思いを共有していただけるよう努力することが、
私のミッションなのだと思っています。

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誠実であること

2012年02月07日 | Weblog
ネガティブキャンペーンをしたがる人がいます。

陰でその人の悪口をささやいていく人たちです。

また、それを真に受ける人たちもいます。


しかし、その人たちの人生・仕事の成果は、
所詮、たいしたものにはならないと確信を持って言えます。

それは、大変哀しいことでもあります。

やはり、
人として誠実であること、
まっすぐであることが、
必ずその人の人生を
輝かしいものにしていくのだと私は思っています。


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確信

2012年02月07日 | Weblog
人は成長する。

そう思います。

いや、そう信じています。


たとえ、共に過ごした時間の中では、
それが感じられなくても、

必ず種は播かれたと私は信じます。

将来の大きく成長された姿をイメージします。

だから、信じられるだけの
真剣な学びの時間を共に過ごそうと思っています。
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教育にとって大切なこと

2012年02月04日 | Weblog
教育にとって大切なことは、

彷徨える魂を我が胸にかき抱く覚悟を持つこと。

そんな気がしています。

私たちは、大人が子どもを教育すると思い込んでいますが、

教学同時というのが実際のところです。

教えることは、常に学ぶことでもあります。
学ぶことは、同時に教えることにもなります。


だから、子どもの魂を救おうと思えば、
当然に、親の魂をも救う覚悟が求められるのです。

だから、教育に携わる者は、
人間として深く学び続けなければなりません。
人間として広くなければなりません。

教科の知識の授受のみをもって、
教育をしているというのであれば、
それは、教育の衰退ということに他ならない。
私はそう思います。

教育をすることの大いなる価値と、
その恐ろしさに身震いするほどになって、
はじめて、教育ということが見えてきたと
言えるのではないかと思います。

そして、教師の多くが、
そうした意識を持つに至って、
初めて、教育の復権ということが
その緒に就くのではないかと思います。

私も微力を尽くしていこうと思います。

哀しいことに、
多くの大人たちの冷ややかな姿勢の前に、
私もまた無力な存在ではありますが、

それでも顔を上げて、
一歩一歩、歩いて行こうと思います。

他人のことは良いのです。

私自身が何をして、どのように日々を過ごすのか。

二度と戻っては来ない、今日という日と、
如何に真剣に向き合って過ごすのか。

その確かなことを大切にしていこうと思っています。





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人間としての錬磨

2012年02月01日 | Weblog
親としても、
教師としても、
ビジネスマンとしても、
経営者としても、

大切なことは、
人間として錬られていくかどうかだと思います。

知識や技術はもちろん大切ですが、
結局は、人間としての幅が、
全てのことを大きく左右していくのだと思います。

しかし、
多くの人たちは、
知識や技術の習得には熱心ですが、
人間としての自分を磨くことについては、
あまりに漠然としているためか、
あまり熱心ではありません。

緊急なことにばかり目を向けて、
緊急ではないけれども重要なこのことについては、
あまり目を向けようとしてはくれません。

目を向けている人たちは、
たぶん、
意識的にではなく、
無意識の中でそうした学びを求め、
知らずその時間と人との出会いが生まれる。

そのようにして、人間的成長が進んでいくのだろうと思います。

私もそれを追い続けたいと思います。
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