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Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

人間の感性

2025年03月17日 | Weblog

前のブログを書いていて、ふと思い出したことがありました。それは、プラネタリウムのレンズを作るのは、ミクロン単位の正確さが要求されるのですが、それができるのは人間の手仕事だというお話です。

一つことを長年続けてきた職人さんの感覚・感性が、機械ではできない正確さを実現しているというのです。恐るべきことだと思います。

そんな精緻な手仕事を日本人は強みとして持っていました。それを捨て去って、何を為そうというのだろうかとついつい考えてしまいます。

私も及ばずながら、職人の手仕事のように、手間暇をかけた精緻な教育を生み出していきたいと思います。それを求める人がいなくなれば、そこで私の仕事も終わるのだろうと思います。そこまでは全力を尽くします。

 

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気が利くということ

2025年03月17日 | Weblog

今、心配なことは、「気が利かない」人が増えているように思うことです。「気が利く」とは、細かな変化や違いに、まず気づくことが大切です。汚れやほこりなどに気づき、すぐにきれいにしようと思うような人間の感性です。

これまでは、そうしたことに気づくことができる人が多かったから、そのあとに来るであろう機械の不具合や自然災害や人心の荒廃などを未然に防げたことが多々あるのではないかと思います。何かの「兆候」に気づくことのできる感性は、人間や動物にしかないものなのかもしれません。

そして、この感性は、四季折々の自然の中で育つことや、細かい目を持つ人から厳しく叱責をされながら身につくようなものかもしれません。言葉では説明できない「感覚」を伝えようと叱責されるので、叱られることに理不尽さを感じることもあるでしょう。私自身、そう思った経験はたくさんあります。しかし、それが大切だったのです。理屈では得られない価値を、子どもの頃の親の一見、理不尽と思えるような数々の𠮟責から学んでいたのです。もちろん、そこには暖かな愛情と、信頼に包まれた親子関係、人間関係がなければならないのは言うまでもないことです。

今、そうした厳しさを持つ大人はいなくなってしまいました。叱ること自体が悪だと思われるようにもなってしまいました。みんな近視眼的にしか物事を見ることができなくなってしまったのでしょうか。

色々なことは、AIに代替されることが多くなると思います。ただ、「気を利かせられる」というのは、人間に残された最後の強みになるのかもしれません。それを失わないようにしていこうと思います。

ディープラーニングである程度、経年劣化など予測できるようになったとしても、それに対処する動作を、機械で行う実際の動作に落とし込むまでには、相当の困難があるだろうと素人ながら想像できます。

そもそも、ちょっとしたことにお金をかけるわけにはいきませんから、人間がちょっとしたことに気づいて、ちょっとした動作を積み重ねていく価値は、やはり人間のものにならざるを得ないのではないかと思います。

私も「言ってることは正しいけど、お前が言うな。」と言われないように、努力を重ねたいと思います。

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レポート

2025年03月16日 | Weblog

土曜日に小郡寺子屋「志学舎」の講座を行い、最終便で東京に入り、今日はバッカーズ寺子屋の講座を終えて、最終便で福岡に戻ります。火曜日に企業研修を行ったら、水曜の夜から東京と、ドタバタやっています。ホームカミングデイへ向けて東京も福岡も卒塾生交流誌『絆』の原稿が届いています。

卒塾して数年が経った卒塾生のレポートも、現役生のレポート、読んでいるとたくさんの気づきと学びがあります。小学生からも中学生からも高校生からも、たくさん学ばせていただくことがあります。子どもたちの「今」も知ることができます。

これからも慣れの落とし穴に陥ることなく、慢心することなく、丁寧に教育実践を重ねていきたいと思います。

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入塾説明会

2025年03月11日 | Weblog

バッカーズ寺子屋(東京)、バッカーズ九州寺子屋(福岡)の入塾説明会が始まりました。10歳から15歳の小中学生の皆さん、そして、保護者の皆様、是非、お運びください。

次回の入塾説明会は、次の通りです。

バッカーズ寺子屋(東京)は、3月22日㈯に第二回入塾説明会を開催します。

バッカーズ九州寺子屋(福岡)は、3月23日㈰に第三回入塾説明会を開催します。

詳細は、それぞれの寺子屋のホームページをご覧いただきお申し込みください。

おそらく、いや、確実に、入塾説明会に来ていただけなければ、この寺子屋の活動内容は正確には伝わらないだろうと思います。既成概念にはない教育の在り方だからです。しかし、確実に入塾されたお子様方は素晴らしく成長していきます。まずは、親子で入塾説明会にご参加ください。

会場でお目にかかれますことを楽しみにしています。

 

 

 

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本の有難さ

2025年03月10日 | Weblog

先賢の書物に触れると心が洗われる思いがします。それは、澄んだ心持から出ている言葉に触れられるからだろうと思います。人の世の浅ましさ醜さを知りつつも、他者を非難せず、自らを深く省みて、高みに登ろうとする高貴な精神がその言葉に宿っているからだろうと思います。

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20年

2025年03月08日 | Weblog

今年、バッカーズ寺子屋は開塾20年を迎えます。ただ、ひたすらに教育に打ち込んできました。多くの人に支えていただいた日々でした。

今、私の心の中にあるのは達成感や満足感などではなく、ただただ「感謝」の思いであり、多くの人たちの教育への「思い」と共に過ごせた嬉しさでしょうか。

保護者の方々のアンケートを拝見すると、たくさんのお子様たちの成長の様子と、感謝の言葉を書き綴ってくださっています。それを読ませていただいて、やはり私が感じるのは、有難いなぁといういう拝みたくなるような「感謝」の思いでしかありません。私一人では、到底できなかったことです。皆様、本当にありがとうございました。

ただ、私の志は「日本の教育をより良いものにする」ということです。全然それは達成できていません。いかに自分の力が足りないかを突き付けられます。

そこに立ち向かっていく一生を私は過ごしたいと思います。

 

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教育の理想

2025年03月06日 | Weblog

私の教育の理想は、子どもたちが立派な大人になることであって、

先々で、子どもたちが私に何を学んだかさえ忘れてしまっていてもよいと思います。しかし、学んだことがその人の中に沈潜し、その人の人格形成の土台となっていたら望外の喜びです。

こうしたおかげでこうなったと因果関係がわかるような教育は、人間教育においては、しょせん浅いものでしかないのだと私は思います。

私にできることは、私の教育に全力を尽くすということだけです。それに対する評価は他人のものですから、私にはどうすることもできません。私の知るところではないのです。

ただ、何十年かが過ぎて、「あぁ。そういうことだったのか。」と気づいてくれる人が少なからずいてくれたら、私の努力も無駄ではなかったのだろうと思えるに違いありません。

その日のために全力を尽くしたいと思います。

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相手を考える

2025年03月06日 | Weblog

子どもたちに、レポートなどを「書く」際、意識して欲しいのは「誰に対して」書いているのかを明らかにして書くということです。これが明確でないことが多いと思います。そこが定まっていなければ、言葉の選び方も、表現の仕方も当然変わってきます。相手を意識するということは、相手を大切にすることでもあります。

スピーチでは、ここはかなり改善されるのですが、書くことについては、少し気を緩めるとたちどころによくわからないことになってしまいます。

誰に話そうとしているのか、誰に自分の意志を伝えようとしているのかを、曖昧にする日常があるのだと思います。また、書くことについても、誰に対して書いているのかを明確にせぬまま書く習慣が身に着いてしまっているのではないかと思います。

しっかりした人間を育てていくということは、そうした細部をいい加減にしないということだと思います。

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不義にして富かつ貴きは、我に於いて浮雲の如し

2025年03月05日 | Weblog

全ては戦いだと感じます。

政治にせよ、経済にせよ、医療にせよ、教育にせよ、権力やお金の力が大きく影響する戦いです。その戦いからは決して逃れることはできないのだと思います。であるならば、人として正しく戦っていきたいと思います。目先の利益だけを追うのではなく、みんなの笑顔、みんなの幸せのため、社会の良き発展のための人材育成を大切にしたいと思います。

私は、「志の教育」と「学び方の変革」の二つを大切にした教育を広げていきたいと思っています。枝葉ではなく、根っこと幹を育てる教育に力を注ぎたいと思っています。しかし、なかなかそれは難しいことです。やはり目先の利益に人は飛びつくからです。しかし、6・3・3の12年と受験にしか使えない教育ではなく、形骸化した魂のこもらない教育でもなく、生涯にわたってその人の支えとなるような教育を生み出し続けたいと思っています。

知識やスキルも大切です。しかし、根が育てば、自ずと枝葉は繁る。「良樹細根、大樹深根」という言葉の通りだと思います。また、志が立てられれば、人は自ら必要なことを学び始めるものなのだと思います。そうした教育にはお金はついてきません。しかし、ささやかな教育事業であっても、良い結果を出し続けていこうと思います。

「不義にして富(とみ)かつ貴きは、我に於いて浮雲の如し」紀元前にこう語った孔子の精神の高さに今更ながら敬意を表しつつ、苦しくても楽しく教育実践を続けていこうと思います。

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コミュニケーション

2025年03月04日 | Weblog

コミュニケーション能力の高さとは、「相手の使った言葉の背景、つまり、相手の状況や、そこで持つであろう意図を想像して、相手の気持ちに寄り添えるかどうか」だと思います。

言葉には、様々な解釈の可能性があり、相手がどのような立ち位置にあるのか、何を求めているのかを考えようとすることが大切だと思います。

確かに、最近は、そこまで考えたコミュニケーションができる人にお目にかかることが少なくなったように感じます。それは、生活全般があわただしくなっていること、相手の立場に立って物事を考えなくなったこと、言葉に対する感覚が雑になってきたこと、実際の人間関係や実体験という経験値が低くなったこと、などが原因のように私は思います。

例えば、「確認をする」といったときに、上司なりしかるべき人に確認するのはもちろんのこと、待たせている人間の心理状態や時間の過ごし方などについても配慮し、適切な情報を伝えることが大切です。他にも、情報を伝えたり、協力を得ることが必要な人たちがいるかもしれません。そのすべてを瞬時に判断して、聞くこと、話すこと、書くこと、読むことを適切に実行できるかどうかが大切です。

そして、そこには他人に対する心構えや、自分自身への甘さに立ち向かう姿勢も大切です。他人に対する心構えとは、例えば「区別なく敬意を払うこと」であり、自分自身への甘さとは、例えば「ちょっとぐらいいいか」と思うような心持のことです。

伝える側にも、自分の意図を明確に伝える力が必要になります。相手がわかっていないことを読み取る力、勘違いしそうなところを予測し、先回りして言う力も大切です。「相手の理解力が低い」と常に相手に責任があるように思う人も多いのですが、「自分の伝え方の行き届かなさ」を反省する力も必要です。私も行き届かない一人です。

相手の状況をよく把握し、そうした状況が、その人の心理に何を引き起こすのかを予測できるようにならなければ、良きコミュニケーションができている状態とは言い難いのだろうと思います。

 

 

 

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