Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

自殺に思う

2020年09月29日 | Weblog
著名芸能人の自殺が相次いでいます。何があったかは知るよしもありませんし、理由も千差万別でしょうが、これから自殺者が増えるのではないかと危惧しています。

なぜなら、持続化給付金で一時的に何とかなっている人、1年間の返済猶予で何とかなっている人が、1年後に何ともならなくなる可能性があるからです。

変化しなければ生き残れないわけですが、この変化が高齢者にとっては、高いハードルになってしまいます。

そして、昔は良かった、私の最高に輝いている時代は終わった、もう、ここらで人生を終えていいかな。というようなある種の諦観が、死への誘いとなる様に思います。

それでも、自分の人生のテーマがあり、お金がなくとも、まだ、やるべきことが残っていると思えれば、そこに生きる気迫は生まれてくると思います。だから、私は志の大切さを伝え続けています。

しかし、目先の忙しさに追われて仮初めの充実感しか持ち合わせていなかった人は、忙しさが失われ時間が出来たときに、ぽっかり心に穴が空いて、人生の虚しさを感じることになるような気がします。

私の人生は何のためにあるのだろうか、今までの人生に、そして、これからの人生に何か意味があるのだろうかと。そして、その意味を見出すことが出来ず、虚無感から死に誘われるような気がします。

また、一方では、老いも若きも窃盗を働くことが増えていることを感じます。残念ながら、そうしたニュースをよく耳にします。貧しさや生活苦に打ち勝つだけの道徳教育は授けられていないのです。

しかし、それは現代だけの問題でもないのかもしれません。芥川の『羅生門』には、老婆が、死人の衣服を剥ぎ取ったり、髪の毛を抜いてかつらにしようとしたりという姿が描かれていました。

泥棒を働いて人の道を外れてでも「生」に執着する人たちがいます。一方で、生きることの辛さから逃れるために死を選んだり、人生のピークを大切にしたいが故に死を選んだりする人がいます。

いずれも道に適わないものだと思います。また、利己的な発想だと思います。しかし、そうした非難は何の救いにもならないとも思います。

悲しいことに、どうすれば良いのか分からないので、私はとにかく身近な人を大切にして、「志の教育」という人生の意義を自得する教育を続けていくだけです。







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【Vision & Educaion,Ltd. からのお知らせ】- Vol. 33  2020年9月28日配信より

2020年09月28日 | Weblog
今月配信したメルマガの一部です。メルマガ読んで下さる方がいらっしゃったら、メールでご連絡ください。


◆◆ 先人の言葉に学ぶ ◆◆――――――――――――◆

今月は下村湖人の言葉をお届けします。

「何もしない人に過失はない。しかし何もしないことほど大きな過失が人生にあろうとは思えない。」(下村湖人『心窓去来549』)

「未知の世界をいつも身近に感じている人は、いつも心がわかわかしい。人は心が老いるにしたがって、未知の世界の広大さを知ることは出来ても、それを身近に感ずることが出来なくなるものである。」(『心窓去来』566)

「おそるべきは少数者の暴力である。しかし、一層おそるべきは多数者の無気力である。われわれは、前者が常に後者の温床において育つということを忘れてはならない。」(『心窓去来251』)

佐賀に生まれ、『次郎物語』を書いた作家・下村湖人を知る人はもう少なくなってしまいました。まして、教育者(校長先生)であったことや、素晴らしい言葉の数々を遺していることも知られなくなっています。実に残念なことだと思います。

しかし、本当に素晴らしい精神というものは、死後、益々輝きを放つものだと思います。それは、下村湖人の遺した言葉が、時代を超えて、生き生きと心に響いてくることからもわかります。そうした言葉を遺すためには、余程、自分で考える力と、精神が鍛えられていなければ出来ないことです。(志)

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不満

2020年09月24日 | Weblog
不満というのは、自分の心が生み出すものだとつくづく思います。

不満を言う人は、夏になれば「暑くなるから嫌だ」と言い、冬になれば「寒くなるから嫌だ」と言います。

仕事をしていても、「こういう対応が嫌だ」「こういう客が嫌だ」と不満を持つことに事欠きません。

結局、心の持ち方を磨くことに意識を向けない限り、その人の不満は永遠に続くしかありません。なぜなら、いつも自分でそれを生みだしているからです。

本人は周囲のせいでと思っていますが、決してそうではないのです。

そのことに気づける人間であるかどうかで、人生の楽しさは大きく変わってきます。
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誤報対策

2020年09月22日 | Weblog
「(21日CNN) 米疾病対策センター(CDC)が公式サイトに掲載しているガイダンスを改訂し、コロナウイルスは一般的に、呼吸などによって空気中に漂う飛沫(ひまつ)や微粒子を通じて拡散し得ると指摘した。「新型コロナウイルスを含む空気を浮遊するウイルスは特に感染力が強く、簡単に拡散する」としている。」

「[21日 ロイター] - 米疾病対策センター(CDC)は21日、ウェブサイトに18日に掲載した、新型コロナウイルスが空気中を漂う微粒子「エアロゾル」を介しても感染の恐れがあるとする警告を撤回した。文書の草案が誤って掲載されたとしている。」

という具合に、大手メディアにも誤報が常にありますし、研究機関の誤発表もあり得るわけです。今回は、誤って掲載したことをスルーせずに報じてくれました。ただ、誤報がそのまま放置されることも日本のマスコミでは多いと感じますから、誤報に踊らされないように自衛していくしかありません。

私たちがやるべき大切なことは、次の3つです。
1.海外メディアの記事の場合、その日本語訳が本当に正しいか確認する。
2.言葉の定義をきちんと確認する。
3.そのことについての様々な記事や、日頃から信頼できると判断できる専門家の見解に目を通す。

ちなみに、わかりにくい「空気感染とエアロゾル感染」という言葉の定義について、埼玉の小児科の先生がわかりやすく整理して下さっていました。以下はその引用です。

・空気感染
「空気感染」とは、飛沫から水分が蒸発した状態で、さらに小さな微粒子となり、そこにウイルスが付着して空気中を広範囲にわたって漂い、それを吸い込んで感染するものです。空気感染するウイルスは非常に感染力が強いですが、空気感染するウイルスは麻しん、水痘(水ぼうそう)と限られています。(ちなみに結核菌も空気感染します。)

・エアロゾル感染
そして最近聞くようになった「エアロゾル感染」ですが、これについては現状明確な基準はありません。エアロゾルとは空気中に漂う微細な粒子ということですが、エアロゾル感染は新しい言葉で、そもそも医療界においてはあまり使われていません。基本は飛沫感染ながらも、いわゆる三密の環境下で、空気感染に近いことが起こりえるくらいのイメージで捉えておくのがよいかもしれません。

ウイルスの感染の強さは、空気中をウイルスが漂って遠くまで広がるかどうかです。換気をよくしてどこかに流れてしまえばリスクが少なくなります。三密を避け、皆さん一人ひとりが感染予防を心がけてください。

新型コロナウイルスの場合、病院では入院患者さんの場合は1日6回を目安に換気が行われています。結核などの空気感染に準じた対応となっているようです。これから暖かくなるので、窓を開けるのにちょうどよい季節ですから、お部屋の換気を常に良くしておくのが良いでしょう。

はらこどもクリニックでは、感染症の院内感染予防対策のため、患者さんの入口を空間的に隔離された3つに分けています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

所沢市の小児科・内科・アレルギー科・糖尿病内科 はらこどもクリニック
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真っ直ぐ

2020年09月21日 | Weblog
今回の半沢直樹も面白く見せていただきました。

真っ直ぐに正しいことを言い、真っ直ぐに正しいことを行うことを、みんな心の底で渇望しているのだろうと思いました。

長いものに巻かれるのではなく、プリンシプルという人として大切な原理原則を上司として仕事をするということです。

私が興味深く思ったのは、15分の時間延長をしていたことです。最高のものを作ろうとすれば、時間内には収まらない。無理に時間に収めさせようとする力も働くのかもしれませんが、良い作品にするために、妥協せず、時間を伸ばすという判断をしたことにエールを送りたいと思います。

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縦割り行政

2020年09月20日 | Weblog
菅内閣が縦割り行政の悪弊を廃し、行政のデジタル化をもっと進め、スピーディーに業務効率アップを進めようとしているのは、とても良いことだと思います。

しかし、この問題も、根源をたどれば、「省益」「既得権益」という問題に行き着くのだろうと思います。また、上から言われない限り、余計な仕事を増やさないという、利己的な発想が根本にあるのだと思います。

さらに言えば、「国家のために」ということが、大それたこと、右翼的なこと、戦争に繋がることといった、実に馬鹿馬鹿しい考え方に支配されてきたことが問題の根っこにあるのだと思います。

政治家たちの派閥の利益や、官僚の省益ということより、もっと大きな大義に生きると言うことは、当然、国益を考えると言うことにならざるを得ないはずです。それがないから、目先の利に走るのだと思います。

しかし、国益と言った瞬間に、マスコミの批判を喰らうから、みんなは、個人の利益を追求することを良しとしてきたのです。一人ひとりの幸福を大切にと言ってきたのです。

しかし、修身・斉家・治国・平天下という『大学』の教えは正しく、個々人が自分の欲に駆られて行動しているようでは、個人の集合体である家はきちんと治まらないし、家が治まらなければ、家の集合体たる国も治まりはしないし、個々の国がきちんと治まっていなければ、世界が平和になると言うこともあり得ないのです。

要するに、国家なきところに個人はなく、個人なきところに国家もないのです。個人は善で、国家は悪だというような考え方は、少なくとも民主主義の国においては、成り立たないものだと思います。

行政、政治の問題にも、教育の問題にも、戦後思想の問題が常に横たわっています。これももう清算すべき時だと私は思います。

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豊かな人生

2020年09月20日 | Weblog
日本の歴史や文化について、そして、人間について学び続けてきて良かったと思えるのは、歳と共に人生が豊かになっていく感じがしていることです。

身近な人も含め、そのことを伝えても分かってくださらなかった人も多いものです。目の前の忙しさに追われて、それどころではないから、仕方が無いのです。

ただ、そうした人たちが、歳と共に人生がつまらなくなっていくことがわかっていたら、もっと強引に世界を共有しようとしたのかもしれません。

しかし、それぞれの人生、それぞれの天命としか言いようがありません。なるようにしかならないのだと思います。







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情熱

2020年09月19日 | Weblog
大切なことは、「情熱」だと思います。

情熱溢れる政治家、情熱溢れる教育者、情熱溢れる官僚、・・・。

勿論、その情熱は、いかに日本をよくするかという思いの迸るものであるはずです。なぜかと言えば、それらの役職は特に公のものであるからです。

最近、「日本の政治をこうしたい」「日本の教育をこうしたい」「日本の未来をこうしたい」という情熱の溢れるメッセージを発信している人をとんと見かけなくなったように思います。

日本を貶めたいと思っているとしか思えないような発信をするメディアの人たちは多いし、保身のためにできるだけものを言わない人たちはよく見かけます。

私は、小さくしか発信する力がありませんが、それでも熱を込めて、教育を語り続け、実践し続けていきたいと思います。

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エクスプレッションアカデミー第3講座終了

2020年09月19日 | Weblog
エクスプレッションアカデミー第3講座が終了しました。
懇親会も感染対策をしつつ、盛り上がりました。

今回は「人間観」という実に難解なテーマでしたので、当然、難しいという声が出るのは予想していましたが、少しでも分かっていただけるように、全力を尽くしました。

孟子と荀子の、性善説、性悪説の話から、マクレガーのX理論、Y理論、そして、マズローの欲求五段階説まで、一気に話をさせていただきました。

難しかったと思います。受講の皆様、ごめんなさい。でも、全力でかみ砕いて、あんな感じになりました。みなさま、お疲れ様でした。

今日も、人生の佳き1日が過ぎていきます。




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財産

2020年09月18日 | Weblog
最も大切な財産は「信頼」です。

これさえあれば、どこに行っても何とかやっていくことができます。
逆に「信頼」という財産を持っていなければ、どこに行っても長くは続かないものです。

「信頼」を積み上げていくためにどうすれば良いか。それは、その「仕事」が何を求めているかを考えて行動することだと思います。そして、心を込めて自分に出来る最善を尽くすこと。正直であり、勤勉であり、誠実であること。それだけだと思います。

自分の未熟な尺度だけで判断していれば、いずれその場には不要な人間になるしかありません。つまらない見栄やプライドなど、人間同士のいざこざにばかり目を向けているようであっては、その仕事の大義をいずれは見失います。

世の中は公平に出来ているもので、上手くいかないということは、自分の心の持ち方に、何か問題があるのだろうと私は思います。

他人のことではありません。自分自身のことです。


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