著名芸能人の自殺が相次いでいます。何があったかは知るよしもありませんし、理由も千差万別でしょうが、これから自殺者が増えるのではないかと危惧しています。
なぜなら、持続化給付金で一時的に何とかなっている人、1年間の返済猶予で何とかなっている人が、1年後に何ともならなくなる可能性があるからです。
変化しなければ生き残れないわけですが、この変化が高齢者にとっては、高いハードルになってしまいます。
そして、昔は良かった、私の最高に輝いている時代は終わった、もう、ここらで人生を終えていいかな。というようなある種の諦観が、死への誘いとなる様に思います。
それでも、自分の人生のテーマがあり、お金がなくとも、まだ、やるべきことが残っていると思えれば、そこに生きる気迫は生まれてくると思います。だから、私は志の大切さを伝え続けています。
しかし、目先の忙しさに追われて仮初めの充実感しか持ち合わせていなかった人は、忙しさが失われ時間が出来たときに、ぽっかり心に穴が空いて、人生の虚しさを感じることになるような気がします。
私の人生は何のためにあるのだろうか、今までの人生に、そして、これからの人生に何か意味があるのだろうかと。そして、その意味を見出すことが出来ず、虚無感から死に誘われるような気がします。
また、一方では、老いも若きも窃盗を働くことが増えていることを感じます。残念ながら、そうしたニュースをよく耳にします。貧しさや生活苦に打ち勝つだけの道徳教育は授けられていないのです。
しかし、それは現代だけの問題でもないのかもしれません。芥川の『羅生門』には、老婆が、死人の衣服を剥ぎ取ったり、髪の毛を抜いてかつらにしようとしたりという姿が描かれていました。
泥棒を働いて人の道を外れてでも「生」に執着する人たちがいます。一方で、生きることの辛さから逃れるために死を選んだり、人生のピークを大切にしたいが故に死を選んだりする人がいます。
いずれも道に適わないものだと思います。また、利己的な発想だと思います。しかし、そうした非難は何の救いにもならないとも思います。
悲しいことに、どうすれば良いのか分からないので、私はとにかく身近な人を大切にして、「志の教育」という人生の意義を自得する教育を続けていくだけです。
なぜなら、持続化給付金で一時的に何とかなっている人、1年間の返済猶予で何とかなっている人が、1年後に何ともならなくなる可能性があるからです。
変化しなければ生き残れないわけですが、この変化が高齢者にとっては、高いハードルになってしまいます。
そして、昔は良かった、私の最高に輝いている時代は終わった、もう、ここらで人生を終えていいかな。というようなある種の諦観が、死への誘いとなる様に思います。
それでも、自分の人生のテーマがあり、お金がなくとも、まだ、やるべきことが残っていると思えれば、そこに生きる気迫は生まれてくると思います。だから、私は志の大切さを伝え続けています。
しかし、目先の忙しさに追われて仮初めの充実感しか持ち合わせていなかった人は、忙しさが失われ時間が出来たときに、ぽっかり心に穴が空いて、人生の虚しさを感じることになるような気がします。
私の人生は何のためにあるのだろうか、今までの人生に、そして、これからの人生に何か意味があるのだろうかと。そして、その意味を見出すことが出来ず、虚無感から死に誘われるような気がします。
また、一方では、老いも若きも窃盗を働くことが増えていることを感じます。残念ながら、そうしたニュースをよく耳にします。貧しさや生活苦に打ち勝つだけの道徳教育は授けられていないのです。
しかし、それは現代だけの問題でもないのかもしれません。芥川の『羅生門』には、老婆が、死人の衣服を剥ぎ取ったり、髪の毛を抜いてかつらにしようとしたりという姿が描かれていました。
泥棒を働いて人の道を外れてでも「生」に執着する人たちがいます。一方で、生きることの辛さから逃れるために死を選んだり、人生のピークを大切にしたいが故に死を選んだりする人がいます。
いずれも道に適わないものだと思います。また、利己的な発想だと思います。しかし、そうした非難は何の救いにもならないとも思います。
悲しいことに、どうすれば良いのか分からないので、私はとにかく身近な人を大切にして、「志の教育」という人生の意義を自得する教育を続けていくだけです。