芸術家たちは自分のフィールドにおいては、
絶対的に毫も妥協をしない生き物なのだと思います。
自分の作品は、
自分自身であり、
自分の誇りに賭けて、
納得のいかない自分を世に出したくは無いのでしょう。
自分のフィールド以外は、
ずぼらで人並み以下と言うことはままあります。
これは一つの道を究めていく上で、
必然的なことのように思います。
そこをもって芸術家を嘲り笑うことに
私は何の意味も無いと思っています。
だから、
バランスのよい常識人でいることや、
八方美人でいることは、
芸術家にはなかなか難しいことなのかもしれません。
外面の良さなど意味を持たないのです。
芸術家は作品によって評価されるしか無いものです。
そして、その作品には、芸術家の精神が反映される。
横山大観や北大路魯山人の言葉からは、
自分が描く、または、作陶する対象の本質を掴もうという、
火の出るような精神の発露を感じます。
「単に山がきれい」とか「花がきれい」という
表面的な次元ではないのです。
山の命を、花の命を描くと言うことは、
対象の命と自分の命とを真っ直ぐに向き合わせる
真剣さを伴うもののように思います。
私の教育も、芸術家の真剣さに
負けぬようなものでありたいと思っています。