Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

自灯明・法灯明

2020年04月30日 | Weblog
お米を研いでいると、ふと「自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう)」という言葉が頭をよぎりました。

どんな話だったかなぁと記憶が蘇らず、なぜこの言葉がふと頭に浮かんだのかをいぶかしく思いました。

調べ直してみたら、「自灯明・法灯明」は、お釈迦様が入滅の際、弟子に伝えた言葉でした。

「自らを頼りとして、他人を頼りとせず、(仏)法をよりどころとして、精進して生きて行きなさい。」といった意味だそうです。

さしずめ、「自分の判断力と決断力を持とう。」といった、バッカーズ少年教育10則のようなプリンシプルを大切にして、生きていくということだな、ともつなげて考えてみました。

完全に忘れていたと思ったこの話が、ふと記憶の奥底から呼び覚まされて、意識に上ってきたことの不思議を思いました。

やはり大切な話というのは、忘れているようでも、心の深いところに眠って、静かに堆積しているものなのだと思いました。

ということは、私の教育も無駄ではないのかもしれない。そうも思いました。

・・・ん?まてよ。

うちのスタッフが持ってきて、ベランダに置いてくれている豆苗を、今日こそ食べなければと思ってたんだ!

自豆苗、飽豆苗。

ばちあたり。

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たらみりん

2020年04月30日 | Weblog
会社の近くのスーパーに行ったのですが、そのあたりは飲食店がかなりあります。

帰り道に、飲食店を眺めながら歩いていると、どの店も、お弁当を作り始めたり、出前を始めたり、今まで絶対にやっていなかったことをやり始めて、色々な工夫を凝らしています。

うーん、これは美味しそうだなぁと思いつつも、スーパーで食材を買って、自分で作る日々は続いていきます。

今は筍が美味しいし、銀だらみりんも食べたいし、と色々と目移りしているうちに、銀だらではなく、タラの切り身を発見しました。

銀だらは、タラと言うけど、タラの仲間ではありません。銀だらは体長1メートルほどの深海魚で、正式にはカサゴ目ギンダラ科に属しているそうです。

昔はタラの代用品でしたが、今はこちらの銀だらの方が高級という感じになっています。脂がのっていて旨いからです。

さて、タラの切り身で、タラみりん作ったらどうなるかなぁと思って、切り身を買って、現在、漬け込み中です。明日のお昼が楽しみです。



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寿司

2020年04月29日 | Weblog
「■スシローではない! 西新橋「しまだ鮨」だ! 
 さて、田崎氏は一緒に寿司を食べられるほど安倍首相に接近できるジャーナリストとして、インターネットでは「スシロー」などと揶揄されている。
 しかし2014年4月17日の毎日新聞によれば、田崎氏は4月16日に安倍首相と「東京・西新橋のすし店『しまだ鮨』」で会食していた。回転寿司チェーンではなかった。」

という記事を目にしました。総理が高級なお店で食事をするのは、いかがなものか、みたいな報道で、そうした論調は時々、目にします。

しかし、回転寿司に連れて行ったとしたらどうなるのでしょうか。

家族客も多い回転寿司にSPを何人も連れた要人が行くと、それだけで、家族団欒の雰囲気が壊され、お店も、お客様も迷惑すると思います。

また、私たちでも接待や、大切なお客様をお連れするのに、回転寿司には連れて行かないと思います。回転寿司も、安くて楽しめて良いし、美味しい店は美味しいです。

しかし、そうしたお店は、お客様が多いですし、並んで待つ店も多々あります。それでは、落ち着いて会話を交わしたり、ビジネスの話をするには不向きです。

おそらくこうした記事を書いている人も、接待で回転寿司に連れて行けば、「おれはその程度の扱いなのか」と不満に思われるのではないでしょうか。

きっと私もそう思うだろうと思います。なぜなら、そう高くなくとも、落ち着いて話の出来るお店は、他にも一杯あるからです。値段と味だけの問題ではないのです。

回転寿司は、シャリの大きさ、ネタの大きさ、原価率、皿にマイクロチップを入れるなど、徹底してデータに基づいたビジネスをやっていく、凄い叡智が詰まったビジネスモデルです。尊敬に値します。

しかし、それぞれのお店にはコンセプトがあります。それぞれ大切にする顧客層があります。
同列に論じられるような話ではないと私は思います。


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モーニングショー

2020年04月29日 | Weblog
羽鳥慎一モーニングショーで、アナウンサーが事実に反するコメントをしたと謝罪していたらしいです。らしいですというのは、私はそれを見ていないからです。

しかし、よくよく考えてみれば、それも妙な話で、しょせんは、ワイドショーなのです。ワイドショーとは、大辞林 第三版の解説によれば、「〔和 wide+show〕テレビの娯楽番組の一形態。さまざまな出来事や話題について、いくつかの部分(コーナー)に分けて紹介するもの。」とあります。

ということですから、娯楽番組であるワイドショーに正確な報道を期待している方が、間違っているということにもなろうかと思います。

私はニュース報道では、データに基づく事実とエビデンス、そして、専門家のコメントがあれば十分だと思います。

人間は、見たいように物事を見、聞きたいように物事を聞く生き物です。

いつも体制批判的に物事を見ていれば、当然、批判的なコメントしか出てきません。その逆も又しかりで、体制擁護的に物事を見ていれば、擁護するコメントが多くなりがちです。

是々非々というのも、私は難しい話だと思います。

是々非々、というのは概念としては成立しても、実際の社会では、責任を持って行動するか、行動しないで無責任に批判するか、という二者択一にならざるを得ないからです。

やるか、やらないか。批判するか、批判しないか。
いつも何かを支えている人たちには、人の批判をしている暇はありません。

マスコミは、政治家が世の中を知らないと批判しますが、今回、保健所の人たちがこの事態だと臨時出勤して頑張っているのだろうという想像力が働かなかったのも、世の中を知らない点においては、あまり違いのないレベルではないかと思います。

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志、そして、情熱

2020年04月29日 | Weblog
パンデミックの中で、なお前を向いて日々を過ごしていくために必要なものは、「情熱」だと思います。

よし、これをやってみよう!という思いを、行動に移して行くには「情熱」が必要なのです。

それがなければ止まってしまいます。止まってじっとしていることも、人間にとっては「快」であったりするからです。

では、「情熱」を持つために必要なものは何かと言えば、やはり「志」ということになると思います。

自分の人生と生き方について考え抜き、先人の生き様に学んで「感動」し、目指すべき地点があるからこそ、「情熱」の炎にも火がついていくのだと思います。

目指すものや、憧れの対象となるものを持たなければ、やはり活力も情熱も湧いてこないのではないかと思います。

世の中が止まっているように見える時だからこそ、「志」と向き合うことが大切だと、改めて思っています。
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新明解国語辞典

2020年04月27日 | Weblog
国語辞典は何が良いかと尋ねられたので、面白がるなら新明解国語辞典が良いかなとお薦めしておきました。例文が傑作で何とも言えない国語辞典です。それに関して、1999年に『新解さんの謎』という本が出版されているぐらいです。
下のような例文が続々と・・・。

◎動物園(どうぶつえん)
「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする、人間中心の施設。」

◎公僕(こうぼく)
「権力を行使するのではなく国民に奉仕する者としての公務員の称。[実情は、理想とは程遠い]」

◎凡人(ぼんじん)
「自らを高める努力を怠ったり、功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。」

なんて厳しい!(笑)

ここからは尾籠な話で失礼します。

◎快便(かいべん)
「大便を排泄したあと、さっぱりした状態になること。」

◎水瀉便(すいしゃべん)
「しゅうっと出る、激しい下痢。」

「しゅうっと」って、「しゅうっと」って、そんな・・・。

(↑『新解さんの謎』101ページより)

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暗い夜

2020年04月27日 | Weblog
0:30に会社を出て、博多駅の前を車で走って自宅に戻りました。深夜とは言え、誰も人の歩いていない博多駅周辺は初めての体験でした。stay homeが、かなり徹底されているのだなと感じました。

また、賑わいが戻る日が待ち遠しく思われましたが、ふと、日本の人口減少の問題が頭をよぎりました。さすがに、ここまではならないとしても、福岡よりもっと少子高齢化の進んでいく地方都市では、こうした風景はそう遠くない将来に、珍しくないものになるのかもしれないと思いました。

国の未来というものを考えない人も多いのかもしれません。しかし、自分が享楽的な人生を謳歌したとして、子どもや孫たちに苦しい思いをさせるのはあまりにも身勝手のように思いました。これは若い時分には分からなかった感覚です。だから、大人たちが、もっとしっかりと考え、伝える努力をしなければならないのだろうと思います。

また、それを真摯に聞いてくれる子どもたち若者たちに育って欲しいと思います。そのためには、まず、自分の生き方が問われます。後ろ姿で何を伝えられるのかが大切だと思います。

努力と精進あるのみです。
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読書の意義

2020年04月26日 | Weblog
「読書の意義と価値とを、真に自覚的に把握し認識している人が、比較的に少ないというのは一体何故であろうか。今この点について最も根本的に言うとしたら、結局はこの二度とない人生を、真に自覚的に生きようとする人が、比較的少ないからだという他ないであろう。ということは言い換えれば、人生を真剣に生きようとしたら、何人も読書というものと、無関係ではありえないというわけである。
同時に、このように考えてくると、時々出くわす「近ごろはどうも、余り本が読めなくなってね」などとは、めったに言えないことにもなるわけである。なんとなれば、それは、「わたくしは近ごろ、人生を真剣に生きようとすることは廃業しました」というのと同じことだからである。

偉大な教育者、森信三先生の言葉です。

私の話が難しいとか、押しつけがましいとか、時に言われることもあります。しかし、この言葉の前に立たされれば、私の言っていることなど可愛いらしいものです(笑)。

読書の意義について、その核心を突き詰めて真剣に考えていけば、そういう意味にならざるを得ないと思います。それが本当のところだと思います。しかし、多くの人たちは、そこから目を背けて生きていきたいのです。話が難しいのは嫌だと逃げてしまいたいのです。

さて、私はこれからどういう立ち位置で、どのようにメッセージを発信していくべきか。改めて少し考えているところです。

・・・と言いつつ、答えは決まっています。そのまんま、ど真剣にぶつけていくだけ。加減ができるほど器用ではないですからね(笑)。





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本来無一物

2020年04月24日 | Weblog
本来無一物とは、禅の言葉で、事物はすべて本来空(くう)であるから、執着すべきものは何一つないということです。中国の禅宗、第6祖の法燈をついだが慧能(えのう)大師の言葉です。

それは、好き嫌いとか損得、良し悪しなどといった対立概念にとらわれることのない心の持ち方です。あるがままにおいて素晴らしいのだから、それに埃がかかるとか、それを払うとかということもないのです。大切なのは、その心の境地にたどり着けるかどうかだけ。

残念ながら、到底、私にはたどり着けない境地です。

禅語に「本来無一物。無一物中無尽蔵。」という言葉があります。
これは、「人間は生まれながらに自分のものというものなど何もない、この無一物が会得できれば誰でも無尽蔵の福徳が得られる」という言葉です。

私も様々なものに執着して、今日まで走ってきました。学ぶためには本が必要でしたし、仕事をするにはオフィスも必要でしたし、移動のためには車も必要でした。より良い仕事をし、より良い暮らしをするために、様々なものを手に入れながら走り続けてきました。

しかし、死んでいくときには何も持って行くことはできません。また、生まれたときには、何も持たずに生まれてきました。

本当に大切なのは、次の世代に伝えられる「思い」だけ。それは、形はないけれども、大切なものとして、手渡すことが出来るかもしれません。受け取って下さる方がいれば。

その「思い」が本物だったか、偽物だったか。私の「思い」が問われています。

改めて自分の志を見つめ直し、シンプルに取り組んでいこうと思います。




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判断の難しさ

2020年04月24日 | Weblog
ぎりぎりの判断のせめぎ合いが続きます。

中体連が中止になりました。高体連も中止を検討中のようです。
部活に燃えていた生徒・先生の残念な気持ちは本当に大きいと思います。

カプセルホテルのファーストキャビンも倒産しました。稼働率が下がっているので資金繰りが苦しくなってきたということです。つい数ヶ月前まで、インバウンドで賑わっていたのがウソのようです。これも事業継続の判断は難しかったと思いますが、早めの決断で傷口を小さく出来たのかもしれません。

一方で、トヨタ自動車は、5月4日から北米での自動車生産を再開します。自動車でなくとも、工場は完全に止めてしまうと、再開に多大な労力が必要となります。何とか、感染が治まり、様々な産業が息を吹き返してくれたらと思います。

しかし、判断の難しさは続きます。
やるべきかやめるべきか。

学校も富山の小学校でクラスターが発生しましたから、学校教育の再開については、慎重にならざるを得ません。バッカーズ寺子屋も同じです。慎重な判断が大切だと思います。

とにかく情報収集に努め、子どもたちの安全を最優先に判断を下していこうと思います。


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