Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

萩往還を歩く

2012年03月31日 | Weblog
このところ慌ただしい日々が続いていて、
なかなかブログの更新が出来ませんでした。


バッカーズ九州寺子屋第4期生と萩往還を歩いてきました。
今年も、全員で歩き通すことが出来ました。

色々なことがありましたが、
学び多き三日間でした。

心に残る学びでした。

やはり、教育というのは、
子どもたちの心に何を残してあげられるかだと思います。

そして、それは、

結果として何が残るか

と言うことが大切なのであって、

その過程においては、
色々と受け入れていくことも
赦すことも大切なのだと思います。

大人の論理だけで裁いていては、
心に残っていかないことも多くあるように思います。


私は、大人の都合のために教育する気はありません。

未来を担う子どもたちにとって大切なことは何か。
答えは一つではありませんが、
日々、考え抜いて、行動していこうと
思いを新たにしています。








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負ける力

2012年03月17日 | Weblog
若い頃は、子どもに対して、あるいは、年下の者に対して、「負けてあげる」ということがなかなかできません。
特に、「さりげなく負けてあげること」や、「負け続けている中で、最後に相手を深く納得させる一手を持ち続けること」など、至難の業だと思います。

みんなが目先の勝負にこだわるようになってしまったのかもしれません。私たちが子どもの頃は、お兄ちゃん、お姉ちゃんたちから、よく負けてもらっていたものです。しかも、それとはすぐにはわからないように…。

教育をしていく上で、大切なことは、子どもが関わりの中で成長できるかどうかです。
そのためだったら、連戦連敗をし続けることも苦にはなりません。
もちろん、最後の一瞬の勝利を信じてのことですが。

勝利とは、子どもたちの心に、思いが届くと言うことです。


己の小さなプライドが大切?
子どもの言うことを聞いたら負け?
子どものわがままを許してはいけない?

たしかに一般論としてはそうなるのでしょう。

しかし、大切なことは、その先に何を見ているかどうかだと思います。
そのことから子どもたちは一体何を学ぶことができるか?
何を得られるか?


私が言っているのは、子どもに力負けして譲ってしまったり、
子どもに迎合した態度を取ることではありません。

むしろ、大人として、プロフェッショナルとしての、
厳しい姿勢を見せ続けることです。
与え続けることです。

それは必ず伝わると私は信じます。

また、伝わらなくても、死ぬまで伝え続ければ良いだけの話です。





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新しい日本を作る?

2012年03月10日 | Weblog
政治については言及したくないのですが、
言葉の問題として、文化の問題として、
違和感を覚えたことに触れておきたいと思います。


今日、【ワシントン時事】ニュースで、次のように報じられていました。

米紙ワシントン・ポスト(電子版)は9日、東日本大震災から1年を迎えるのを前に、野田佳彦首相の寄稿文を掲載した。首相は「われわれの目標は、単に震災前の姿を取り戻すことではなく、新生日本を建設することだ」と復興に向けた決意を示している。
 首相は「日本は戦後の廃虚と荒廃から急速に経済発展を遂げ、オイルショック後に世界で最もエネルギー効率性の高い経済を打ち立てた」と指摘。現在も同様に厳しい時代にあるとしながらも、「われわれはこの歴史的な困難を乗り越える決心だ」と表明した。また、大震災を通じて「想定外だったという言い訳はもはや通用しないことを学んだ」と強調。日本は災害リスクの低減や震災への対処方法など、今回得た教訓を国際社会と共有する責務を負っていると述べた。


想定外とおっしゃいますが、想定はありました。

ただ、私たちが、先人の知恵や、子孫への思いを
軽んじて粗末に扱ってきただけではないのでしょうか。
 

2011年3月30日07時22分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm
の報じた記事でそれはわかります。

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「此処ここより下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 「高き住居は児孫じそんの和楽わらく 想おもへ惨禍の大津浪おおつなみ」

 本州最東端の●ヶ埼とどがさき灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

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私たちは近代科学技術文明の恩恵を無数に受けています。
それはそれで、素晴らしいことだと思います。

しかし、一方で、父祖の世代から受け継いできた、
知恵と文化とをあまりに軽んじているのではないかと思うのです。

「新しい日本を作る」と声高に言うのも良いとは思いますが、
大切なものを受け継ぐ覚悟もまた大切なのではないでしょうか。

文化を受け継ぐと言うことは、
父祖の世代の苦労に頭を垂れる謙虚さを持つことに他ならないと私は思います。

自然の脅威の前に近代科学技術は無力であるということが、
今回の震災で得られた大きな教訓であるのならば、

私たちが第一に為すべき事は、
自然に対する畏敬の念を取り戻し、
父祖の世代から受け継がれてきた文化を尊重していくことだと思います。

それを土台とした国作りをしていかなければ、
結局は、同じ過ちを繰り返すに過ぎないことになるだろうと私は思います。

哲学不在の時代とは言うものの、
そうした意識が少しも感じられない言論に、
私は何とも言えない寂しさを感じるのです。


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倉敷探訪③

2012年03月02日 | Weblog
池田光政公は岡山藩主として藩政に敏腕をふるった人物です。
儒教を信奉し、陽明学者・熊沢蕃山を招聘しました。
さらに、寛文10年(1670年)には、
日本最古の庶民の学校として閑谷学校を開きました。

池田光政公は、八歳で家督を継いだため、
その重圧に夜も眠れなかったそうです。

しかし、「君子の儒」(孔孟の教えを奉ずる学者)として、
家臣・良民を教え導くことが大切だと言うことに気づき、
人としての道を学ぶ学問に打ち込むようになってからは、
くっすりと眠れるようになったそうです。

閑谷学校に行って見た、
光政公が筆で歌を書いた扇子には、
次のような一首が記されていました。


 心だに誠の道にかなひなば
 祈らずとても神や護らん


自分自身を磨くことを怠って、
いくら神仏に祈ったところで、
道が開けるはずはありません。

しかし、
人として真心を尽くし、
誠実に努め励んでいれば、
祈らなくても神仏のご加護はきっとあるだろう。

現代に生きる私たちにも通じる
不易の真理が詠み込まれた歌だと思います。



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倉敷探訪②

2012年03月02日 | Weblog
大原家の家訓として伝わる
「謙受の精神」というものがあると学びました。

大原孝四郎氏の父である壮平氏が、
漢学者の森田節斎に授かった
「謙受の記」によるものだそうです。

内容は次の通りです。

「とかく物事は一番になると慢心を起こして心がゆるみ、
 次には退歩していくものだ。
 どのような場合にも、わが社はいつも第一番に迫る、
 希望に満ちた二・三番の謙虚な気持ちと気迫をもって
 不断の努力を続けたい」

この精神が、二三のマークに込められているそうです。

一番にほど遠い私たちは、
全力で一番に迫り続ける気迫を持たなければならないと
意を新たにしました。

それにしても清々しいメッセージです。



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倉敷探訪①

2012年03月02日 | Weblog
バッカーズ寺子屋卒塾生合宿の下見に
倉敷に行っていました。

新たな発見、新たな学びが沢山あり、
素晴らしい時間となりました。

これを卒塾生たちにしっかりと伝えていこうと思います。

いくつもの心に残るできごとがありましたが、
やはり、大原家のフィロソフィの素晴らしさが印象に残りました。

例えば、

故大原總一郎氏が、
「倉紡従業員の教育に資する言葉を」
と棟方志功に求めたことがありました。

棟方志功が選んで書いた言葉は、

玉不琢不成器(玉琢かざれば器をなさず)
人不学不知道(人学ばざれば道を知らず)

というものでした。

中国の礼記・学記の言葉を選ぶところに、
教養の深さ、人間としての深さを追求していたことが感じられます。

棟方志功という版画家の精神も凄いと思いますが、

棟方志功に、社員の教育に資する言葉を求めた
大原總一郎という実業家の精神もまた凄いのだと思いました。


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