萩往還を歩く研修、今年、5回目を終えることが出来ました。春に子どもたちと3回、秋に企業研修で2回歩きます。涙松から瑠璃光寺五重塔まで、約36㎞をひたすらに歩き続け、ゴールを目指していく研修です。この中に沢山の学びがあります。それは、体験してみなければ全く分からない質のものです。歩き終えた翌日に、「美しいゴール(志)を持つことの大切さ。」「達成感はゴールの先にしかないこと。」「一歩を踏み出すことは簡単だが、踏み出し続けることは大変なことであること。」「愚痴を言ってもぼやいても、道は短くならないし雰囲気が悪くなりモチベーションが下がるだけなので、どうせなら共に明るく励まし合って歩いた方が良いこと。」「出来ない理由を探さないこと。」等々、様々なことをお伝えします。
ただし、受け取るのは自分次第なので、何を手に入れられたかは一人一人違います。体力によっても、心の持ち方によっても、みんな違うものになります。何も得られなかったという人がいても別に不思議ではありません。何も考えずにただ作業のように歩けば、得られるものがあるはずがありません。仕事も人生も同じです。
人生は道を歩くことに似ているとよく例えられます。本当にそうだと思います。歩き終えたときの皆さんの表情は、本当に変わります。疲れていたり、足が痛かったりするとは思いますが、みんな輝いています。それは、困難を乗り越えていく自信、達成感、仲間がいる心強さ、楽しさ、自然の中で汗を流した爽快感、様々なものが得られたことによるものだと感じています。やってみなければ分からないのがこの学びの良さであり深さです。
道案内のためとペースメイクのため、そして、蜘蛛の巣を払うために、私はいつも先頭を歩きます。本来、体育会系では無い私は、いつも歩き通せるのか不安でいっぱいになります。しかし、自分が歩き通せなければ、全員に迷惑がかかります。そういう意味では、気力で歩き続けているのですが、果たして何歳で歩くのをやめたら良いのだろうかといつも思っています。
自分の体力・気力と向き合い、歩いている最中や歩いた後に感じた感覚で決めるしか無いのだと思います。
30歳ぐらいの時にこの研修を作って、「10年続けられたら一つのことを成し遂げたと言って良いだろう」と考えていましたが、もう30年以上この道を歩き続けています。
私自身が、吉田松陰先生はじめ先人たちの声に耳を傾けながらこの道を歩き続けています。毎年、昨年よりも今年、学問を深めてから行かなければ、先人たちに恥ずかしいと私は思っています。
教育という道を歩き続けていく私にとって、萩往還を歩くことは、「日々新た」という思いを忘れずに、学びの道を歩くことでもあります。今年は歩いている時に、韓愈の「彼も人なり、我も人なり」という言葉が心にこだましていました。