Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

トイレは神様

2015年03月20日 | Weblog
ネットの記事に、

ライオンは17日、「トイレ汚れの主犯格"尿ハネ"」
に関する調査結果のまとめを発表した。

・・・とあったのが、微妙に私の興味を惹きました。

http://look.lion.co.jp/lavatory/mamepika/chishiki/

トイレの使い方には、
人としての品性が最も表れると思うからです。

それは、気づく力であり、
手を汚すことを厭わない精神の高貴さであり、
見えないところで心を配ろうとする思いやりでもあります。







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品位

2015年03月20日 | Weblog
きついときに、
きつそうな顔をするのは、
誰にでも出来ることです。

そして、
そこに少しでも、
きついのだから当然というニュアンスが嗅ぎ取れると、
何かがっかりした感じがします。

そこに人としての
精神の美しさが見いだせないからです。

自分の表情一つが、
他人に心配をかけることになる。

そう心得て、忍耐され、
磨かれた立ち居振る舞いには、

人としての気品と美しさがあります。

そこには、
自分の苦しみよりも、
他人の悲しみを慮る、
あふれんばかりの思いやりの心があるからです。

強靱なる精神が美しく感じられるのは、
そういうことだと思います。

そうした強く美しき人たちの姿に、
私はいつも叱咤激励されているように感じています。

そして、自分もそうありたいと強く願うのです。
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世界観

2015年03月19日 | Weblog
世界は苦渋に満ちたものだと考える人たちにとっては、
世界は間違いなく、苦渋に満ちたものである。

世界は夢と希望に溢れたものであると考える人たちにとっては、
世界は間違いなく、夢と希望に溢れたものである。

どちらの世界で生きるのかは、自分で選ぶことができる。

世界をどう見るかというのは、自分次第だからである。
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本当にわかるということ

2015年03月18日 | Weblog
今日の日経新聞夕刊に、
哲学者の梅原猛さんが、
良寛さんについてお書きになっていた。

曰く、

「私は90歳を迎えんとして、
 ようやく(良寛の)偉大さを理解できるようになった。」

梅原先生にしての感懐である。

私たちは、
あまりにも浅く、
わかった気になったり、
わからせようとしているのではないか。

薄っぺらな知識や、
薄っぺらな感情のやりとりに満足して、

さらに深い世界があることに
思いが至らないのではないか。

良寛の書・漢詩・和歌・生き方、
その一つ一つを本当に理解するということは、
かくも深いものなのだと痛烈に思わせられた。

人は自分の理解の深さでしか、
相手を知ることはできない。

これは、
「お前の人物が如何ほどのものなのか?」
と、問われているに等しい。

私の理解も浅いに違いない。

だからこそ、
死ぬまで理解の深さを探究し続けるしかない。





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2015年03月17日 | Weblog
私には少なくとも、
日本の教育をより良いものにしたいという志があります。

そのためには、学び続け、自分を磨き続けるしかない。

そう思っているから、
冷遇されようが、梯子を外されようが、
私の知ったことではないと割り切ることができます。

勿論、私の不徳の致すところであれば、
深く反省し、改善していかなければなりません。

組織の中で、冷遇されたり、
厳しい環境に置かれたりすると

調子の良いときとは全く異なり、
尾羽うち枯らしたようになる人もいます。

その人の志はどこにあったのだろうかと思います。

たった一人でもやれることはあるものなのです。

地位や肩書きが上になることが、
志を果たすことでは決してない。

私はそう思います。
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鍛えること

2015年03月17日 | Weblog
ある程度の規模の集団の中では、
互いが牽制し合ったり、
互いがフォローし合ったり、
良くも悪くも、
相互扶助の関係性の中で、
人は生きていくことができるものだと思います。

私の仕事は、
一人、呻吟しながら考え抜き、
伝えるべき言葉を模索し続けるしかない、
そんな仕事です。

果てしなく、
教育観や人間観を鍛えていかなければならないのですが、
発信する日という期限はあります。

だから、日々、苦闘するしかありません。

もっと強靱な自分を創り上げていかなければなりません。

日々新たに。


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自戒

2015年03月16日 | Weblog
忙しくなると、
一つ一つに心を込め、
手間暇をかけることが疎かになっていきます。

人と対峙するための準備の時間を
どれだけ作ることが出来るのか。
それが教育にとっては大切な時間だと思います。

そのことが大きな成果を生み出すのです。

しかし、そのことが見えている人は、
教育に携わる人間の中にも少ないのが現状です。

だから、
本当の意味で人間教育を生業とする者は、
理想と現実の間で苦悩し続けることにならざるを得ない。

教育と経営とをどう両立させていくか。

それは至難の業です。

それは言わば、手間暇と効率という矛盾したものを、
どう両立させるかということへの挑戦だからです。

経営には、自分だけでなく社員の人生も大きく関わってきます。
そこにもう一つの困難があります。

ただ、そうした中で私が思うことは、
私が成功してみせることが、

私のようなチャレンジを試みる人たちの、
つまり、後に続く人たちにとっての、
大きな励みになるのではないかと言うことです。

だから私はチャレンジし続け、成功し続けます。
感謝と報恩とを忘れずに。
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一人一人に

2015年03月12日 | Weblog
一人一人の人間には、
これまでの人生の出会いと経験によって培われた、
それぞれの物の見方や考え方があります。

それが、組織の中では、
なかなかうまくかみ合わないことが多いものです。

だから、
コンサルタントとしての私の役割は、

・常に組織の目標に立ち返っていくシンプルな視点を
 ブレずに持ち続けること。

・一人一人の善なる心を信じること。

・一人一人は必ず成長する存在であると信じること。

ただ、それだけです。

そのような真心から発する言葉でなければ、
人の心には届かないものだと思っているからです。

けれども、それでも、力及ばないこともあります。

できることは、
必死で自分を磨き続けることと、
継続し続けること。

突破の方法は、それだけのようです。



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やはり

2015年03月12日 | Weblog
ここに来て思うことは、

いかに多くの方々に支えて頂いて
今日の自分があるかということです。

私はある意味で、
常に矢面に立って闘い続けなければなりません。

理解していただけないことも多く、
心身共にダメージを受けることも数多くあります。

それでも倒れないでいられるのは、
多くの方々の支えがあるからです。

そのことを改めて実感しています。

私は次の世代の育成のために全力を尽くします。

ただ、それだけの人生で良いと思います。






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木の芽時

2015年03月11日 | Weblog
木の芽時(このめどき)は、
心理的に不安定になる時期だと言われています。

やはり人間も自然の一部ですから、

肉体的にも影響を受け、
ということは、
精神的にも影響を受けるわけです。

その変化に強い人もいれば、弱い人もいる。

「春愁」などという言葉もあり、
文学の徒としては、
愁いの中に、些かの好もしさを見出したりもするわけですが、

やはり、ビジネスに教育に携わる一人としては、
心身共に安定してタフである事が大切になります。

ネガティブにならず、
人を誹らず、
人を羨まず、
人を怨まず、

いつも笑顔で、
多くの人たちの幸せに尽くすことのできる
そんな自分でありたいと思います。

今日も修行ですね。
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