壊れたツリーを直していてふと遠い記憶が蘇ってきました。
父と、或いは母と、子どもの頃に「壊れた何か」を直している場面の記憶です。
それは、おもちゃだったような気もします。
あるいは、器だったような気もします。
あるいはまた、人形だったような気もします。
そこに小さくしゃがみ込んでいたような気もしますし、
小さく額を付き合わせていたような気もします。
もう何かも解らないほど、随分曖昧な記憶ではあるのですが、
確かに何かが壊れてしまって悲しんでいる私の側で、
一緒に寄り添って直してくれている時の父母の空気が、
時を超えて、ふと流れ込んできました。
物が溢れかえっている現代、
壊れた物を「直す」ということをしなくなりました。
たしかに買い換えた方が安い。
また、ブラックボックスとなった複雑な部品が使われているから
素人には修理のしようもない。だから、買い換えるしかない。
そんな時代になってしまいました。
私がふと思ったのは、
「直すこと」は「治すこと」に通じていたのではないかということです。
私は怒りにまかせて何かを壊してしまうことを否定はしません。
勿論、それは好ましからざる事であり、
時として許されぬ事でもあります。
また、今のキレやすいと言われる子どもたちを良しとするつもりもありません。
では、物を大切にする心はどのようにして、
芽生えてくるのでしょうか?
それは、子どもの頃、
物が壊れてどうしようもなく悲しい思いを抱えている時に、
何とか直してあげようと一生懸命に心を砕いてくれた大人が
側にいてくれたからではないでしょうか。
子どもの力では、どうしても直すことの出来ないものを、
とことんまで直そうとしてくれる姿に、
叡智と愛情を感じ、感謝の念を抱き、
子ども心にも救いを得ていたのではないでしょうか。
それは、
「物を直す」作業でありながら、
傷ついた「心を治す」作業でもあったように思います。
壊れた物の方は直らなかったかもしれないけれど、
そのかけがえのない時間のおかけで、
傷ついた心の方は治っていったのではないでしょうか。
そのことが、
物を大切にするという心を育んでくれただけでなく、
心そのものを豊かにしてくれていたように思えてなりません。
「物を直すこと」は、単に物を直すことにとどまらず、
「心を治すこと」にもつながっているのだということを、
教育に携わる者として忘れないようにしようと思いました。
父と、或いは母と、子どもの頃に「壊れた何か」を直している場面の記憶です。
それは、おもちゃだったような気もします。
あるいは、器だったような気もします。
あるいはまた、人形だったような気もします。
そこに小さくしゃがみ込んでいたような気もしますし、
小さく額を付き合わせていたような気もします。
もう何かも解らないほど、随分曖昧な記憶ではあるのですが、
確かに何かが壊れてしまって悲しんでいる私の側で、
一緒に寄り添って直してくれている時の父母の空気が、
時を超えて、ふと流れ込んできました。
物が溢れかえっている現代、
壊れた物を「直す」ということをしなくなりました。
たしかに買い換えた方が安い。
また、ブラックボックスとなった複雑な部品が使われているから
素人には修理のしようもない。だから、買い換えるしかない。
そんな時代になってしまいました。
私がふと思ったのは、
「直すこと」は「治すこと」に通じていたのではないかということです。
私は怒りにまかせて何かを壊してしまうことを否定はしません。
勿論、それは好ましからざる事であり、
時として許されぬ事でもあります。
また、今のキレやすいと言われる子どもたちを良しとするつもりもありません。
では、物を大切にする心はどのようにして、
芽生えてくるのでしょうか?
それは、子どもの頃、
物が壊れてどうしようもなく悲しい思いを抱えている時に、
何とか直してあげようと一生懸命に心を砕いてくれた大人が
側にいてくれたからではないでしょうか。
子どもの力では、どうしても直すことの出来ないものを、
とことんまで直そうとしてくれる姿に、
叡智と愛情を感じ、感謝の念を抱き、
子ども心にも救いを得ていたのではないでしょうか。
それは、
「物を直す」作業でありながら、
傷ついた「心を治す」作業でもあったように思います。
壊れた物の方は直らなかったかもしれないけれど、
そのかけがえのない時間のおかけで、
傷ついた心の方は治っていったのではないでしょうか。
そのことが、
物を大切にするという心を育んでくれただけでなく、
心そのものを豊かにしてくれていたように思えてなりません。
「物を直すこと」は、単に物を直すことにとどまらず、
「心を治すこと」にもつながっているのだということを、
教育に携わる者として忘れないようにしようと思いました。