Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育は

2013年11月28日 | Weblog
教育は、
純粋に教育でなければ、
その力を失うもののようです。

つまり、何かの見返りや、
政治的成果を求めていくようになると、
どうも大した成果が得られないような気がします。

それは、短期間ではわからないけれども、
時間をおいてじっくりと見ていれば、
少しずつメッキがはがれていくようなものです。
最初は金ぴかでも、そう長くは持たないのです。

結局、本物か偽物かは、
どれだけ真心を込めて、
創り上げたかと言うことで、
分かれるものであり、

純粋に相手に向き合えたかと言うことだけが、
時を経て残っていくものなのだと痛感します。

それは、
喩えて言うなら、
縄文時代の土器や、
安土桃山の陶器が、
幾時代を経ても、
益々輝きを放ち続けるのに似ています。

その世界の高さと、
そこに行く道程の困難を知りつつも、

私が目ざす教育は、
そのようなものでありたいと、
心から願っています。




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糠漬け

2013年11月26日 | Weblog

久しぶりに、スーパーで糠漬けを買いました。

我が社では、二年前から糠漬けを漬けていて、
ほぼ、毎日、会社での食卓に登場しています。
これが実に美味いのです。
もはや絶品!!

みんな、久しぶりに、スーパーの糠漬けを食べて・・・。

「・・・・・。」

本物の味に馴染んでいると、
化学調味液につけ込んだだけの味が、
実に不自然に感じられるのでした。

「これって、何だろうね・・・。」

きゅうりの表面に塗られているだけの糠が、
実に不誠実な存在に感じられました。

「別に「糠漬け」って言って売らなくても良いのにね・・・。」

食品の安全と誠実さについて
深く考えさせられた食卓でした。



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紅葉

2013年11月25日 | Weblog

佐賀県多久市の西渓公園へ行ってきました。

多久聖廟に行って、孔子の教えに学ぶためです。

今年は、気候の関係で、
いつもより紅葉の美しさが出ていませんでしたが、
それでも息を呑む美しさに出会うことができました。

日本の四季は感じ取るしか無いものだと思います。

その時間を大切にしたいものです。


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繊細さと強さ

2013年11月24日 | Weblog

子どもの頃、
繊細である事は弱いことだと思っていた。

だが、それは、
鈍いことを強いことだと
勘違いしていたことの裏返しに過ぎなかった。

本当の強さは、
繊細な心で、
様々な人の痛みを感じつつ、
それに立ち向かう勇気と意志の力を持つことだとわかった。

色々な事に気づけぬ鈍さでは、
決して良い仕事などできはしない。

だから、
それは本当の意味での強さなどではないのだ。



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カバーする

2013年11月10日 | Weblog
今回、足の痛む箇所を庇って歩いたことでわかったのは、

人間の体は、一カ所が機能不全に陥れば、
そこをカバーしようと、
他のところが頑張ってくれるということです。

だから、いつもと違う箇所が、
随分、凝っていました。

何も頼まないのに、
自然と頑張ってフォローしてくれている。

私の会社も、そうありたいと思います。
いや、そうなっていることに感謝をしたいと思います。


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靱帯の不思議

2013年11月10日 | Weblog
とにかく、言い出しっぺは歩くしかない。

11月5日、
早起きしてテーピングをし、
ロキソニンを飲み続けて、
萩往還を歩き始めました。

いやぁ、
テーピングもロキソニンも偉大です。

私は無事、30㎞を歩き通すことができました!

「できない理由をさがさない!」
日頃から子供たちに言っていることを実践できたわけです。

会社に戻って、
心配して待っていたスタッフたちに、
豪語しました。

「足の骨にヒビが入っていようが、山道30㎞歩けるのだ!
 筋肉痛もたいしたことはない!わはははは!
 どうだ、若いだろう!わはははは!」

歩く前には心配していたスタッフの視線が、
呆れた視線になり、
やがて、
五月蠅い奴だと蔑むような視線になり、
そして、
視界からその姿を消していきました。


歩き終えて、翌々日から・・・。

庇って歩いた疲労と痛みの戻りで、
他の仕事が滞りまくり、
できない理由をひたすら探そうとする私がいました。(笑)

そう、若者とは違い、年寄りは、
その日のうちに痛みは出ないのです(笑)。

まぁ、それにしても、貴重な経験となりました。

・やらない選択肢を断てば、
どうすればできるかという知恵を生み出す道が開ける。

・人間の精神は、時として肉体を支配することができる。

これが今回の学びのようです。

あとは、テーピングを覚えたことも大きな収穫でした。

無事にやり遂げられて本当に良かった。

皆様、ありがとうございました。
そして、ごめんなさい。




















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人体の不思議

2013年11月10日 | Weblog
11月5日、萩往還30㎞を歩いてきました。

私が講師を務めさせていただいている
新入社員フォローアップ研修の「締めくくり」として、
「歩こう!」と思ったのです。

しかし、
その10日ほど前、
とある企業での合宿研修・2日目の朝、

コンビニの前を歩いていて、
ぐきっ!としたたかに左足を捻ってしまいました。

その時、
「パチン!」というか、
「パキッ!」というか、
「ポクッ!」というか、
嫌な音が音が聞こえてきましたが、
気のせいだと思い込むことにしました。

幸いコンビニの前だったので、
冷えピタを貼って、
これまた幸い持っていた、
痛み止めのリングルを飲んで
1日の研修を無事終えました。

次の日、
足は腫れ上がり、

その次の日、
足は捻った踝とは反対の、
足の内側にまで内出血が広がり、
さらには指にまでも内出血が広がっていました。

整形外科に行くと、
「ん~、ヒビが入ってますね~。」とのこと。
「靱帯三本のうち後ろの2本がかなり痛んでます。」とも。

おそるおそる
「10日後に、山道30㎞歩かなければならないのですが、
歩けますでしょうか?」と尋ねてみると、
「まぁ、無理でしょうね。」と。

3日後の次の診察の時、
「あの~、どうしたら30㎞歩けますかね。」だの、
「痛みを消せる強烈な痛み止めって出していただけませんかね。」だの、
しつこく質問する私に、
ドクターはテーピングの本を取り出して来て、
丁寧にやり方を教えて下さり、
看護師さんにその部分のコピーを取るよう指示し、私に下さいました。


(つづく)



















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教育の準備

2013年11月04日 | Weblog
教育の準備というものは、

例えば、

研修の一日なら、その一日を、
事前に頭の中で描ききっていないと、
十分にはできないものです。

特に細部には、
哲学が宿るものですから、
人には窺い知ることのできない
こだわりや心遣いを形にするための準備が必要です。

その意味で、
教育をする人と、
準備をする人とを、
分けて考えることはできないのかもしれません。

どこかで妥協をすれば、
それも成立するのでしょうが、
それは私の本意とするところではありません。

ただ、言えることは、
多くの人の支えがあるから、
一日は成り立っているということです。

そう思えば、
感謝するばかりです。

しかし、
より良いものを求めようとすれば、
更に高い境地を目指そうとするのであれば、

悩み抜き、苦しみ抜き、
ふがいない自分への苛立ちを募らせて、

一つ一つの小石を積み上げていく以外に
道はないのだと思っています。






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スピーチコンテスト

2013年11月03日 | Weblog
バッカーズ寺子屋・9期生、
第1回目のスピーチコンテストが終わりました。

バッカーズ九州寺子屋・第6期生も
既に終了しています。

言葉を磨くことは、
心を磨くことだと痛感します。

心から言葉を発し、
相手の心に届けなければならない。

そのことが、人を成長させてくれるのだと思います。

7月に入塾して、四ヶ月の間に、
みんな随分しっかりしてきたものだと思います。

しかし、まだまだ、とも思います。

塾生たちと、
心を込めて、
共に学んでいこうと思います。

みなさんお疲れ様でした。
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料理を教育に置き換えただけ

2013年11月01日 | Weblog
教育をする根本は
親切でなくてはいけません。
魂の入った真剣な
ものでなければいけません。
そうでないと
自分がまるで機械になってしまって、
自分自身楽しいことにもなりません。
自分がやっていて、
楽しく趣味に生くるには、
正直の得心のいくように
良心に従うことが肝要であります。


これは、魯山人の言葉を、
ひと言だけ置き換えてみたものです。

「料理」を「教育」に…。


料理をする根本は
親切でなくてはいけません。
魂の入った真剣な
ものでなければいけません。
そうでないと
自分がまるで機械になってしまって、
自分自身楽しいことにもなりません。
自分がやっていて、
楽しく趣味に生くるには、
正直の得心のいくように
良心に従うことが肝要であります。

       北大路魯山人の言葉



私は、いつも「教育」は「料理」に似ていると思います。

そして、私の目指す教育は、
マニュアルや工場で作られることのない、
一流の会席料理を目指したいと思います。


え?
会席ではなく、懐石ではないのかって?

いいえ、違います。会席です。

だって、美味しい酒が飲める方が私らしい。









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