Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

明日の楽しみ

2020年11月29日 | Weblog
明日の夕刻、新しい拙著、『学び方が変わると人生が変わる』(梓書院)が手元に届きます。
ただし、正式な発売日は、2021年1月15日です。

12月5日の大分での講演会で配付しようと思っていて、多少の冊数を先行印刷をしていただきました。

今回はバッカーズ寺子屋の塾長として、卒塾文集から、たくさんの卒塾生の声を引用しながら、教育にとって何が大切かと言うことについて書いています。

経営者の方から推薦の言葉として、「塾生を社員に置き換えて、是非、経営者にも読んで欲しい本。」という趣旨の言葉をいただきました。

これからPRの体制を作っていきますが、今回は、多くの人たちに読んで欲しいと願っている一冊です。



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無力ではあるけれど・・・

2020年11月28日 | Weblog
中国が物量作戦で「尖閣諸島奪取」に王手! 海上保安庁は人員不足で“機能不全”に…
11/28(土) 6:12配信 文春オンライン

という見出しの記事が出ていました。

経済力も防衛力も、詰まるところは、人口の多寡に影響される問題です。
人口が減少すれば、国力が失われるのは当然のことです。
少子高齢化とはそういうことです。
なんだかんだ言って、日本が経済大国でいられたのは、人口が多かったからです。
でも、そうではなくなります。

少数の国民で、国家の独立を保つのであれば、気概が必要です。
しかし、日本のどこに気概ある人間がいるのか。
気概を養う教育があるのか。

そうした足を引っ張る人たちは沢山います。

いよいよ苦しい状況になってきました。
あらゆる問題が、個人の問題にすり替えられ、国家という土台の大切さを皆が見失ってきたからです。

先の大戦で、・・・。という反省に基づいていることもよくわかります。しかし、それが、いずれ国を滅ぼすことにもなりかねないことを思います。

残念ですが、わかり合えなかった私たち日本人の愚かな結末です。それを受け入れるしかありません。

残念ながら、生活の土台である国家が失われて、個人だけが幸福でいられるはずがありません。個人の権利など保障されるはずもないでしょう。人権を蹂躙されている国がいくつもあるのです。

こういうことを言うと「右だ!」と非難を浴びせられます。しかし、そろそろ、その非難がどのような意図のもとに行われているかを理解しても良い時ではないかと思います。

日本の未来のために、私は私にやれることを地道にやり続けるだけです。






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京大時計台記念館

2020年11月28日 | Weblog
京大時計台記念館占拠のニュースを見た。

写真を見た瞬間に、すわ三島由紀夫の再来か!と思った。

しかし、垂れ幕を見た瞬間に、全く違うとわかった。

精神的に幼稚な文字で何やら書かれていた。

それを目にした瞬間に、このニュースについて、何も知りたいとは思わなくなった。
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ソフトバンクホークス優勝

2020年11月27日 | Weblog
ソフトバンクホークスが優勝した。圧勝でした。
昔から言われていた「実力のパ。人気のセ。」という言葉が頭に浮かびました。
また、フィジカルの違いも顕著でした。

でも、それだけではないような気がふとしました。
両チームの空気感の違いです。

それは、東京と福岡の違いなのかもしれません。

福岡は一致団結し、熱く闘っていくメンタリティがあります。

「個」としては、ジャイアンツもしっかりしているのでしょうが、
チームの中で切磋琢磨し、「個」がチームを高め、チームが「個」を高めていく空気感が、圧倒的にホークスの方が高いと感じます。

それが九州のスピリットなのかもしれません。

教育を思えば、九州も東京も共に大切です。同じ日本なのですから。

教育の場において、私もこれからどのように対応していくかを、改めて考えていきたいと思います。
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学問的良心

2020年11月23日 | Weblog
科学者は科学的研究で得られた知見に忠実な言論をしていただきたいと思います。
生物学者は生物学的研究で得られた生物学的知見に正直でいて欲しいと思います。

とにかく、世の中に受け入れられようと受け入れられまいと、学問的正しさを追求する姿勢でいて欲しいのです。

それが、「こんなことを言うと、世の中からそっぽを向かれるから、期待に添う形で発信しよう」などと思うと、世の中の進む方向が間違ってしまうと思うからです。

誠実で気骨のある人が、学問の世界にも、教育の世界にも、メディアの世界にも、本当に求められているのだと思います。


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言行一致

2020年11月22日 | Weblog
言行一致とは、口で言うことと行動に矛盾がないことを言う。

言ったことは必ずやり遂げるか、
出来ないことは言わないということだ。

言ったことをやり遂げず、
出来ないことを言いつのる人間にならなければ良いだけだ。

ただ、そこには覚悟と自省と、自らを客観視する力が必要となる。

そして、そこにたどり着く困難を知りつつ、そうなりたいという強い意志を持つことが、何より大切なのだと思う。
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言葉は力

2020年11月21日 | Weblog
政治家や官僚などが判断の難しいことに常に直面している苦労は理解できる。
野党が何もできないのに非難だけをする姿は心底阿呆らしいと思う。

だとしても、与野党、官僚を問わず、言質を取られないように、曖昧に表現した言葉は、人の心を動かすことはない。だが、現実には、政治家も官僚も、言質を取られないことに腐心して言葉を選んでいる。そうした醜い姿勢を見せられ続けることに心底うんざりしてきた。

これは教育という国家百年の計にとっては、深刻な悲劇をもたらす。

なぜなら、信念に満ちた言葉や、言行一致の姿が、馬鹿馬鹿しいものとして嘲笑されるだけになってしまうからだ。正しいことをあざ笑う国の未来が明るいとは思えない。

日本はまだ、「由らしむべし知らしむべからず」(論語)という伝統を引きずっているのかもしれない。「人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。」という意味だ。

それもそうかもしれないが、残念なことであり、悲しむべきことであり、悔しいことだ。

私に出来ることは、言葉の力を信念に満ちたものに高めていくことと、その言葉に釣り合う行動をすることだけだ。

言行一致を求める生き方を愚かだと言われることは、今の時代には仕方の無いことだ。愚かな狂人としてどこまで生きられるか試してみようと思う。


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失敗

2020年11月21日 | Weblog
子どもの頃に安心して失敗する機会を取り上げられてしまえば、
その子は大人になってからは失敗を隠したり、誤魔化したりするようになる。
失敗の恐怖から逃れたい心を育むということはそういうことだ。

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料理

2020年11月21日 | Weblog
料理をしていると様々なことが学べます。

旬の素材を知っているかということを含め、食材や自然や文化について、どこまでの教養があるかどうか。

良い器を選ぶ目を持っているか。料理との組み合わせや見た目の美しさをイメージできるか。

熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに食べられるように段取りできるか。また、素早く先を読んで行動できるか否か。

美味しいものを美味しい状態で食べてもらいたいという心からの思いが本当にあるか。

誤魔化して手を抜こうとしていないか。

味見という確認を怠らない姿勢を常に持っているか。また、やり直しを厭わない誠実さを持っているか否か。

手間暇よりも、食べていただく人の心を思い、最善を尽くそうとする心があるか。

もっともっと、ちゃんとした料理が作れるようになりたいと思います。そして、その心を体現できる人間になりたいと思います。

本当に料理は奥が深いです。

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勇気・正直

2020年11月17日 | Weblog
わからないことをわからないと言い、できないことをできないというのも勇気であり正直さです。

それらしいことを言いつくろう習慣が、学校で子どもの頃に養われてしまっているのは、本当に無意味であり、残念なことだと思います。

それは、うそとごまかしの第一歩を身につけさせているということに他ならないからです。

文章も、下手でいいし、上手くなくて良いのに、なぜ、それらしく書いて誤魔化すことを身につけるのか。全く愚かなことだと思います。
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