Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教師という肩書き

2009年04月29日 | Weblog
教師には、どうやら二通りの生き方があるようである。

①「教師○○○○さん」という生き方。
②「△△△△さんという教師」という生き方。

この二者の違いは大きい。
前者は教師に重きが置かれており、
後者は個人に重きが置かれている。

①は、教師としての志を立てた一人の人間である。
24時間365日教師と言ってよい人物である。
常に教師としての意識を持っている。
だから、見るもの聞くもの全てが、
教師としての肥やしになっていく。
結果として、語る言葉にも教育的・人間的な厚みがどんどん増していく。

②は、△△△△さんという存在が、
自分の一部として教師をやっているに過ぎない。
仕事は仕事、プライベートはプライベートというタイプである。
旅行もすれば、音楽も聴くし、料理も楽しむし、本も読む。
多趣味で話題も多いが、経験したことが、
決して深いところでは結びついていかないので、
散漫な趣味の話のレベルにしか到達することはない。
結果として語る言葉にも深みが出てこない。

本当に教師としての在り方が、今、問われているのだと思います。


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肩書き

2009年04月29日 | Weblog

肩書きに守られて話をすることが学校では多い。
担任・主任・教頭・校長、etc…。
肩書きがあるから子どもたちは話を聞いてくれる。

教育が良くなると言うことは、
全ての肩書きを取り去ったとしても、
子どもたちが耳を傾けてくれるだけの力ある言葉を
一人一人の教師たちが持つことだと思う。

それは、自分自身が真剣に生きることでしか
身につけることができないものなのだと思う。

一人一人が本物になることを目指して、
掴み取っていく以外にはどうしようもないものだと思う。

今日の自分より明日の自分がより良い存在になる事を目指す、
謙虚でひたむきな生き方でなければ、
決して到達することのない境地があるのだと私は感じる。



人間の生き方には
どこかすさまじいものがなければいけません。
一点に凝集して、
それを達成しなければ、
死んでも死なないというほどの執念です。
人を教育するよりも、
まず自分自身が、
この二度とない人生をいかに生きるかに真剣で、
教育というのは、
いわばそのおこぼれに過ぎないのです。

            森信三先生の言葉




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立志

2009年04月24日 | Weblog
最近、カレーをよくいただいています。
日本にスパイスを根付かせた人たちのことを思うと
非常に感慨深いものがあります。

日本で初めてカレー粉を作った、
S&Bの創業者 山崎峯次郎氏は1903年に生まれます。

そして、1920年に
香辛料、香辛調味料の製造を志して埼玉から上京します。

1923年には日賀志屋を創業。

一日一日を賀び(よろこび)、
志を立てて商売に励むという生活信条をもって、
屋号を日賀志屋にしたそうです。

凄いと思うのは、
17歳で上京し、
20歳で起業しているということです。

また、社名の付け方にしても、
実に深いものがあります。

若者が志を高く掲げ、
行動を起こした時代の教育について、
私はもっともっと虚心に学びたいと思います。













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ミッション

2009年04月24日 | Weblog
四月は年度初めで、
教育に携わる者にとっては
慌ただしい日々が過ぎていきます。
私も落ち着いてブログでのメッセージを
発信できない数日が続いていました。

そんな中で、先日、
経営者の方から学ばせていただいた言葉が、
ふと思い出されました。

「会社はミッションと共に生まれ、
 ミッションのために存在し、
 ミッションと共に成長する。」

この「ミッションと共に成長する」ということは、
会社の成長にはミッションが大切であるということは勿論、
経営者のミッション自体も
起業した当初の「創業の志」を大切にしつつも、
日々新たに成長し続けて行かなければならない
ということを意味しているのだと思っています。

また、新しい自分との出会いを目指して頑張ります!




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大学

2009年04月19日 | Weblog
今日では「四書五経」という言葉さえ忘れられていますが、
その中の一つ「大学」をここ数年学び続けています。

「大学」という書物は、わずが1753字。
字種は394しかありません。

しかし、汲めども尽きせぬ、
深い人間の真理を書き記しています。

かつて「学問」は、いかにして立派な人間になるか、
ということがテーマでした。

今も教育基本法は、「人格の完成」を謳っていますから、
その目的は本来変わっていないはずです。

しかし、今のアプローチで本当に良いのでしょうか?
そのことを「大学」は深く考えさせてくれます。

今の教育実践と共に、
真剣に掘り下げていこうと思っているテーマです。



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いつもオープンで

2009年04月14日 | Weblog

私のオフィスには、色々な人たちが訪ねて来られます。
そして訪れてくださった全ての人を
同じように大切にしたいと思っています。
一期一会の出会いですから…。

しかし、忙しい時も勿論あります。
そこで不公平と思われることも生じるだろうと思います。
だから、とにかくオープンでいこうと思っています。

人はちょっとしたことで疑心暗鬼に陥ります。
ちょっと聞いたことに尾ひれをつけて話したがります。
誠に馬鹿馬鹿しい限りですが、それが世の常人の常だと思います。

そして、私もそうしたことに
時として巻き込まれてしまうこともあります(笑)。

だからこそ、オープンに、オープンに。

そこから先は、私の知るところではないと思います。

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」

それだけです。
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比較

2009年04月13日 | Weblog
今の教育界では「比較」することが、
良くないことのように言われることが多いようです。

「人と較べてはいけない」
「あらゆる苦しみは比較より生ず」

これもまた一つの真実です。

また、自信を喪失し、悩んでいる人には、
「あなたはあなたのままでいいのよ」
というメッセージが救いになることもあるでしょう。

しかし、
素晴らしい人に出会った時に、
その人と自分とを「比較」して、
「私はまだまだ駄目だなぁ」と思い、
発憤して自己を磨くこともまた
人間の成長にとって大切なことだと思います。

その意味において、
私は「比較」を忌避しない教育をしたいと思います。

そして、そのためには、
教える側のバランス感覚と、
人間教育に対する、
ぶれない信念が要求されるのだと思っています。





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少しずつ

2009年04月10日 | Weblog
今、少しずつ、少しずつ、
教育をより良いものにするための
アクションを起こしています。

多くの人たちと出会い、
その出会いから、
新たな芽生えがあれば、
これほど嬉しいことはありません。

イベントではなく、
地に足の着いた一歩を、
真心のこもった一歩を、
大切にしていきたいと思います。

いつかどこかでお会いできる日を、
楽しみにお待ちしています。
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ブログ

2009年04月09日 | Weblog

私が就職した頃には、
まだ、インターネットは普及していなかった。

こうして国境を越えて様々な分野の世界に、
簡単にアクセスしたり、
また、ブログを書いて、
発信したりする日が来るとは思っていなかった。

確かに時代は変わった。

その時代の中で、
どのような教育が必要とされるのか、
探求し続けて行こうと思う。




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命の大切さの教育

2009年04月08日 | Weblog

命を粗末にする若者が増えている。
そこで、「生命尊重の教育」をということが叫ばれている。

しかし、私は、「生命を尊重する感覚」を身につけるためには、
「生命を捨てる覚悟を持つ感覚」をこそ、
体感してもらう必要があるのではないかと思う。

一見矛盾しているようだが、
例えば私たちは、
落としても割れない大量生産したプラスチックの茶碗より、
陶芸家が心血を注いで創った二つと無い茶碗を大切に扱う。

それは、割れてしまえば修復は出来ないし、
同じものを二度と手に入れることができないということを
誰もが知悉しているからであろう。

一回性のかけがえのないものであるという自覚があるからこそ、
人はその器を大切にする。

今、大人は子どもたちを
大量生産のプラスチックの器のように見てはいないか。

いや、それよりも、
自分自身をそう見てはいないか。

大人自身が、一回きりの人生にどれだけ挑み、
人生の儚さという壁に果敢にぶつかったり、
希望を失わせる「虚無感」という大きな敵に、
正面から立ち向かおうとしているのだろうか。

人は命がけで何かをやろうとする中で、
はじめて、命の儚さに気付き、
同時に、命のかけがえのなさに気がついていくのではないか。

そして、その姿にかけがえのなさを感じたときに、
子どもたちは命の大切さということを
初めて実感できるのではないだろうか。

「今は命を大切にすることより、
酒でも遊びでも恋愛でも良い、
命がけで何かを実行してみることだ。
その時初めて命の尊さと、
この世のはかなさを実感することだろう」(白洲正子)

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