Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

まてよ

2021年09月30日 | Weblog

色々と憂えているのは、

自分が傲慢かつ不遜になったからではないかと、

立ち止まって自分を省みなくてはならないと思います。

以前思わなかったことを思うようになるのは、

自分の中に変化があったからです。

それがプラスの変化なのか、

マイナスの変化なのか、

よくよく考えてみる必要があると思いました。

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こんな日本に誰がした

2021年09月29日 | Weblog

相撲も、御皇室も、政治も、マスコミも、

すべてが劣化していることを感じます。

御皇室の劣化などと不敬過ぎて、

口にするのも憚られるのですが、

もう口に出さないわけにいかない状況が出てきています。

伝統文化を軽視し続け、定見無き日本、

公不在で私利私欲に走る個人主義の日本、

プリンシプルなき日本に向けてひた走ってきた、

当然の帰結のように思います。

しかし、私は評論家でいるわけにはいきません。

教育から変えていく。

私から、そして、私の周囲から変えていくために、

本気で学び続けます。

悲しさと、悔しさに、歯ぎしりしながら、

学び続けるしかありません。

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木を植える教育

2021年09月27日 | Weblog

かつて、公教育について考えていたとき、

公教育は、いわば、「ここに木を植えて良い。

しかし、特定の木を植えてはいけない。」

そう言っているようなものだと思っていました。

例えば、あまり特定の人物の考えを教えるのは

いかがなものかという意味です。

しかし、「木」という「木」はないのです。

それぞれが、「杉」であり「松」であり、

「梅」てあり「桜」なのです。

抽象概念である「木」を教える教育というのは、

結局、実態のない、空疎な概念を、

言葉遊びのようにして教えているだけに過ぎません。

それでは、時代の変革者たちの強烈な生き様や、

苦しい時代を乗り越えていく人間の崇高さなど、

伝わろうはずがありません。

右でも左でも中道でも、とにかく、

人の生き様を学ぶべきだというのが私の考えです。

立場を超えて、歴史という風雪に耐えて残っている

人の生き様には、

必ず学ぶべき事がたくさん含まれているからです。

 

 

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教育改革に思う

2021年09月27日 | Weblog

学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、

教育の本質に迫っていくことができていると

感じることもあります。

しかし、教育界の多くの人とは、

違う視点になってしまい、

言葉がかみ合わなくなっていくことも感じます。

若い頃は、そのことに、怒りを感じたり、

虚しさを感じたりしていました。

今は、笑って、さらなる前進をしていこう

と思えるようになりました。

私は私、他人は他人。

それは仕方が無いことなのです。

それでも教育をよりよいものにしていく努力は、

どこまでも続けていこうと思います。

 

 

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迷惑メール

2021年09月27日 | Weblog

馬鹿馬鹿しい詐欺メール、迷惑メールが、

たまに届くことがあります。

アホくさっ!と思って、即座に削除しますが、

ふと、これだけ送っているということは、

下手な鉄砲数うちゃ当たるで、

騙されてしまう人もいるのではないかと思いました。

哀しいことに、世の中には、

リテラシーが高くない人もいます。

リテラシーとは「物事を正確に理解し、活用できること」を表す語。リテラシーの語源は英語のliteracyからきており、本来は「読み書きができる能力や知識」を指す言葉である。(新時事用語辞典)

そうした人たちを守ってあげたいと思います。

しかし、私にできることは、教育を通して、

literacyの力を高めることぐらいしかありません。

人を騙そうとしたり、陥れようとする、悪人たちが

いなくならないのも世の中の現実です。

しかし、それを守ろうという意志を持つ人たちが

いなくならないのも世の中の現実です。

少しでも世の中に良き価値を遺していこうと思います。

 

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自然を畏れ敬う

2021年09月24日 | Weblog

川や海や山での事故が多発しているように感じます。

自分が溺れたり、遭難したりすることもあれば、

他人に大けがをさせたり、

命を奪ったりということもあります。

どちらも生物として危機を察知する力が

弱くなっているのではないかと思います。

自然の怖さや、大きな動力を持つ機械の怖さを

幼少期に安全に体感させていくことが

日々の生活の中から欠落しているのかもしれません。

だから、自分自身に降りかかる危険に対しても、

自分が他人に対して与えている危険に対しても、

鈍感になっているのではないでしょうか。

私たち人間も自然の一部です。

いかに科学技術が発達したからといって、

自然の力の前に人間は、

やはりごくごく小さな存在です。

そうした事実を私たちは、

見失ってはならないのだと思います。

それは、自然を畏れ敬う気持ちを忘れないことであり、

自然に対する作法を

受け継いでいくことなのだろうと思います。

 

 

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妥協せずに

2021年09月24日 | Weblog

今日のバッカーズ寺子屋の講座は、

経営者講話がメインでした。

やはり、世界の第一線で戦い、

実績を出している方のお話は、

非常に深くて面白く、示唆に富んでいます。

未来を担う子どもたちは、

社会で実際にやっている人の話を聞くことが

とても大切だと思います。

私は教育の徒ですから、

実はたいしてやっていません。

何も形あるものを作り出してはいないのです。

農作物を育てたり、エネルギーを生み出したり、

建造物をこの世に残しているわけでもありません。

木を育てたり、魚や肉をとっているわけでもありません。

教育は所詮は虚業に過ぎないのです。

だからこそ、真剣に、全力で、

伝える力を高めていこうと思いますし、

感化力を高めていきたいと思います。

そして、実業として

私の会社を発展させていこうと思います。

それしか私にはできないからです。

「人作り」などという言葉は、

私には恐れ多くて口にできません。

「人を作る」など、神の領域の所業でしかありません。

私ができることは、ただひたすらに、共に学ぶだけなのです。

大したこともできませんが、

妥協せず、自分に厳しく、道を求めて歩いて行きます。

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幸せ

2021年09月23日 | Weblog

何が幸せかということは、

人それぞれです。

色々な幸せの形があると思います。

同様に、

不幸せにも色々な不幸せがあるのだと思います。

結局、どう思うかは、

自分の心が決めているとしか

言いようがないのかもしれません。

私は、・・・。

栗御飯食べられて幸せだった。

中秋の名月を見られて幸せだった。

鳩サブレ食べられて幸せだった。

沢山の幸せに包まれていて幸せです。

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学び続ける

2021年09月22日 | Weblog

先人の書き遺した文章を読んでいると、

その大きさ、強さ、思いやりの深さに圧倒されます。

吉田松陰の『留魂録』

橋本左内の『啓発録』

西郷隆盛の『南州翁遺訓』

言葉の端々に、

その思考の深さと、

人間としての懐の深さ、

思いの真っ直ぐさ、

精神性の崇高さがにじみ出ています。

この歳になって、

やっとそのことに気がつけるようになりました。

そうしたことが若い時分に学べない日本。

先人のことを顧みなくなった日本の教育を、

少しでも変えていくことができたらと思います。

だから、とにかく学び続けていこうと思います。

 

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敵対しない

2021年09月20日 | Weblog

若い頃は、考え方の違いで、

何かと人と敵対することもありましたが、

今、できるだけそれは避けようと思っています。

逃げているわけではありません。

なぜなら、私の目的は、

日本の教育をより良いものにするということであり、

私を否定する人たちも、

当然、その日本の中に入っているからです。

対立しても何も変わらないだろうと思うのです。

本当に変えようと思うのなら、

二宮尊徳の「一円観」という所に

行き着かざるを得ないのだろうと思います。

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