Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

言葉が伝わるということ

2020年03月29日 | Weblog
教育界の先人たちの言葉は、本当に心の奥底に響くものが多いと思います。人間の心の機微を知り、教育の真髄を突いています。

しかし、その素晴らしさは、自分自身が苦労して教育実践をしたその先に初めて見えてくるものなのかもしれません。

どんなに素晴らしい言葉であったとしても、また、人物であったとしても、実践であったとしても、受け取る側の眼が曇っていれば、その価値は永遠に分からないままになってしまうのです。

だから、森信三先生の言葉も実践も、東井義雄先生の言葉も実践も、結局、見てくれる人はあまりいなかったのかもしれません。教師の中でも、この二人のお名前すら知らない人は多いものです。私も若い頃は知りませんでした。

そこに今日の、我が国の教育の大きな病根があるように感じられるのです。



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人生二度なし

2020年03月29日 | Weblog
新型コロナ禍の中で、「私たち人間が生きることの意味」について改めて考えさせられます。何のために私たちは、また、私は、生きる必要があるのだろうかということです。

例えば、環境問題を考えてみると、今回の新型コロナウイルスのために、人間の活動が極度にできなくなったことで、「空気がきれいになった」「川がきれいになった」という報道が世界各地から届くようになりました。要するに、人間の存在と経済活動が、自然環境を破壊しているということが明らかになったわけです。そうすると、今回のコロナウイルス禍は、自然からのしっぺ返しではないのかと思うのも、あながち間違いではないのかもしれません。そもそも「禍」というのも、人間から見ての話であって、ウイルスや他の生物から見れば、「禍」でも何でもないにちがいありません。

あるいは、人間を神に近い存在としてとらえたこと自体が不遜であったのかもしれません。やはり、全ての生物は平等な存在であり、増えすぎた生物は、自然の摂理によって、どこかで淘汰され、ある程度は死滅する運命なのかもしれません。

しかし、肉親や友人・知人を失う悲しみは、人間の証でもあります。前述のような考えは考えとして、やはり、二度とない人生を如何に人間らしく生きるか。そこに改めて全力を尽くしていくしかないと思います。

医療関係者や各界のリーダーたちの並々ならぬご尽力には、神の如き尊さを感じるのもまた事実です。人として生まれた以上、高貴なる精神を失わぬように生き、そして、死んでいきたいと思います。


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今は、・・・。

2020年03月27日 | Weblog
「国立国際医療研究センターの大曲貴夫(のりお)国際感染症センター長に対して、記者から新型コロナウイルス感染症という病気の怖さについて質問が出た。

新型コロナウイルスの感染者は多くの場合、軽症であったり無症状であったりすることが伝えられている。大曲氏も世界保健機関(WHO)のデータを踏まえ、こう切り出した。

「この病気の怖さは、8割の人は本当に(症状が)軽い。歩けて、動けて、仕事にもおそらく行けてしまう」

しかし、と大曲氏は続ける。

「残りの2割の人は確実に入院が必要で、全体の5%の人は集中治療室に入らないと助けられない」

重症化する患者が2割、重篤化する患者が5%いると強調した。

実際に患者を診察している医師である大曲氏は、さらに怖いのは、悪化する際のスピードの早さだと指摘する。

「悪くなる時のスピードがものすごく早い。本当に1日以内で、数時間で、それまで話せていたのに、どんどん酸素が足りなくなって、酸素をあげても駄目になって、人工呼吸器を付けないと助けられない状況になる。それでも人工心肺を付けないと間に合わない、そういうことが目の前で一気に起こる。ものすごく怖い」

 それまで会話ができるような状態だったのに、数時間で容態が急変する。そういった状況は、特に持病がある患者に起こるという。

 そして「かかっちゃいけない。強く思う」と訴えた。」


THE PAGAの記事からです。
バッカーズ寺子屋・バッカーズ九州寺子屋の講座再開の日が待たれますが、とにかく今は、命を守ることが大切です。忍耐を持って、今できることをしっかりやっていきたいと思います。
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stay at home

2020年03月24日 | Weblog

https://www.youtube.com/watch?v=8pFSIEtZNuM
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志と報恩

2020年03月24日 | Weblog
志を持つなど、そんな大それた事は、いらないという人もいます。私はそうは思いません。しかし、そうした生き方・考え方もまた否定はしません。

私たちがなぜ今日の豊かさを享受しているかと言えば、やはり、志ある先人たちの生き方が生み出して下さった、様々な恩恵と共にあるのだと思います。経済、政治、医療、教育、農業、工業、どの分野を取ってみても、歴史を紐解いて学んでみれば、それは明らかなことです。自分が働いている会社にしても創業者や、創業メンバーの志があり、苦労があったのです。
しかし、そうしたことを知らぬまま人生を過ごしていけば、先人の生み出してくれた恩恵に気づくこともできず、気づかなければ、感謝の心もわいてくるはずがありません。
そのことに気がつけば、浅学非才の自分には手が届かないにせよ、いただいた恩恵の何万分の一でもお返しし、何万分の一かでも、先人たちと同じように次の世代に手渡してみたいと思えてくるのだと思います。

いやいや名も無き人たちも頑張ったんだという言い方もあります。これもまたその通りで、私は反論というふうにはとらえていません。なぜなら、志の実現のためには、多くの人たちの力が必要だからです。研究で業績を遺した人も、霞を食って生きるわけにはいきませんし、子どもができれば子育てもしなくてはなりません。一人の人間が生きていくためには、色々な物がそこには必要です。そして、それらを生み出すには、様々な人の働きがなくてはなりません。

「一将功成りて万骨枯る」という言葉の通り、歴史に名をとどめる先人たちは限られています。しかし、戦争の話はここでは横に置いて、実業で考えると、リーダーの夢や志を共に追い続けた人生は、充実感のあるものであったろうと思います。なぜなら、多くの人々が幸せになるように、社会がより豊かで良きものになるように努力をし、仕事にやり甲斐も感じつつ、多くの人から感謝される人生になったであろうからです。
また、志は立てさせられるものではありません。自ら考え、自ら確立していくものです。「やらされる」と言うこととは対極にあるものです。酔生夢死の人生から逃れ、主体的に二度とない人生を力強く生きていくための杖でもあるのです。

志を立てるということは、先人への深い感謝を持ち、未来の子どもたちへの贈り物をすることでもあります。自分さえ良ければそれで良いという考え方からは、決して生まれてこないものです。だから、「公」を忘れ、「私」-自分のこと-しか考えて生きてこなかった大人にとっては辛い言葉だろうと私は思います。
しかし、それは、先人の生き様を知り、未来の子どもたちが生きる社会を良きものにしたいという願いを持てば、少しずつであっても必ず見えてくるようになります。かつての私も志など無かった人間でしたから、そうした心の動きはよく分かります。

シンプルに言えば「報恩」の二文字の奥深さに、心から気がついた時に、志を立てることの大切さが見えてくるのかもしれません。



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23日。やはり、当面は厳しい。

2020年03月24日 | Weblog
23日、小池都知事は、全国から人が集まる東京で“首都感染”が広がれば、さらに全国へと波及するおそれがあると危機感をあらわにしました。「この3週間、オーバーシュート(感染者の爆発的増加)が発生するか否かの大変重要な分かれ目・分かれ道」

また、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は23日、新型コロナウイルス感染症について「パンデミック(世界的大流行)が加速している」と述べ、改めて危機感を示しました。

ということで、やはり当面、様々な活動は休止の判断をせざるを得ないと思います。ウイルスという見えない敵に対して、日々、状況判断を迫られますが、日々の情報収集の大切さを痛感しています。

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再始動

2020年03月22日 | Weblog
今日は久しぶりに、バッカーズ九州寺子屋の講義再開でした。

当たり前に、一日の講座を作れることは幸せなことだと痛感しました。そして、一日の価値の大きさも感じましたし、塾生の皆さんの成長もすごく感じた一日でした。

7月入塾の6月卒塾ですから、あと三ヶ月しか残された時間はありません。悔いの残らないように全力で向き合っていこうと思います。

9:00~16:00までの講座を久しぶりにやって、かなりエネルギーを使っているのだと実感しました。塾生の皆さんも、久しぶりにアウトプットを前提にした「聴く」ということを、ものすごい集中力でやって、疲れているかもしれません。

私自身は、「ん?これは歳のせいか?」と思いましたが、思い返してみると、15年前に講座をスタートしてから数年間も、今日と同じように、一日の後に、どっと疲れが出ていたのを思い出しました。要は、間隔が空いてしまったので、体がなまっていたのです。

いよいよ、日常が戻ってきます。(たぶん。)東京と行き来する慌ただしい日々の再開です。このまま、何事もなく再開して行けたら良いのですが、まだまだ新型コロナウイルスの流行は、予断を許さない状況です。細心の注意を払って取り組んでいこうと思います。
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下村湖人の言葉に思う

2020年03月18日 | Weblog
「子供は大人のまねをする。このことを大人が忘れさえしなければ、子供の教育はさほど困難なことではない。しかるに、世の大人たちは、ご苦労にも、子供たちに自分のまねをさせまいとして、いつも苦労し、それを教育だと思いちがいしているかのようである。」(『心窓去来 補遺』下村湖人)

新型コロナウイルスが流行って、私たちが目にしたものは、一面では、日本人の衛生意識の高さであった。しかし、一面においては、地下鉄内で咳を巡って言い争う姿であったり、外出禁止の感染者がわざわざ飲食店で伝染させようとする姿であったり、マスクやアルコール消毒液を法外な高額で転売して金儲けしようとする姿であったり、トイレットペーパーやティッシュペーパーや消毒液を我先に買い占める大人たちの姿でもあった。あるいはまた、お一人様一個限りというのを、何とか誤魔化す努力をする大人たちの姿であった。

人の行動に影響を与えうる教育とは何か、また、一から探求しなければなりません。人が誇りを持ち、節度を持って行動できるような社会を作る教育とは何かを考えなければなりません。これまでの道徳をはじめとする教育が、本当に力を持ちえているのかを検証しなければなりません。

大人たちがいったい何を教育できるのかを考えなければなりません。

私に出来ることは、まずは、私がそうしないということと、私の声の届く範囲の子どもたちがそうしないようにすることぐらいが、精一杯かもしれません。
しかし、それではやはり大人として責任を果たしたとは言い難いのだろうと思います。
分かってはいますが、他人の意識を変える困難を思います。
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北里柴三郎

2020年03月16日 | Weblog
森信三先生は、人生の中で三度、伝記を読むべき時期があるという趣旨の言葉を残されています。

最近、私は、北里柴三郎という人物と初めて深く出会っています。伝記は読みましたし、小国の北里柴三郎記念館にも行ってきました。

今、『闘う医魂』という北里柴三郎の人生を描いた小説を読んで、心が打ち震えるような思いになりました。少しだけ読もうと思ってページを開いたら、最後まで一気に読んでしまいました。

人の生き方に学ぶというのは本当に大切なことです。自分自身の信念を鍛えてくれます。この年で、また、新たに歩み始める力が湧き上がってきました。

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2020年03月13日 | Weblog
「志」という言葉を聞いて、「いやそんな大それた事を考えるのは無理。」という人は多いものです。「それよりも、日々のささやかな幸せを感じることが大切だと思う。」という声も耳にします。

私はこの2つがなぜ対立するものとしてとらえられなければならないのかがよく分かりません。
否、正確に言うと分かっています。志がある人には理解でき、志がまだ見つかっていない人には理解できないと言うだけの話なのです。
人生の目的が見えてきた時に、それはいつの間にか氷解していく誤解ですから、それで良いのです。私はただ志の大切さを伝え続け、甘んじて誤解をされ続けるだけです。

しかし、それで良いのです。なぜなら、私の目的は、相手を論破することでも、その時に納得させることでもないからです。いつか、人生の志を立て、幸せに生き、世の中のために貢献できるようになってくれたらそれで良いというだけの話ですし、そうならなくてもそれはそれで良き人生だと自分が思えれば、それもまた善しと思うからです。

多くの先人たちもまたそうであったように、気づくためには時が必要なのです。そして、ある程度、組織や社会を背負うところに自分が立てば、その時に初めて、志ある人生を生きた人たちが無数に存在していたことに気づくのだと思います。

また、いかに自分が、そうした志ある人生を生きた先人たちの恩恵に浴しているのかに気づくのだと思います。

志の背景には、先人たちへの感謝と、未来の子どもたちへの祈りがあるのです。
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