Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育フォーラム

2015年02月28日 | Weblog
2月21日に開催された、
バッカーズ九州寺子屋教育フォーラムの盛り上がりは、
本当に素晴らしかったです。

いまだ、良き余韻が伝わってきています。
感謝、激励のお葉書やメールもいただきました。

主催して下さった保護者の皆様に、
心から感謝致します。

ご登壇頂いた皆様にも、

そして、何より、

足を運んで下さったお一人お一人にも、

心からの感謝を申し上げます。

保護者の方、お一人お一人が、
お知り合いに声をかけて下さってお集まり頂いた
200人の会は、本当に、価値のあるものだったと思います。

講演・パネルディスカッションの後の、
交流会の熱気が、
それを物語っていました。

手作りの会であったことが、
ここまでのエネルギーを生み出したのだと思います。

一年にたった20人しか教育することのない、
ささやかな取り組みではありますが、

本気の取り組みは、
いずれ時と共に大きな力となり得ることを
実感させて頂きました。

本当にありがとうございました。

数や知名度にこだわらず、
真心を込めたささやかな取り組みに、
私はこれからも全力を尽くしていきます。

そこにこそ、
日本の教育を変える力は宿るのだと信じます。




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雑用

2015年02月26日 | Weblog
雑用を嫌がる人に成長はありません。
いや、そもそも雑用などとという用はないのです。

一見、どうでもよさそうな、
細々とした仕事の中に、
様々なヒントが眠っています。

それに気づけないような人間には
大した仕事などできはしないのです。

頼まれた雑用と思われる仕事を、
喜々として、心を込めてやるところに
人生の修行があるのです。

与えられた下座行の機会に、
どのように向き合うのか。

その姿を人は見ていないようで、
見ているものなのです。

私もそうした下座行を一つ一つ経験してきました。

若い人たちにも、
そうした修行をしてもらいたいと思います。

それが、本当に人間を鍛えてくれるからです。


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知名度

2015年02月25日 | Weblog
若い頃は、自分の知名度を上げることも、
教育をより良いものにしていく上で
大切だと思っていました。

メディアの力で、
影響力を増せば、
政治や行政が動き、
教育を改革できると思っていたのです。

しかし、それは間違っていました。

今、私が思っていることは、
今日、出会った人に、
全力で話ができたら、
それだけでいいということです。

本当に一人の人に影響を与えていくことこそが、
教育であり、教育改革だと、心から思うからです。

そのためには、
自分を磨き、
自分の言葉を磨き抜くしかない。

私はそのことをやり続けるだけで満足です。
それが本質だとわかったからです。

迷うことなく、私は私の道を、
真っ直ぐに歩き続けます。

そして、日々の出会いに、
心から感謝しています。






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黙々と

2015年02月18日 | Weblog
やはり、
黙々と教育実践を重ねていくことが大切だと
痛感しています。

一人の子どもと向き合い、
共に成長していくことが、
私にとって、最高の価値です。

世の中の多くの人たちと接してきて思うことは、
大きな責任を背負って戦っている人たちは、
人の批判などを口にせずに、
黙々とやるべきことをやっているということです。

また「陰徳を積む」ということを
徹底して実践されています。

そうした人たちの生き方が見えなかった若い頃の私は、
実に浅はかだったと思います。

自分の尺度では測りきれなかったのです。

私の物差しでは測りきれない多くの人たちが、
世界中には沢山いらっしゃるのです。

私も私にできることを黙々とやっていこうと思います。

結局、最後は、

その人の歩いた後に、
どれだけ多くの花が咲き、
どれだけ多くの実りがあったのか
それが全てなのだと思います。











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学び続ける

2015年02月18日 | Weblog
私のミッションは、

教育実践を通じて、
日本の社会をひいては世界を
より良きものにすることです。

だから、
大切なことは、
学び続けること。

そして、その上で、
学びの場で真剣に一人ひとりと向き合うこと。

それ以外のことは二の次で良い。
そう思っています。
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哀しい事件

2015年02月15日 | Weblog
毎日のように、
殺人事件が起きています。

殺される側は勿論のこと、
殺す側にも哀しみを感じます。

生まれ落ちたときからの悪人はいません。

それが、子どもの頃の日々の過ごし方で、
天と地ほどの開きが出来ていくのです。

人として生まれながら、
人としての教育を受けられなかった。

暖かい愛情を注いでくれる人たちに出会えなかった。
暖かい愛情に気づかなかった。
暖かい愛情に背を向けようと思った。

殺される側も、殺す側も、
何と哀しいものかと思います。

もしも、自分の子どもがそうだったら・・・、
という想像力の欠如が、
人々の無関心を生み出しているのではないでしょうか。

教育は、政治でも、金儲けの手段でもありません。

人が人として幸せに生きていくための、
命綱を育んで行くことなのです。

かく言う私にも、
できることはあまりありません。

しかし、
出会った人たち一人ひとりに、
心を込めて大切なことを伝え続けていこうと思います。

哀しいことに、
私にはそれだけしかできないのです。







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悪しき思いを持たない

2015年02月14日 | Weblog
悪しき思いを持たないことの大切さを思います。

人に嫌なことを言われる。
人に嫌なことをされる。

そういう人に対して悪しき思いを持つのは
当然のことだと私たちは思い込んでしまいます。

しかし、それでも悪しき思いを持たないよう努めることが、
人として美しいことではないかと思います。

そうされる原因は自らの内にありはしないか?
そうする相手にも何か思いがあるのではないか?
色々な見方をする必要があると思います。

対処することは必要です。
しかし、悪しき思いを持たずに対処していく。

相手と自分の幸せを祈り、
平穏な心で対処していく。

少しずつですが、
そうした心になれるように、
自分を磨いていきたいと思います。
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春と秋

2015年02月10日 | Weblog
いつも冬は終わらないような気がします。
寒い日がずっと続きそうな気がするのです。

いつも夏は終わらないような気がします。
暑い日がずっと続きそうな気がするのです。

私の好きな春と秋は、
一瞬で過ぎて行ってしまいます。

桜の花はあっという間に散り行き、
紅葉した葉もあっという間に散り行きます。


しかし、きっとそうではありません。

冬の内に春はあり、
夏の内に秋はあるのです。

春の内に夏はあり、
秋の内に冬はあるのです。

変化の兆しを捉え見つめる心を
私が磨いていかなければならないのです。




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不義理

2015年02月09日 | Weblog
私の仕事は、
講演・研修ですから、
誰かに替わってもらうことができません。

私のこだわりと使命がそこにあるからです。

その日、その時間に、
出会うべき人と、
出会いに行くのが、
私の絶対的使命なのです。

そこで問題が発生します。

冠婚葬祭に、
ほとんど行けなくなっているということです。

政治家なら、義理を欠いてはいけないでしょう。
経営者でも、そこに足を運ぶことが、
重要な意味を持つことが多いでしょう。

しかし、
私は、私の言葉で、
私の思いを届けることが使命です。

一期一会の出会いに、
魂を込めるしかないのです。

だから、
「休む」という選択肢はどこにもありません。

いつも心の中でただ一人、、
黙って幸せを祈るしかないし、
黙ってご冥福を祈るしかないのです。

申し訳ないといつも思います。
本当にごめんなさい。

しかし、
今日の出会いに全力を尽くしていくことを、
天は応援してくださっているのだろうと私は思います。

死而後已む。

もっと強靱でありたいと思います。


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深み

2015年02月04日 | Weblog
人間が深みを増すと言うことは、

いくつもの、
哀しみや、苦しみ、寂しさ、辛さという海に
飲み込まれて、飲み込まれて、

それでもなお、
明日への希望と、
人への優しさを失わずに、

その海を泳ぎ切っていく中で、
初めて身につけられるもののように思います。

その深みとは、
言葉であり、
表情であり、

そして、何より
ちょっとしたしぐさや
立ち居振る舞いに表れるもののように思います。





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