Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

感謝

2014年12月31日 | Weblog

無数のつっかい棒で支えられている生命

時間の上を歩いている生命

自分に会い度い吾等

顧り見ればあらゆるものから

歓待を受けている吾等

この世へお客様に招かれて来ている吾等

見つくせない程のもの

食べ切れない御馳走

このままが往生でなかったら

寂光浄土なんか何処にあるだろう


        河井寛次郎「饗応不尽」より
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2014年の終わりに

2014年12月31日 | Weblog
2014年が終わります。

良い1年でした。
走り続けた感のある1年でした。

来年は、更に加速します。

今まで以上に、
教育実践を通して、
社会に貢献できるよう、
全力で教育事業に取り組みます。

みなさまも、よいお年をお迎え下さい。

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だし

2014年12月29日 | Weblog
きちんとした出汁の大切さを伝えるだけで、
子どもの教育は半ば成功したと言えるのではないかと思います。

出汁と添加物を使わぬきちんとした調味料さえあれば、
野菜や肉を美味しくいただくことができます。

その味に慣れていれば、
化学合成された調味料の味に
違和感を感じることが出来ます。

そうすれば、
一人暮らしをしていても、
子どもが生まれても、
きちんとした食をいただくことができます。

それは肉体を健康にし、
精神を安定させ、
人間の本性を正しく開花させてくれます。

人間も自然の一部なのです。
自然な食こそが、
人間を人間らしく成長させてくれるものです。

そのことに真剣に向き合うべきだと思います。

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一声

2014年12月29日 | Weblog
日本画家の伊藤小坡に「一声」という作品がある。

和服の女性が、
外に意識を向けている姿が描かれている。

画面左上には青々としたもみじが、
画面右には、すだれが涼しげに描かれている。

初夏の候である。

女性が手にしているのは、
『古今和歌集 第三巻』

古今和歌集第三巻というのは、
全部で34首の歌が収録されているが、
そのうち28首がホトトギスにちなんだ歌である。

だから、その女性が外に意識を向けているのは、
ホトトギスの一声を聴いたからにほかならない。

時鳥の一声に、
はっと意識を奪われ、
次の一声を待つ意識が、
その瞬間が、
実に美しく優雅で繊細に描かれている。

瞬間をとらえ、瞬間を描き切り、
瞬間を永遠に転じることが絵画には可能だ。

そこに日本人の感性が宿っている。

西洋美術の鑑賞に、
キリスト教の知識が必要であるのと同様に、

日本画の鑑賞にも、
日本文化の素養が必要なのである。

私は深い教養ある人間になりたい。

それが経済的には貧しくとも
人生を豊かにすると思うからだ。



来年の秋には、
「北大路魯山人の美 和食の天才展」が
足立美術館で開催されます。

大人向けツアーを作ります。
ご期待下さい。
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言葉

2014年12月28日 | Weblog
言葉を発するときに心すべきことは、
その言葉が、如何なる心根から
発せられているのかということだ。

思いつきであっても、
心の動きは垣間見えるもので、
存外、他人のことを配慮できぬ発言が多いものである。

他人への悪意を持つ攻撃的な言葉、
誹謗中傷の類いの言葉、
他者を貶めて自分を高めんが為の言葉、
自分の自慢を密かにせんが為の言葉、
自分を少しでも良く見せ売り込まんが為の言葉、
お為ごかしの言葉・・・。

それらの言葉の不快なるが所以は、
発する人間の精神が、
利他の心なく美しからざるものだからである。

相手の向上を心から願い諌言すること。

怒りや、憎しみや、弱さや、狡さからではなく、
素直に相手への思いやりから言葉を紡ぎ出すこと。

それが何より大切だというところまでは解った。

しかし、それを実践して行くには、
まだまだ、時間がかかりそうである。



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素心臘梅

2014年12月28日 | Weblog
今年も我が家の素心臘梅が、
香気を放っています。

会社の玄関にも一枝手折ってきて活けていますが、
会社中に香気を放ってくれています。

木や花は、
カレンダーも見ていないのに、
時計も持っていないのに、
必ず季節を忘れず咲いてくれます。

本当に不思議に思います。
そして、神秘を感じます。

私たちの人生も、
その四季の循環の中に存在しています。

あと何回の臘梅の香りを楽しめるでしょうか。
あと何回桜の花を見ることができるでしょうか。

どれだけ後の世のために、
何かを残していけるでしょうか。

1日1日を大切にしなくてはということを、
自然は学ばせてくれます。



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自らを省みる

2014年12月25日 | Weblog
人間、うまくいっていないときには、
自分に至らざるところがあるからだと思います。

他人のことはいざ知らず、
私はそう感じています。

自分の価値判断が正しくないと、
やはり人生はうまくいかないものなのです。

世の中は実に公平です。

裏を返せば、
自分がうまくいっていないときには、
自分の価値判断のどこかに歪みがあるのです。

断じて、
人が間違っているわけでもなく、
世の中が間違っているわけでもないのです。

いや、間違っていたとしても、
それも織り込み済みで、
自分がどうするかを考えていかなければならないものなのです。

自分が正しいと思う、
その思い込みから抜け出せるかどうかが、
事の成否を決めてくれるのだと私は思います。











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誠実

2014年12月24日 | Weblog
ここまで生きてきて、
「誠実」ということが
いかに大切であるかを実感してきました。

誠実・正直・勤勉といった、
言い古された徳目がやはり大切なのです。

立派な人間は立派な仕事をし、
下らない人間は下らない仕事をするという
言葉の通りに、

私たちは、自分の人間性を磨くことで、
より良く、より幸せに生きることができるのです。

要領よく生きている人間など、
誠実に生きている人間の前では、
霞んで見えてしまうものなのです。

ただ、難しいのは、
何をもって誠実ととらえるかということです。

誠実さとは何か?

それは、誠実に学ぶことによってのみ、
見えてくるものだと私は思います。

そして、誠実に学ぶとは、
私利私欲のための学びではなく、
大きなもののために学ぶことを言うのだと思います。

次の世代のために、
より良き価値を遺してこの世を去って行こうと思う、
死生観が大切なのであり、
つまりは、
人生の志が大切なのだと思います。




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他人に向ける言葉

2014年12月22日 | Weblog
自分に向けるのは良いが、
他人に向けて発してはいけない言葉があります。

例えば、
「一日24時間、一年365日、死ぬまで働け」
というメッセージです。

私自身は、
「一日24時間、一年365日、死ぬまで働こう」
と思っています。

しかし、私の会社のスタッフに対しても、
それを求めるつもりはありません。

他人に対してこの言葉を発した瞬間に、
仕事の意味も、死の意味も、生の意味も、
全ては違うものになってしまうからです。

他人に向けられた自身の価値観=その人の人間性
が、あからさまになってしまうと言った方がよいのかもしれません。

また、「私ができたのだから、君たちにもできる」という考えは、
能力を基準として考えたときには成り立つであろうと思います。

しかし、「天命」を考えたときにどうかと私は思います。

どんなに能力があったところで、
人は、二度とない自分の人生を、
自分の志と共に生きる存在だと思います。

その人には、その人の、大きな「天命」があり、
私にも、私の大きな「天命」があるのです。

その天命は、個々人にとっての唯一無二のもので有り、
また、そうであるがゆえに、畏れ慎むべきものだと思います。

従って、
自分への「天命」を深く理解すればするほど、
他人に対して「一日24時間、一年365日、死ぬまで働け」とは、
軽々に言えなくなるものだと私は思います。
自分への天命と、他人への天命は違うからです。

そして、それが天の意志だと思います。

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信じること

2014年12月20日 | Weblog
「人は必ず成長する」

そう信じることが、
人の成長のお役に立てるかどうかを左右します。

「相手の成長を心から願う」ということ。
「この人は必ず成長する」と信じること。

この二つのことができたら、
人は必ず成長していくと思います。

しかし、
その二つのことを、
心から思い信じるということは、
実に困難なことです。

相手への否定的感情を克服していくことが、
教育力を高めることなのだと思います。

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