Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

聴くこと

2022年01月27日 | Weblog

「話すこと」には相手がいて、反応をしてくれます。

「書くこと」には読んでくれる人がいて、反応をしてくれます。また、自分が書いたものを読み返し、自分の中で反芻することもできます。

「読むこと」は、基本的には自分一人に委ねられたものですが、本などであれば、後で、何度も読み返すことができます。

しかし、「聴くこと」だけは、自分一人に委ねられたものであり、どれぐらいの精度で聴いているかは、自分だけにしかわからないものです。また、人の話の場合、それは一回性のものであり、聴くことも、当然1回だけのチャンスということになります。

だから恐いのです。

話しているふりも、読んでいるふりも(音読の場合)、書いているふりも基本的にはできません。音声であれ、文字であれ、相手に伝わる形になるものがあるからです。

しかし、聴くことにはそれがありませんから、いくらでも誤魔化しが効くのです。聞いているふりをしたり、聞き流したり、いくらでもできます。

だから話の聴き方には大きな差が付くのです。

そこで問われるのが、自分の向上心や自制心です。

それによって、話の聴き方はいくらでも変わります。

「聴く」ことは、自分と向き合い、自分を高めていくことですから、自分自身の人生観や人間観がそこで問われているのです。

たかが「聴く」ことの中にも、その人の人生観や生き方、考え方が常に反映されているのです。

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コピーをとる

2022年01月26日 | Weblog

子どもたちに資料を作る際、何かをコピーするのにも、私はかなり細かく神経を使っています。美しく仕上がっているかは、たかがコピー一枚と言え、私にとっては大切なことなのです。

なぜなら、一枚のコピーも、それを読む人の無意識に必ず何かを働きかけているからです。そう思うと与太はできなくなります。黒い箇所がないか、黒い線が残っていないか、丁寧に、スピーディーに確認しながら、原紙を作る作業を進めていきます。

絵の余白に汚れがあれば、作品としての価値を損なわれるのと同じように、コピーした資料の汚れもまた心理的なマイナスの影響を生み出します。

レストランに行けば、グラスの汚れも、カトラリーの曇りも気になるものです。プロ意識の高い店であれば、それらは当然、ピカピカに磨いてあります。

教員にとっての資料のコピーもそれと同じです。汚いコピーは、教育者としてのプロ意識が欠けている証明だと私は思っています。

レストランではグラスが曇っているぐらいは、まぁ仕方ないかと心の底に飲み込んでしまうことも多いものですが、食事中、いつも心のノイズとして影響を与え続けていると私は思います。

それはサービスを提供する者のプロ意識の低さだと思います。

レストランで、プロが美しいグラスを提供するように、私は教育のプロとして、教育の場において使う資料を、美しく提供したいのです。

また、私がいつも自問自答しているのは、「このコピーを、尊敬する経営者の○○さんに、私は手渡すだろうか。」ということです。その答えがNOなら、それは子どもに対しても、してはいけないことなのです。

「子どもだから、これぐらい良いだろう」という、子どもに敬意を払わない、馬鹿にしたような姿勢では、ろくな教育ができるはずがありません。

そもそも相手によって態度を変えるような人間であることが、教育者として美しくありませんし、本来のお客様は私にとっては子どもたちなのです。世間的な肩書きで態度を変えるようなら、それは本末転倒としか言い様がありません。

コピーのことは、今まで誰にも言わずに黙々と一人でやってきたことですが、後継者育成を考えれば、こうしたことこそ伝えていくべきことなのかもしれません。

それは、多くの教育者たちはやらないと思いますし、時間の無駄だとしか思われないと思います。また、嘲笑されるようなことでしかないとも思います。

しかし、私は私のやり方を貫きます。

 

松下幸之助さんの秘書を長く務められた江口克彦さんは、次のようなことをお書きになっています。私のような大したことのない人間が、共感しましたというのもおこがましいのですが、紹介させていただきます。

松下幸之助は座布団の置き方にもこだわった | 松下幸之助はなぜ成功したのか | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

座布団の並べ方にもこだわる

きれいに並べてあると思った。私にとっては最初にお迎えすることになるお客さまであったから、緊張もし、精いっぱい気をつかってもいた。これで準備が整ったと思い、ホッとした途端に松下が、

「きみ、座布団の並べ方がゆがんどる」と言う。

えっ、と思いながら改めて見直してみたが、私が見るかぎり整然と並べられている。どこが曲がっているのかわからないままに松下を見ると、ちょうど私たちが小学生のころ教室で机を並べたとき、いちばん前の机に合わせて何番目が出ているとか言いあいながら並べたように、真剣に座布団を見つめていた。たかが座布団、そこまでしなくともいいのではないかと思いつつ、言われるままに並べ直していると、

「その座布団は裏返しになっている。それに前と後ろが反対や」

私は座布団の表裏とか、前後ろという知識は持ち合わせていなかった。どちらが表で、どちらが前なのか。一瞬ひるんでいる私に、松下は足もとの座布団を一枚取り上げ、

「ええか、きみ。ここは縫い目がないやろ。これが前や。それから後ろ側の縫い目を見ると、一方が上にかぶさっている。こちらが表というわけや」

そのときに、座布団の前に置かれた灰皿を畳の目数にあわせてまっすぐ並べるようにという指示も受けた。このような「小さな注意」を、私はそれから幾たびも経験することになった。

 

 

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メルマガ

2022年01月26日 | Weblog

2022年第一号のメルマガを書いています。

エクスプレッションアカデミー福岡・熊本、Zoomセミナー(2ターム)、キャリアオーナーシップセミナー(ワンデイ×2日)、など、一挙公開しようと奮闘していて、なかなか完成していません。

セミナーの内容は見出しだけという感じですが、順次、詳細を詰め次第、ホームページにアップしていきます。

とにかく、メルマガは明後日、27日の配信に向けて頑張ります。

毎月、きちんとお送りできるようになって、今回が49号になります。

これもまた地道な活動ですが、やり続けていこうと思います。読んでいただけると嬉しく思います。

お届けできていない方は、Vision&Education,Ltd.のホームページより、配信希望していただけたら幸いに存じます。

 

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身を捨ててこそ 2

2022年01月23日 | Weblog

今年は、十干十二支(じっかんじゅうにし)では、「壬寅(みずのえとら)」の年です。壬寅(みずのえとら)には、「陽気を孕み、春の胎動を助ける」という意味がありますから、コロナウィルスパンデミックという厳しい冬の時代を乗り越えて、生命力に溢れる春の芽吹きを生み出し、活力あふれる教育事業を世に生み出していきたいと思います。

また、2022年は「五黄の寅年」で、十二支と九星術の組み合わせの中でも最も運気が強いとされる年です。実は私は壬寅生まれです。壬寅らしく、また、五黄の寅年らしく、激しく一年を過ごしていきたいと思います。

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」

私ももう還暦です。失うことを恐れずに、前を向いて全力でより良い教育事業を生み出していこうと思います。

 

 

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走り続ける理由

2022年01月21日 | Weblog

若い頃、色々なことに悩んでいました。

人は何故、生まれてくるのか。

人間とは何か。

日本とは何か。

日本人とは何か。

人間にとっての幸せとは何か。

人として正しい生き方とは。

今も、そうしたことに悩みながら、答えを見いだそうとする姿勢に変わりはありません。

勿論、答えは見いだすことができないままではありますが、学び続けようという確固たる気持ちがあり、そこに迷いはありません。

それは、そうした日本の根本を見ていかなければ、日本人に対する教育は、浮ついたものにしかならないと思うからです。

自然、文化、歴史、文学、あらゆる時間的連続性と地理的な繋がりによって織りなされた総体の上に、その国の国柄が生まれ、それを受け継がんとするために、その国の教育が生まれるのだと思います。

ペーパーテストの成績を上げることだけが教育ではないのです。

今、そのことがようやく見えてきました。だから走り続けます。

 

 

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『成し遂げる力』

2022年01月20日 | Weblog

日本電産の創業者、永守重信氏の著書、『成しとげる力』を読みました。

とても共感すること大で、私の教育改革への使命感に、更に火がついた感じがします。

永守氏が、京都先端科学大学で教育革命を起こすという使命に燃えておられるのに触れて、本当に素晴らしいことであり、日本の未来のために、有り難いことだと思いました。

私は、小中学生たちに、考える力を育むことに更に力を注ぎ、人間としての魅力、教養を身につけてもらえるようにし、日本の自然、文化、歴史に親しむことにも更に力を注ぎます。子ども時代に人としての土台作りをしておくことが大切だと思うからです。明るく、元気で、夢を持ち、志を立てることの大切さを心に刻んだ子どもたちを育てます。

あちこちで、これまでの日本ができなかった教育をやっていくことが大切だと思います。

私も脇目も振らず真っ直ぐに教育実践に打ち込んでいきます。

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身を捨ててこそ。

2022年01月20日 | Weblog

良き本や映画を貸して欲しいと言われることがよくあります。

教育者としては、当然、実際にお貸ししたいと思いますし、そうします。

ただし、世の常で、貸した本やDVDはなかなか返っては来ないものです。

私が本当に良いと思っている本や映画しかお貸ししませんから、当然、私も見返したいと思いますし、別の人にも貸してあげたいと思うことがでてきます。

そこで、そう思った時に、私の手元になければ、同じものを二冊三冊と更に買うことになります。

なんともったいないことをと思われる方もいらっしゃると思いますし、私も若い頃にはそう思っていました。

しかし、教育とはそんなものだと思います。全くの無駄になるかもしれない。しかし、その時の互いの思いが本物だと信じて動くしかないのです。

何もしなかった時の後悔の方が、私にとっては大きいので、あとは割り切るだけです。

「教育とは、流水に文字を書くような果ない業である。だが、それを厳壁に刻むような真剣さで取り組まなくてはいけない」

この森信三先生の言葉に支えられます。

他にも、たくさんの素晴らしい言葉を、森先生は残されています。

(1) 道徳とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。

(2) いったん決心したことは、必ずやりぬく人間になることです。

(3) 人間の人柄というものは、その人が目下に対する場合の態度、とくに言葉遣いによって、分かるものであります。

その通りだと思います。ささやかではありますが、一人でも多くの人たちと、共に学んでいこうと思います。

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知情意の教育

2022年01月20日 | Weblog

「本来人格は知情意の渾然たる統一である。人間の価値は知情意の円満な発達になければならぬ。然るに変則な文明は一般に人格を一方面に編局させて了った。」(『日本精神の研究』)

「知」に偏った教育が、人格を育てなくしてしまったと感じます。しかも、本来の「知」とは、知ること、頭を使って考える事、判断することなどが含まれているのに、「知識の習得」に偏っています。

また、「情」について言えば、潤いある情操、人と相和し、和やかに過ごす人間の情や、自然を愛でる豊かな情緒は失われ、大人も子どもも索漠とした心を抱えたままで、人生の時間を埋めているかのようです。

「意」は意志の力ですが、自分の人生をどのように生きていきたいかという志もないから、人生を切り開いて進んでいこうという意志も意欲も薄弱な若者たちが多くなっています。受験に合格するというだけの意志では、社会を支えていく大きな力になり得ないのは当然のことです。それは利己的意志でしかないからです。

知情意を発達させる教育が失われている以上、私はそれを回復させるための教育を実践していくだけです。

それは組織だった分業体制の教育ではできないことです。自分の人生の全てをかけた全人教育を成し遂げていくしかないのです。自己変革を土台とした教育改革でなければできないことなのです。

 

 

 

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よき親でありたいと願う人々のために

2022年01月19日 | Weblog

下村湖人の言葉は、親として、何度も読み返すべき言葉だなぁと改めて感じています。例えば、次のような言葉です。

「よき親でありたいと願う人々のために、私の用意している助言がただ一つある。それは、子供をその善悪に拘わらず常にいたわってやるということである。むろんそれは単なる技術であってはならない。
それは、人間共通の弱点について十分な知識を持ち、自分自身そうした弱点の持ち主であることを深く自覚するところから、自然に発散される感情の香気でなければならない。愛撫や、賞賛や、叱責や、教訓や、その他親としての一切の努めは、そうした感情の香気に包まれてのみ真に生かされるであろう。
この助言は、だから、つぎのようにいいかえることもできる。人間性に無知な親は親ではない。人間として傲慢な親は親ではない。自己をいつわる親は親ではない。親もまた子供と共に人生不断の修行者でなければならないのだと。」(『心窓去来』)

そして、次の言葉も心に響きます。

「子供は大人のまねをする。このことを大人が忘れさえしなければ、子供の教育はさほど困難なことではない。しかるに、世の大人たちは、ご苦労にも、子供たちに自分のまねをさせまいとして、いつも苦労し、それを教育だと思いちがいしているかのようである。」(『心窓去来 補遺』)

「子どもというものは、親に本当に信用されているという自信があると、めったにうそを言ったり、かくれて悪事を働いたりはしないものである。また、自分が興味をもっていることに、親も興味をもっているということがわかると、行動が活き活きとして来るし、年齢相当に能力が認められ、それにふさわしい責任が与えられると、大抵の困難に打ち克ってそれを果たすことができるものなのである。このことは、世の親たちに次のことを教える。それは、子どもをいかに教育するかを考える前に、子どもをいかに遇するかを考えなければならないということである。」(『心窓去来』)


色々なところでこれらの言葉を紹介していたつもりでしたが、どうやらこのブログでは、他の言葉を紹介していたようです。

下村湖人は、改めて学び直したい人物の一人です。

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久しぶりに

2022年01月19日 | Weblog

久しぶりに、出会って良かった!という本と出会いました。『日本精神の研究』という安岡正篤先生のご著書です。

文体から伝わる精神の高さを感じます。こんな感じ方にはなかなかならないものです。今まで、私が学んで来たことは、ここにたどり着くためのものだったようにも感じます。

一読して、ただならぬものを感じる文章であり、また、何度も繰り返し読まなければ、深く理解できない文章でもあります。

そして、何より現代の世相を鋭く見定めている文章でもあります。

私ももっともっと学ぼうと思います。

 

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