Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

成長

2022年01月31日 | Weblog

寺子屋での教育をやっていると、ある時期から急速に成長する塾生たちが何人もいるのに気づきます。レポートを読んでいて、最初の頃は、うーん、書けてないなぁと思っていたのが、ある時点から、目を見張るように書けていくのです。みんなすごいなぁと思います。

みんなが勝手に成長していってるだけなので、私の知ったこっちゃないのですが(笑)、その理由を明確に知りたいなぁと思います。

ひとつ言えることは、書く技術ではないということです。そもそも何も教えていませんから(笑)。自分の考えが少しずつ確立されていくこと、塾生同士が互いに学び会うこと、そうしたことが成長のきっかけになっているとは思います。

このふたつは、言葉にすれば、なんと言うこともない単純なことにしか聞こえませんが、無数の要素が絡み合って始めて手に入れることのできる、実に奥深い、簡単にはたどり着けない境地だと思います。

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疲労感

2022年01月31日 | Weblog

最近、何かを終えて、どっと疲れが出ることがなくなってきました。

達成感に浸って、余韻を楽しむことが少なくなったように感じます。それが良いことか悪いことかわからないのですが、次のテーマに向かう気力、気迫に満ちていることは事実です。

終わったことは既に過去の事だと思い、直ぐに立ち上がって、切り替えて、次に向かおうとしているのだと思います。

その思いが、疲労感を消しているのだろうと思います。

若い頃にはそんなことはできませんでした。この歳になって、そんな戦い方ができていることに感謝したいと思います。

でも、きっと、どこかで、どっと疲れが来るのだろうな。だって還暦のじじいですから(笑)。

 

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世の中は公平

2022年01月29日 | Weblog

なんだかんだで、世の中は公平なものです。

悪しき考え方で、一時的に上手くいったり、勝ったように見えていても、いずれ正邪の秤は正しきところを指し示して止まります。そうしたものなのです。

だから、正しき心を持った人たちは、一時的に多くを失ったように見えても、必ず応分のものを新たに手に入れているのです。

悪しき心を持った人たちは、一時的に多くを手に入れているように見えても、いつかそれは失うしかないものなのです。

人間は弱い生き物で、長いものに巻かれるような人たちも多いものです。

しかし、同時に、人は心のどこかで正しさを求めている存在でもあります。

だから結局は、正しき心を持った人のところに良きことは起きていくのです。

短期的に見れば、そう見えないことも多々ありますが、長い目で見れば、よくわかります。

だから、正しいこと、美しいこと、良きことに、誠実に向き合っていくことが大切だと私は思います。

 

 

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聴くこと

2022年01月27日 | Weblog

「話すこと」には相手がいて、反応をしてくれます。

「書くこと」には読んでくれる人がいて、反応をしてくれます。また、自分が書いたものを読み返し、自分の中で反芻することもできます。

「読むこと」は、基本的には自分一人に委ねられたものですが、本などであれば、後で、何度も読み返すことができます。

しかし、「聴くこと」だけは、自分一人に委ねられたものであり、どれぐらいの精度で聴いているかは、自分だけにしかわからないものです。また、人の話の場合、それは一回性のものであり、聴くことも、当然1回だけのチャンスということになります。

だから恐いのです。

話しているふりも、読んでいるふりも(音読の場合)、書いているふりも基本的にはできません。音声であれ、文字であれ、相手に伝わる形になるものがあるからです。

しかし、聴くことにはそれがありませんから、いくらでも誤魔化しが効くのです。聞いているふりをしたり、聞き流したり、いくらでもできます。

だから話の聴き方には大きな差が付くのです。

そこで問われるのが、自分の向上心や自制心です。

それによって、話の聴き方はいくらでも変わります。

「聴く」ことは、自分と向き合い、自分を高めていくことですから、自分自身の人生観や人間観がそこで問われているのです。

たかが「聴く」ことの中にも、その人の人生観や生き方、考え方が常に反映されているのです。

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コピーをとる

2022年01月26日 | Weblog

子どもたちに資料を作る際、何かをコピーするのにも、私はかなり細かく神経を使っています。美しく仕上がっているかは、たかがコピー一枚と言え、私にとっては大切なことなのです。

なぜなら、一枚のコピーも、それを読む人の無意識に必ず何かを働きかけているからです。そう思うと与太はできなくなります。黒い箇所がないか、黒い線が残っていないか、丁寧に、スピーディーに確認しながら、原紙を作る作業を進めていきます。

絵の余白に汚れがあれば、作品としての価値を損なわれるのと同じように、コピーした資料の汚れもまた心理的なマイナスの影響を生み出します。

レストランに行けば、グラスの汚れも、カトラリーの曇りも気になるものです。プロ意識の高い店であれば、それらは当然、ピカピカに磨いてあります。

教員にとっての資料のコピーもそれと同じです。汚いコピーは、教育者としてのプロ意識が欠けている証明だと私は思っています。

レストランではグラスが曇っているぐらいは、まぁ仕方ないかと心の底に飲み込んでしまうことも多いものですが、食事中、いつも心のノイズとして影響を与え続けていると私は思います。

それはサービスを提供する者のプロ意識の低さだと思います。

レストランで、プロが美しいグラスを提供するように、私は教育のプロとして、教育の場において使う資料を、美しく提供したいのです。

また、私がいつも自問自答しているのは、「このコピーを、尊敬する経営者の○○さんに、私は手渡すだろうか。」ということです。その答えがNOなら、それは子どもに対しても、してはいけないことなのです。

「子どもだから、これぐらい良いだろう」という、子どもに敬意を払わない、馬鹿にしたような姿勢では、ろくな教育ができるはずがありません。

そもそも相手によって態度を変えるような人間であることが、教育者として美しくありませんし、本来のお客様は私にとっては子どもたちなのです。世間的な肩書きで態度を変えるようなら、それは本末転倒としか言い様がありません。

コピーのことは、今まで誰にも言わずに黙々と一人でやってきたことですが、後継者育成を考えれば、こうしたことこそ伝えていくべきことなのかもしれません。

それは、多くの教育者たちはやらないと思いますし、時間の無駄だとしか思われないと思います。また、嘲笑されるようなことでしかないとも思います。

しかし、私は私のやり方を貫きます。

 

松下幸之助さんの秘書を長く務められた江口克彦さんは、次のようなことをお書きになっています。私のような大したことのない人間が、共感しましたというのもおこがましいのですが、紹介させていただきます。

松下幸之助は座布団の置き方にもこだわった | 松下幸之助はなぜ成功したのか | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

座布団の並べ方にもこだわる

きれいに並べてあると思った。私にとっては最初にお迎えすることになるお客さまであったから、緊張もし、精いっぱい気をつかってもいた。これで準備が整ったと思い、ホッとした途端に松下が、

「きみ、座布団の並べ方がゆがんどる」と言う。

えっ、と思いながら改めて見直してみたが、私が見るかぎり整然と並べられている。どこが曲がっているのかわからないままに松下を見ると、ちょうど私たちが小学生のころ教室で机を並べたとき、いちばん前の机に合わせて何番目が出ているとか言いあいながら並べたように、真剣に座布団を見つめていた。たかが座布団、そこまでしなくともいいのではないかと思いつつ、言われるままに並べ直していると、

「その座布団は裏返しになっている。それに前と後ろが反対や」

私は座布団の表裏とか、前後ろという知識は持ち合わせていなかった。どちらが表で、どちらが前なのか。一瞬ひるんでいる私に、松下は足もとの座布団を一枚取り上げ、

「ええか、きみ。ここは縫い目がないやろ。これが前や。それから後ろ側の縫い目を見ると、一方が上にかぶさっている。こちらが表というわけや」

そのときに、座布団の前に置かれた灰皿を畳の目数にあわせてまっすぐ並べるようにという指示も受けた。このような「小さな注意」を、私はそれから幾たびも経験することになった。

 

 

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メルマガ

2022年01月26日 | Weblog

2022年第一号のメルマガを書いています。

エクスプレッションアカデミー福岡・熊本、Zoomセミナー(2ターム)、キャリアオーナーシップセミナー(ワンデイ×2日)、など、一挙公開しようと奮闘していて、なかなか完成していません。

セミナーの内容は見出しだけという感じですが、順次、詳細を詰め次第、ホームページにアップしていきます。

とにかく、メルマガは明後日、27日の配信に向けて頑張ります。

毎月、きちんとお送りできるようになって、今回が49号になります。

これもまた地道な活動ですが、やり続けていこうと思います。読んでいただけると嬉しく思います。

お届けできていない方は、Vision&Education,Ltd.のホームページより、配信希望していただけたら幸いに存じます。

 

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身を捨ててこそ 2

2022年01月23日 | Weblog

今年は、十干十二支(じっかんじゅうにし)では、「壬寅(みずのえとら)」の年です。壬寅(みずのえとら)には、「陽気を孕み、春の胎動を助ける」という意味がありますから、コロナウィルスパンデミックという厳しい冬の時代を乗り越えて、生命力に溢れる春の芽吹きを生み出し、活力あふれる教育事業を世に生み出していきたいと思います。

また、2022年は「五黄の寅年」で、十二支と九星術の組み合わせの中でも最も運気が強いとされる年です。実は私は壬寅生まれです。壬寅らしく、また、五黄の寅年らしく、激しく一年を過ごしていきたいと思います。

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」

私ももう還暦です。失うことを恐れずに、前を向いて全力でより良い教育事業を生み出していこうと思います。

 

 

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走り続ける理由

2022年01月21日 | Weblog

若い頃、色々なことに悩んでいました。

人は何故、生まれてくるのか。

人間とは何か。

日本とは何か。

日本人とは何か。

人間にとっての幸せとは何か。

人として正しい生き方とは。

今も、そうしたことに悩みながら、答えを見いだそうとする姿勢に変わりはありません。

勿論、答えは見いだすことができないままではありますが、学び続けようという確固たる気持ちがあり、そこに迷いはありません。

それは、そうした日本の根本を見ていかなければ、日本人に対する教育は、浮ついたものにしかならないと思うからです。

自然、文化、歴史、文学、あらゆる時間的連続性と地理的な繋がりによって織りなされた総体の上に、その国の国柄が生まれ、それを受け継がんとするために、その国の教育が生まれるのだと思います。

ペーパーテストの成績を上げることだけが教育ではないのです。

今、そのことがようやく見えてきました。だから走り続けます。

 

 

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『成し遂げる力』

2022年01月20日 | Weblog

日本電産の創業者、永守重信氏の著書、『成しとげる力』を読みました。

とても共感すること大で、私の教育改革への使命感に、更に火がついた感じがします。

永守氏が、京都先端科学大学で教育革命を起こすという使命に燃えておられるのに触れて、本当に素晴らしいことであり、日本の未来のために、有り難いことだと思いました。

私は、小中学生たちに、考える力を育むことに更に力を注ぎ、人間としての魅力、教養を身につけてもらえるようにし、日本の自然、文化、歴史に親しむことにも更に力を注ぎます。子ども時代に人としての土台作りをしておくことが大切だと思うからです。明るく、元気で、夢を持ち、志を立てることの大切さを心に刻んだ子どもたちを育てます。

あちこちで、これまでの日本ができなかった教育をやっていくことが大切だと思います。

私も脇目も振らず真っ直ぐに教育実践に打ち込んでいきます。

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身を捨ててこそ。

2022年01月20日 | Weblog

良き本や映画を貸して欲しいと言われることがよくあります。

教育者としては、当然、実際にお貸ししたいと思いますし、そうします。

ただし、世の常で、貸した本やDVDはなかなか返っては来ないものです。

私が本当に良いと思っている本や映画しかお貸ししませんから、当然、私も見返したいと思いますし、別の人にも貸してあげたいと思うことがでてきます。

そこで、そう思った時に、私の手元になければ、同じものを二冊三冊と更に買うことになります。

なんともったいないことをと思われる方もいらっしゃると思いますし、私も若い頃にはそう思っていました。

しかし、教育とはそんなものだと思います。全くの無駄になるかもしれない。しかし、その時の互いの思いが本物だと信じて動くしかないのです。

何もしなかった時の後悔の方が、私にとっては大きいので、あとは割り切るだけです。

「教育とは、流水に文字を書くような果ない業である。だが、それを厳壁に刻むような真剣さで取り組まなくてはいけない」

この森信三先生の言葉に支えられます。

他にも、たくさんの素晴らしい言葉を、森先生は残されています。

(1) 道徳とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。

(2) いったん決心したことは、必ずやりぬく人間になることです。

(3) 人間の人柄というものは、その人が目下に対する場合の態度、とくに言葉遣いによって、分かるものであります。

その通りだと思います。ささやかではありますが、一人でも多くの人たちと、共に学んでいこうと思います。

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