大切なのは「想像力」かもしれません。
偉大な人たちが、どれほどの広さと深さで、日々の仕事に向き合っているかを、想像する力がなければ、自分の限界を突破して高みに行くことはできないからです。
また、大きな夢や志を抱くことも、未来への想像力でしょうし、
現実の中で危機を予測し、対応策を考えることもまた想像する力だと思うのです。
「想像力」を枯渇させるような教育や、日常の過ごし方には、気をつけなければならない時代なのだと思います。
大切なのは「想像力」かもしれません。
偉大な人たちが、どれほどの広さと深さで、日々の仕事に向き合っているかを、想像する力がなければ、自分の限界を突破して高みに行くことはできないからです。
また、大きな夢や志を抱くことも、未来への想像力でしょうし、
現実の中で危機を予測し、対応策を考えることもまた想像する力だと思うのです。
「想像力」を枯渇させるような教育や、日常の過ごし方には、気をつけなければならない時代なのだと思います。
2006年に設立した、弊社Vision&Education,Ltd.は、来年の一月で設立19年目を迎えます。設立時の思いを、四年後に言語化して、「Vision&Education,Ltd.の歩むべき道」というものを作りました。ここには私の教育への思いが込められています。制定以来、毎年、改定を試みますが、変更の必要性を感じていません。それを感じたら直ちに改めたいと思っていますが、今のところは変わらぬ思いを大切に走り続けようと思います。
○社是
Vision&Education,Ltd.は、日本の教育をより良いものにするために存在します。そして、そのミッション実現のために、私たちは「志の教育」を実践し続けます。
○社訓
1.「教育をより良いものにする」というミッションを掲げる私たちVision&Education,Ltd.は、日々新たな気持ちで教育と向き合い、教育に携わる自らの人格を磨くために不断の努力を続けます。
2.私たちVision&Education,Ltd.は、仕事を通じて出会う全ての方々に対して、感謝の心をもって誠実に対応します。
3.私たちの仕事が教育である以上、全ての子どもたちと保護者の皆様に対して、その人間的成長と幸福を心から願い真摯に対応します。
4.Vision&Education,Ltd.は、教育の不易と流行について深く学び続け、既成概念にとらわれることなく、絶えず有効性のある教育実践活動を生み出していきます。
5.Vision&Education,Ltd.は、常に公明正大を旨とし、組織内外を問わず何人と雖も誹謗中傷をすることなく、常にお互いを尊重する精神と礼節を重んじます。
6.教育事業を行うにあたって、Vision&Education,Ltd.の判断の尺度は、「教育的に有意義であり、それが社会にとってプラスになるかどうか」であって、その時々の風潮に流されたり、目先の利益のみを追求する教育事業は行いません。
7.Vision&Education,Ltd.は「志の教育」を最大のテーマとし、「学ぶことの喜び」と「学ぶ充実感」とを皆様にお届け致します。
8.Vision&Education,Ltd.は、「教育実践」を通して、一人でも多くの方の「人間的成長」と「喜びと幸せの実現」をサポートし、豊かな社会作りに貢献します。
2010年7月1日
Vision&Education,Ltd.
取締役社長 木村貴志
とにかく私はより良い教育を作り続けていきます。
社会全体に何が残せるのかを考えて行動します。
自分の子どもだけ良ければ良い、自分の会社だけ良ければ良い、
そうした考え方では、
結局、社会に何も良き価値を遺せないのだと思います。
私のやっていることなど、
ささやかな大河の一滴に過ぎませんが、
心を込めて全力でやっていきます。
共に学んで下さる方がいらっしゃれば、
望外の喜びです。
どなたでも歓迎します。
それだけです。
著作に関する権利を主張するのは大切なことだと思います。
しかし、私の教育について言えば、既に先人たちが語り尽くしたもばかりで、私が私の著作権を主張するようなものは何もありません。
私ごときであれば、教育における大発見、大発明をしたと思っても、それは既に先人たちが語り尽くしたところのものであって、何も新しくはないのです。紀元前の孔子の時代から言われているようなことばかりです。
そもそも、先人たちの教えを抜きに、教育など語れるはずがありません。
文化は先人たちの歩みと、その叡智が集積されたものであり、教育は先人から受け継がれてきた経験則と人類の叡智の積み重ねそのものだからです。
それを活かさないということは、0から100年の人生を生きることを、未来永劫、ただ繰り返すことであって、賽の河原の石積みのようなものです。
「賽の河原の石積み」とは、 親よりも先に亡くなった子供は、三途の河原で父と母を供養するために、石を拾って積み上げて石塔を作るのですが、完成する直前に必ず鬼が来て、苦労して積んだ石塔を崩してしまうのです。つまり、報われない努力を一から続けていくと言うことです。
私たちは2000年以上の歴史を持つ国に生まれました。また、世界の人類の叡智も学ぶことが出来るのです。0からの100年を繰り返すことを、次の世代の子どもたちも未来永劫続けていくことが賢明なこととは思えません。
2000年の叡智に、自分たちの100年を加えてこそ、自分にとっても、未来の子どもたちにとっても、大きな財産になるのだと思います。
私が尊敬する森信三先生の言葉に、「 道徳とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」というものがあります。
その通りだと思います。私が世の道徳教育に対して懐疑的な理由はここにあります。
平たく言えば、「言ってることは合ってるけど、お前が言うな!」という道徳教育では、何も伝わらないと思うのです。
そして、この言葉は「道徳」を色々な言葉に置き換えてみても、しっくりくるように思います。
「志の教育とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」
「教育とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」
「マナーとは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」
いつから教育は説教にすり替わったのだろうかと思います。
「教授は能はざるも、君等と共に講究せん。」と語ったのは吉田松陰ですが、「教えることは出来ないが、君たちと共に学ぶことならできる」というこの姿勢こそが、教師にとって大切な姿勢なのではないかと思います。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。」
孔子の言葉です。
様々な解釈ができますが、
井上靖は、「朝、自分の理想とする、道徳が行き渡る国になることが実現したとわかったならば、夕方には死んでも構わない。」というような訳を講演の中で語っていらっしゃったと記憶しています。
それが実現したら死んだって構わないというほどの理想を掲げ、志ある人生を生きることは素晴らしいことだと思います。
志の滅び行く時代に、志の教育の一灯を灯す人生を生きようと思います。
今年、4回目の萩往還(涙松遺址~瑠璃光寺五重塔)を歩きました。
もう30年ほど、この道を歩き続けています。
共に歩いた人たちは800人ほどにもなるでしょうか。
歩いてくださった人たちの中には、今も私と共に人生を歩み続けて下さっている人たちもいれば、
今は別の道を歩いている人たちもいます。
袂を分かった人たちもいます。
それが人生だと思います。
私は私の道を歩み続けるだけです。
そして、そこには多くの方々の支えがあります。
深い感謝と共に歩み続けるだけです。
思無邪。そして、至誠。
それさえあれば、私は心安らに、自分の道を歩き続けていくことができます。