Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

怒ること叱ること

2012年07月30日 | Weblog
教育界ではよく「怒ってはいけない。叱りなさい。」
などと言われるのですが、私は少し違うように感じています。

怒りの中にも教育的要素があると思うのです。

それは、
他人事のように語る説諭よりも、
真剣に激怒した言葉と表情の方が、
よほど教育的だということです。

しかし、問題は、その怒りの源泉と矛先です。

その怒りが、
「自分の面子がつぶされた。」だとか、
「言い方が気にくわない。」だとか、
「むしゃくしゃしていたから。」だとかいう、
低次元のところから出てきているのであれば、
それは教育的でも何でもありません。

ただの人格未熟なる人物の感情の発露に過ぎません。

しかし、本当に子どもの将来を見据えて、
私心なく怒ったものであれば、
それは一抹の清々しささえ残るものになろうと思います。

「私心なかりしか」

このことを常に考えて行動していくことが
私にとっての大きな修行だと思っています。




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教育

2012年07月30日 | Weblog
教育というものは、
人間が人間を導く営みだと思います。

だから、
自分のできないことは、
押しつけない方が良いと思います。

自分以外の人は、
その矛盾に敏感に反応するからです。

しかし、
教育的には自分のできないことも
時として言わなくてはいけないこともあります。

その時には、謙虚に語らなくてはならないと思います。
心を込めて丁寧に。

そして、できなくてもやってみることを
自分自身で示していくしかないのだと思います。

私は教育現場においても、
大切なのは人として正しいかどうかであって、
無理に力んだ教師としての正しさなどは、
あまり意味がないのかもしれないと思います。

ひとつの思い込みには
とらわれないほうが良いのだと思います。
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太陽のように

2012年07月27日 | Weblog
私の教育は太陽のように
誰に対しても分け隔てなく
与え続けるものでありたいと思っています。

太陽は決して分け隔てをしません。
万物に同じように暖かな日差しを注いでくれます。

同じように燦々と降り注いでくれます。

あの子は波長が合わないから…。
あの子は言うことを聞かないから…。
あの子は反抗するから…。
あの子は理解が遅いから…。
あの子は意地悪だから…。

そんなことで愛情のさじ加減を変えるようであっては、
人間として未熟という以外ないのだと思います。

本人の成長を心から願うのなら方法は一つ。
愛情を注ぎ続けることです。

「子どものため」という善意の名を借りた叱責は、
所詮は北風なのであって、
子どもの心を開かせることなどできません。

まずは、心開く関係を作ってからでなければ、
すべての教育的メッセージも虚しく空回りするだけで、
それは教育者の自己満足でしかないのだと私は思います。













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木の文化

2012年07月19日 | Weblog
会社でお櫃を買いました。

お昼ご飯のときに、
炊飯器で炊いたものをすぐに移し替えていただくと…。

これが実に美味しい!!

お店で食べて、
美味しいのはわかっていましたが、
日常使いでこれほど楽しめるとは感動でした。

檜よりも香りが弱く、
殺菌力のある椹(さわら)を使うことを
一体、いつの時代から日本人は知っていたのでしょうか?

お櫃は、ご飯が温かいうちは、
余分な水分を吸収してくれて美味しいし、

冷めてくると、ご飯が硬くならないように
水分を補ってくれるから、これまた美味しい!

冷たくても炊飯ジャーで保温したものより、
ご飯の歯ごたえといい、甘さといい、香りといい、
すべてが最高ですね!!

今から新米の季節が待ち遠しいです。

稲作の文化、木の文化など、
多くの古き良きものは実に奥が深く、
私は日本が大好きだとしみじみ思います。

やはり、私は、
イデオロギーとともに日本文化を語るよりも、
お櫃にご飯を移す手間を惜しまず、
自分で作ったぬか漬けをいただくことを
大切にすることの方が好きですし、
それが日本文化を継承していくことになるのだと思います。

文化についての論評も良いけれど、
やはり継承してこその文化なのではないかと思います。

教育も、文化も、
やはり、実践してこそ、

そう思います。







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プリンシプルのない国

2012年07月17日 | Weblog
いじめ問題に象徴される
教育問題の混迷にせよ、
政治の混迷にせよ、

原因はつまるところ、
大人の覚悟とプリンシプルの無さ
というところに行き着くのではないだろうか。

事の是非は二の次で、
大勢につきたい、

できれば事を荒立てず、
平々凡々の生活を続けたい、

そんな哀しい大人の性によって成り立ってきた社会が、
そろそろ限界に近づきつつあるのではないだろうか。

「いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、
命がけのことも始終ある。
依頼心を起こしてはならぬ自力でやれ」

伊藤博文が次男の留学に際して贈った訓戒の言葉である。

師吉田松陰からは「才劣り、学幼し」と評された伊藤博文だが、
命がけの「覚悟」には、並々ならぬものがあった。

それが大切なのだと思う。
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いじめ

2012年07月12日 | Weblog
何でも「いじめの定義」が数年前に変わったらしい・・・。
大津のいじめ自殺を報道する中で、そうコメントされていた。

しかし、そのこと自体に私は違和感を覚える。

人間と人間の言動を、
理性的にあれやこれやと分析して、
良い教育ができるとは思えないからだ。

定義以前に、
人間として目の前の無軌道な行為を見て感じる、
人間としての善き感情と、善なる行動は無いのか?

時に激怒することも教育には必要である。
時に抱擁することも教育には必要である。
時に負けてあげることも教育には必要である。
時に断固として戦うことも教育には必要である。

いじめをするのも人間の心の動きなら、
いじめを許せないと思うのも人間の心の動きであり、
いじめに対して怒りを爆発させるのも人間の心の動きである。
そして、いじめで自殺した子どもと、
その家族や友人の嘆き悲しみを慮るのも人間の心の動きである。

法律書はいじめをなくさない。
教育書もまたいじめをなくさない。

いじめをなくすのは、
人間の正当な感情と、
それに基づく理性的な行動であると私は思う。

太古よりいじめはあったと思う。
防ぎきれないいじめもあっただろうし、
防ぐことのできたいじめもあったと思う。

ただ、ひとつ、
いじめを防ぐことができたとすれば、

それは、指導者たちに、
深い情と正しい判断力、決断力、行動力が
備わっていたと言うことである。

つまり、人間力によるところが大きいと思う。

だから、私たちは自分の人格と哲学とを
日々全力で磨かなければならないのである。

私には評論をしている暇はない。

とにかく目の前の子どもたちに真摯に向き合うことを
何よりも大切にしていきたいと改めて思った。
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多様性

2012年07月11日 | Weblog
国際社会で生きていくためには、
多様な価値観の中で、
コミュニケーション力を
高めていかなければならないと思います。

しかし、ここで問題になるのが、

・自分の価値観を持たないし言わない。(言えない)
・自分の価値観を持っているけど言わない。(発信しない)
・自分の価値観は主張しないのに人の価値観は批判する。
・自分の価値観だけ主張して、違う価値観を受け入れない。

こうした病の根が深いことです。

まずは、自分の意見をしっかり主張し、
他人の異なる意見をしっかり受け止めようと思います。

どんなに惨めに敗北しようとも、
現実に牛と戦っている闘牛士の方が、
観客席から眺め、野次を飛ばしている観客よりかは、
はるかに崇高で雄々しい存在だと私は思います。







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天命を知る

2012年07月10日 | Weblog
子曰く、
吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ。
七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず。

昨日で、天命を知る年となりました。

こんなに生きられるとは思っていませんでした。
天に感謝です。

幸い私の天命は、既に明確です。

十有五の若者たちの志学のため、立志のために、
己の命を燃やし尽くすこと。

日本の教育をより良いものにするという、
ただ、その一事のみのために、
私の生はあります。

とにかく深く学び続けたい、
自分を磨き続けたいと思う今日この頃です。

それにしても、
五十にしては未熟すぎるな・・・(反省)。





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人格を磨く

2012年07月07日 | Weblog
結局、仕事や人生を素晴らしいものにしていくには、
自分で、自分自身の人格を磨いていくしかないのだと思います。

それは本当に難しいことです。

なぜなら、
過去の自分と戦い、
それを乗り越え、
未来の自分を指向し続ける
心の強さが必要だからです。

今の自分は過去の自分の集積の上にあります。
過去には若気の至りという苦い経験も少なからずあるでしょう。

予期せぬ他人からの攻撃や誤解、
誹謗中傷と言ったこともあるでしょう。

しかし、それらすべてをひっくるめて、
自分自身を磨き、乗り越えていくしかないと思っています。

私は、自分自身、そうありたいと、
努力を続けて行きますが、
同時に、私の会社の皆さんにもそれを望みます。

なぜなら、
仕事がうまくいくかどうかは、
その組織に属している一人一人の人間の、
人格の高さによると思うからです。

簡単なことを誠実にやり続けることは、
非常に難しいことですが、
そこにこそ成長の鍵はあるのだと思います。







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