Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

出版記念会(福岡)ご出席ありがとうございました

2016年09月30日 | Weblog
出版記念会へのご参加、
本当にありがとうございました。

皆様に心からの感謝を申し上げます。

そして、
皆様とゆっくりお話しできず、
本当に申し訳ありませんでした。

もっともっと酌み交わし、
語り合うことができたらと、
残念に思いました。

また、改めて、お礼を申し上げたいと存じます。

決意を新たに、
志の教育を次のステージに
引き上げていこうと思います。

今後ともご指導ご鞭撻の程、
何卒、よろしくお願い申し上げます。

ありがとうございました。

ただ、ただ、感謝です。





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ただひたすらに読む

2016年09月28日 | Weblog
素晴らしい童話や児童文学があります。

ただ、学校の授業で学ぶと、
途端に面白くなくなるという経験を
私はたくさんしてきたように思います。

その原因は、
深いテーマをを持ち、
深い芸術性を持つ文学作品を、

作家の深い人生や哲学を理解せぬまま、
中途半端な解釈を加えて
読まされてきたからだと思います。

私自身、国語教師として授業をしていましたが、
若い頃はきっとそんなことしか出来ていなかったと思います。

子供たちは文学作品を
先生というフィルターを通して感じ取るわけですが、

作品の深さや緻密さに対して、
フィルターの方があまりに粗雑だと、
子供たちに伝えられたものは、
残念なものになってしまうほか無いのです。

それ以外にも、
本当に心にしみ込むように読むときは、

子供たちが、
一人で、
そして、
時間をかけて、
その作品の世界に没入することが大切です。

細切れの授業の時間では、
そうした読み方をするのにどうしても限界があります。

先生の親切心も徒になっていくのです。

こうした、
作品との不幸な出会いを脱却して、

何としても、子供たちと文学作品との出会いを、
もっと良き出会いに変えていくことができたらと思います。

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悲しみを知る「情緒の教育」

2016年09月28日 | Weblog
今日、9月28日の産経新聞・解答乱麻欄に、
「悲しみを知る情緒の教育」を寄稿しています。

人の心を失った人たちの引き起こす
様々な事件に思いを致しつつ、
自分に何が出来るかを考えながら書いてみました。

私の原稿の背景には、
沢山の本や、
沢山の人たちの考えが横たわっています。
私の考えより、もっともっと深いものです。

是非、多くの人たちが、
私の原稿を一つのきっかけとして、
先達の叡智に触れていただき、
日本の教育をより良いものにするために、
アクションを起こしていただけたらと思います。

残念ながら、
浅学非才の私の力では、
なかなか悲しい事件をなくすための
大きなエネルギーを生み出すことはできません。

共に学ばせていただき、
共に現実の社会をより良きものに変えていく術を、
何とか見いだしていくことができたらと思います。
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面白いこと

2016年09月28日 | Weblog
面白いことに、

このブログは、
様々な人の目に触れ、
様々なとらえ方をされていきます。

同じ言葉が、

ある人には、嫌なことに聞こえ、
ある人には、至極真っ当なことに聞こえている。

言葉は時として、
鏡のような役割を果たしてくれるものですから、
そういうことはいくらでも起こりうることだと思います。

時として、
困ったことも起きますが、

笑ってやり過ごすだけです。

「人をタイトルや外見や名前や
 住んでいるところで見るのではなく、
 いつもその本人で見よう。
 本物とは何のことか考えよう。」

これはバッカーズ・ファンデーションの経営者の方々で
考えて作られたバッカーズ少年教育10原則の一つですが、

結局、人をタイトルや外見や名前や
住んでいるところで見ている人たちが、
そのような見方をし、判断をすることで、
歪んだ空気が生まれていくのだと思います。

しかし、それが人の世で有り、
それを変えていこうと志しているのが、
私たちの教育である以上、
そうしたことも笑って受け止めていくだけだと思います。

そして、そんな考えでない若者を育てていこうと思います。

日本の未来のために。










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目的を、大義を 忘れない

2016年09月27日 | Weblog
目先の事や、自分のことに囚われると、
色々なことが上手くいかなくなっていくと思います。

また、自分のやっていることと、
他人のやっていることの区別がつかなくなると、
物事は上手く進まなくなっていくと思います。

プレーヤーはプレーヤーであり、
サポーターはサポーターなのです。

世の中には、
偉い人の周りに居るだけで、
自分も偉くなったと勘違いしてしまう人が、
実に沢山いるものです。

私はそうした惨めな勘違いのない人でありたいと思います。

自分がたった一人になったときに何が出来る人なのか。
そのことをいつも思います。

会社の所属や、肩書き等を全て取り払っても、
世の中で通用し続ける人間でありたいと思います。

そして、
私は生涯一教師として、
多くの人と共に学び続ける存在であろうと思います。
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物置

2016年09月25日 | Weblog
教育のための本や資料や教材、
講座を実施した後の大量のレポート、
合宿のための調査資料、
釣具やアウトドア用品の数々。
会社の物が増えて増えて、
どうにもならなくなってきました。

教育は、
子供たちの人生の足跡を残していくような、
そんな営みでもありますから、
簡単に捨てられないものばかりです。。

会社の収納スペースは、
もうとっくに足りなくなっています。

物を置くために、
マンション借りるしかないかなぁ。
そう思っています。

何とか稼いで、
家賃を払えるように頑張らなきゃ。

会社に泊まり込む日々も続いているので、

物置兼ねぐらにしたら、
少しは私の疲労回復にも良いかもしれません。

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『「志」の教科書』出版記念パーティー

2016年09月24日 | Weblog
福岡での出版記念パーティーが近づいてきました。
(東京は来月です。)

私のオフィスに
バッカーズ九州寺子屋の保護者の方々が、
10人ほどで何度も集まって下さり、
みなさんで準備を進めて下さいます。

役割分担、前日の搬入、終わった後の打ち上げ、
皆さん冗談を言い合いながら、
嬉々としてやってくださっていて、
心から、今回のことを祝って下さるのが伝わってきます。
本当に感謝に堪えません。

そして、
それ以上に「志の教育」を子供たちのために、
もっともっと世の中に広めて欲しい。

そんな思いに溢れていらっしゃいます。
本当に有り難いことです。

福岡でも、東京でも、
こうした形で「志の教育」を
更に広げていくことができたらと思います。

東京の卒塾生で、
教育に志し、リーダーとして活躍してくれている
大学生の話も聞こえてきました。

二度と無い人生、
私も楽しくチャレンジしていきます。











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私を支えてきたもの

2016年09月24日 | Weblog
私を支えてきたものは、

教育をより良いものにしたいという願いであり、
自分の損得では行動しないという誇りであり、
全てを無くしてでも節は曲げないという信念です。

私の判断基準は、
それは子供たちのためになるか?
それはより良い教育のためになるか?
ということであり、
それが最優先事項です。

それを言うことは子供たちのためになるのか?
それをやることは子供たちのためになるのか?

そうでないことに意識を奪われたくはないのです。

愉快な気持ちで教育ができるところに、
私は常にいたいと思います。

いざという時には、
一国語教師として、
また、一つ一つを積み上げていくだけです。

きっと日本の高校の中にも、
私を非常勤講師として雇って下さるところは
どこかにあるだろうと思います。

国語の授業への自負はあります。

とにかく、
全てを捨てて、
また一から創り上げていく覚悟を
いつも私は持っています。

何も持たずに生まれてきたのですから・・・。

目の前の子供たちに全力で向かう場が与えられたら、
私はそこに人生の意義を見いだします。






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いじめ

2016年09月23日 | Weblog
いじめというものは、
実に陰湿で姑息なものです。

できるだけ、
公正公平な判断をする第三者にわからぬように、
手を変え品を変え、
言葉と行動の暴力が実行されます。

そして、
それが露見したとしても、
「そんなつもりはなかった。ごめんなさい。」
というのが、確信犯の常套句です。

醜い心が世の中から無くなることを祈ります。

そして、
どうしても仕方が無い場合は、
その仕事から私が手を引くだけです。

私のように、
出来ないことが多い人間は、
出来ない者同士で、
助け合っていくことの大切さを思います。

教育は、
出来ない人を、
出来るように育てていく営みです。

だから、そこには、
心の優しさが不可欠だと思います。

それが無いのなら、
そこは私の居るべき場所ではないのです。





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高い志を

2016年09月23日 | Weblog
やはり、人は、
自分だけのために何かを目指すよりも、

誰かのため、
社会全体のため、
次の世代を担う子供や孫たちのため、
自分以外の大いなるもののためにと、
そう考えていく中で、
大志を抱く中で、

思いもかけなかった出会いや、
大きな力を蓄えていき、

自分にとっても有意義で、
社会全体にとっても有意義な、
大きな成果を得られるものだと思います。

しかし、
そのことは、
そう考えて、
そう行動してみて、
初めてわかることです。

志の大切さは、
志ある人生を生きた人が、
自分の人生を振り返ったときに、
本当の意味で実感できることなのだろうと思います。

しかし、
だからこそ、
志の教育は、
志の大切に気づいていない、
多くの人たちに、

子供にも、若者にも、お年寄りにも、

声をからして、
全力で伝え続けなければならない
大切なことなのだと
改めて思いました。
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