Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

心に陰を作らない

2012年06月28日 | Weblog
心に陰を作らないことが大切だと思います。

例えば、多くの人の前で話をしていると、
100人が100人の賛同を得られることはまずありません。

その反対の人たちにたいして、
ネガティブな感情を持たないことが大切だと思います。

相手にネガティブな感情を抱かれても、
こちらはネガティブな感情を抱かない。

これは非常に難しいことでもあります。

しかし、そもそも何のために話しているか、
何のために全身全霊で伝えようとしているか、
という本義に立ち返れば、
ネガティブにならずにすむものです。

意を尽くすだけ。
人事を尽くすだけです。

心の闇は、闇で返すと、
必ず広がっていきます。
負の連鎖を生み続けます。

自分の所でそれを消す強い意志を持ち続けたいものです。

だから、心に陰を作らぬよう、
明るく、まっすぐに、心を保つ努力を続けたいと思います。

他人が問題ではないのです。
あくまでも自分の心が問題なのだと思います。
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信頼に満ちた世界

2012年06月22日 | Weblog
今、私たちは、
信頼に満ちた世界で過ごすことができています。

信頼できるスタッフに恵まれ、
信頼できる支援者の皆様に恵まれ、
信頼できる関係者の皆様に恵まれ、
信頼できる保護者の皆様に恵まれ、
信頼できる子どもたちにも恵まれています。
講演や研修でも素晴らしい人たちとの出会いの連続です。

こんな世界があるのだと
感謝の気持ちでいっぱいです。

もちろん、そうした中にも、
悪しき感情を忍ばせようという気配を
感じないわけではありません。

そんな時に佐藤一斎の言葉は、
私たちの心を鼓舞してくれます。

「志有るの士は利刃の如し。
 百邪辟易す。
 志無きの人は鈍刀の如し。
 童蒙も侮翫す。」

         
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人の役に立つ

2012年06月22日 | Weblog
人の役に立ちたいという人は
少なからずいると思います。

私もそう思っていますし、
子どもたちにも
「人の役に立つことが大切だ」
と言っています。

しかし、
目の前の誰かに対して、
「人の役に立ちなさい」
と言ってみたり、

自負心から、
「私も人の役に立つことをしていると思います」
などという言い方は、
あまりしていないと思います。

それは、
人の役に立つということは、
何かをした結果の、
そのまた先にある、
他人様がそれをどう受け止めてくださったか
ということでしかないと思うからです。

私のやったことが
他人様の役に立っているかどうかは、
所詮は私にはわからないことなのです。

しかし、それでも良いのだと思います。

ただ、ただ、私は、
私の信ずるところを、
粛々と、一歩一歩、
心を込めてやっていくだけです。

そして、
もし、それを、
役に立ったと言って下さる方が
一人でもいらっしゃったのであれば、
望外の喜びです。

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日本の橋

2012年06月20日 | Weblog
てんしやう十八ねん二月二十八日に、
をたはらへの御ぢんほりをきん助と申、
十八になりたる子をたゝせてより、
又ふためともみざるかなしさのあまりに、
いまこのはしをかける成、
はゝの身にはらくるいともなり、
そくしんじやうぶつし給へ、
いつかんせいしゆんと、
後のよの又のちまで、
此かきつけを見る人は、
念佛申給へや、
卅三年のくやう也。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天正十八年二月十八日に、
小田原への御陣堀尾金助と申。
十八になりたる子を立たせてより、
又ふため とも見ざる悲しさのあまりに
今この橋を架けるなり。
母の身には落涙ともなり、
即身成仏し給へ。
逸岩世俊と後の世のまた後まで、
此の書付を見る人は、
念仏申し給へや。
卅三年の供養也。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はこの文章を故益田勝美先生から教わった。
日本の最も美しい文章として。

その時には、あまりよくわからなかったが、
今は、痛いほどよくわかる。

これほど深い母の愛はない。
そして、日本的な、極めて日本的な、
深い悲しみの表現でもある。

名古屋の熱田を流れる精進川に架かった、
裁断橋の銘文である。

小田原の陣に豊臣秀吉に従って出陣し、
戦没した十八歳の堀尾金助という若者の
三十三回忌の供養に母が架けた橋の銘文なのだが、
詳しくは保田輿重郎の『日本の橋』をお読みいただきたい。

ただ、
十八歳で命を落とした子どものために、
年老いた母が、
橋を架け、
息子のために念仏を唱えて欲しいと願う心を刻みつけた
その思いに触れたとき、
その心の深さに、
私は思わず身震いする。

野口英世の母シカが、
息子のために文字を習い、
初めてたどたどしい文字で息子に当てた手紙にも
心揺さぶられたが、
この銘文にはまた違う重さがある。

私たちは、人間の死に、
いや、人間の生に、
どこまで真剣に向き合っているのだろうか。

この母の気高さ、美しさには、及ぶべくも無いどころか、
このことの意味さえわからなくなってはいないだろうか?

死んだ息子があの世で成仏できるように、
橋を架け、橋を渡る見ず知らずの人たちからも
逸岩世俊という名前と念仏を唱えて欲しいと願う心が、
私にはとてつもなく切なく響く。






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知への欲求

2012年06月19日 | Weblog
人間は「知ること」への欲求を持っています。
また、「知性」を持っています。

しかし、
まず、大切なことは、
文学や歴史を通じて、
つまりは、
これまでの人類が積み上げてきた、
「心の叡智」というものを通じて、
人間としての在り方、
心の持ち方を学ぶことのように思えてなりません。

例えば、人を刃物で刺して、
どういう具合に人間が死んでいくのかを見たかった。
というグロテスクな事件が、
過去に少なからず発生しています。
それは「知ること」への欲求とも言えるわけですから、
「知」を重んずる立場からすれば、
良いことなのかも知れません。
しかし、そんなものは到底認められません。

また、ただでさえ、
このままでは破綻して、
多くの人たちが困るであろうとわかっている
年金資金を消失させて、
なおかつ人をだまし、
投資させようとする人たちがいる。
これも、頭は良い人たちで、
数字上の計算は素晴らしくできるのでしょうが、
人間としての心の持ち方はいかがなものかと思います。

こうした世相を見るにつけ、
やはり、まず大切な教育は、
人間としていかにあるべきかを学ぶことだと思います。
自分さえ良ければという発想では、
社会全体が衰退し、
結局は、自分の存在も危うくなっていくのだと思います。

教育において、
優先順位を間違ってはいけないのだと思います。

やはり、心の問題、
人格の陶冶が優先順位の高いものだと私は思います。

人間を人間たらしむる精神の在り方を
まずは学んでいくことが大切なのだと思います。

誰かを責めているのではありません。
私たちが作ってきた社会なのですから、
私にも応分の責任があるというものです。

私にできることは限られていますが、
それでも考え抜き、解決へと繋がる行動を
一つでも生み出し続けていこうと思います。








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卒塾

2012年06月17日 | Weblog
バッカーズ九州寺子屋第4期生の卒塾式が終わりました。
先日、バッカーズ寺子屋第7期生の卒塾式は終わっていましたから、
今日で、二つの寺子屋の一年が終了したことになります。

いつもながら、
塾生全員の成長に感動しつつ、

暫く会えなくなる寂しさと、

もっと深く、もっと沢山、
一緒に学びたかったという後悔と、

今後の皆さんの成長を祈る心と、

様々な気持ちが入り交じった、
何とも言えない思いになります。

言えることは、

まだまだ私は未熟で、
成長しなければならないという
強烈な反省と
更なる向上への決意を促されたということです。

そして、そういう刺激的な場を
与えていただいていることへの深い感謝の念を抱いています。

本当に多くの皆様に支えていただきました。

ありがとうございました。

また、明日から新たな挑戦が始まります。




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信じる力

2012年06月16日 | Weblog
信じることについて、
私たちは相手にその原因があると考えがちです。

あの人は信用できる。
あの人は信用できない。

勿論、様々な言動の結果として、
信用はついてくるものですから、
その見方も大切な見方です。

しかし、
信じられない人間を信じることも
教育者にとっては大切なのだと思います。

野山獄の囚人たちと共に学び、
生きる希望の光を灯した吉田松陰の姿は、
そのことを考えさせてくれます。

「あいつは駄目だ」と思うのも自由ですし、
故無きことではないのですが、
やはり、教育をテーマとしている以上、
可能性を信じる力を失ってはいけないのだと思います。

つまり、
信じると言うことは、
相手に委ねられているのではなく、

自分自身に信じる力がどこまであるのか?ということも、
実は、同時に問われているのだと私は思います。




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賛否

2012年06月15日 | Weblog
100人いれば、
100人全員が、
私の言うことに共感し、
全面的に賛意を示すなどと言うことはあり得ません。

しかし、人間はついついそれを期待してしまいます。

だから、心の修練が大切なのだと思います。

物の見方を変え、それを習慣化するということです。

異論を許容しつつ、
その問題点を相手の成長を念じつつ、
丁寧に伝えていくということですし、
それは、相手のことを心から尊重し、
思いやると言うことです。

しかし、それでも伝わらないこともあれば、
感情的しこりが残ることもあるでしょう。

その時には、
「それもまたよし」と思うしかないのだろうと思います。

伝えきれなかった、
自らの至らなさや非力を省みつつ、

明日へ向かって次の一歩を踏み出すしかないのだと思います。

同時に、

時を経て、いつか相手に真意が伝わることか、
時を経て、自らの過ちに深く気づくことかの、
いづれかを願い続けることが大切なのだと思います。

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幼児化する日本人

2012年06月14日 | Weblog
幕末の志士、橋本左内は、
十五歳の時に『啓発録』を著し、

「十三、四歳にもなって
「稚心」(子供じみた幼い心)が残っていれば、
何をしても決して上達せず、
立派な人間になることなどできない。」

稚心を去れ!と言っています。


頼山陽は、十三歳で次の漢詩を詠みました。

十有三春秋
逝(ゆ)く者は已に水の如し
天地始終無く
人生生死有り
安(いず)くんぞ古人に類(たぐい)して
千載(せんざい)青史(せいし)に列するを得ん

【通 釈】
十三歳となって、
これまでを振りかえってみると、
月日は川の流れのように過ぎ去って
もう二度とかえっては来ない。
天地は永遠であり、始めも終わりも無い。
しかし、人間には必ず生があり、死がある。
それならば、なんとかして歴史上の偉人のように、
自分も悠久の歴史の上に名を連ねたいものだ。


ここまでは無理としても、

私が今、心を痛めているのは、

子ども向けの文学全集が、
いかに幼稚化し、
言葉の味わいが浅薄なものに
成ってしまったかということです。

ここに日本人の幼稚化の原因があるのかもしれません。

このテーマについても、
一歩一歩、手立てを講じていきたいと思います。

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名作を読む

2012年06月13日 | Weblog
日本の名作、世界の名作を読む
習慣の大切さを感じています。

政治にせよ、経済にせよ、教育にせよ、
私たちは様々なテーマで議論し、
その結論を出していかなければなりません。

その時に、判断の基準となる価値観があると思います。

私の言うそれは、
科学的知見とは異なる、
美意識に近いものかもしれません。

わかりやすく言うと、
「判官贔屓」という言葉がわかるかどうか、
といった体のものです。

これは、「義経記」を読んでいなければ、
辞書で理解した程度の知識では到底わからないものです。

その人の生き方や、不幸や、悲しみや、忍耐など、
あらゆることが一人の人間として、
共感されていなければなりません。

不正義への怒り、何を不正義とするのかという、
祖先から受け継がれてきた価値観への共感がなければなりません。

言葉は、民族の共通の歴史であり、文化なのです。

その前提を失っていれば、
議論は百家争鳴の様相を呈しつつ、
その内容は当然浅薄な質のものになり、
最大公約数の部分は、
極めて小さなものになってしまいます。

国会の議論の迷走を見るにつけ、
また、
国益を損なう多くの人たちの言動を耳にするにつけ、
民族としての共通の記憶を失った民の哀しみを感じます。

この状況を変えていくためには、
日本の名作、世界の名作を、
一人でも多くの子どもたちと共有していくことが
とても大切だと思います。

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